最近、心屋仁之助さんのブログが

「もしかして私に向けて書いてる?」と思うほど

次から次へとタイムリーで、やられる。



http://ameblo.jp/kokoro-ya/entry-11811241121.html


今日は、朝からコレ読んで、どきりとして

身ぐるみはがされた感じがした。


マジ、私のことじゃん!

やばい! 

こんなの、だんなちゃんが読んだら、やばすぎる!



で、ヨガに行ったら、あるポーズに入ったとたん、

なんか、かけてたボタンがばーんとはじけて

今までとれなかった緊張がとけた感じで

ボロボロ泣けてきた。




私には持病の腰痛があって

何をやっても、軽くはなるが、完治はしない。

軽くなったり、悪くなったり、その繰り返し。



で、そのバーンとはじけたとき

頭でわかってたこと、腰痛、身体が教えてくれようとしてたことが

心からわかったんだ。




「もう頑張らなくていいよ」



そう必死で言ってくれてたって。



2、3年くらい前まで、声をかけてくれる仕事はスケジュールが許したら全部受けてた。


それで365日仕事してた。

それが10年くらい。

これが終わったら、この仕事が終わったら休もう、そう思いながら、終わったら次の仕事がきて。

なんかおかしいな、この生活。

と思い始めて仕事を選びはじめたら、時々、仕事のない日があって、そうしたら不安になって。

また仕事をいれて。

そんな繰り返し。


また、それも変だなと思って、本当にやりたい仕事だけにした。

そうしたら、なぜか、やってくる仕事が「やりたい仕事」ばっかりにグレードアップしてきて。

前は、その仕事をするモティベーションをさがすのも、仕事のひとつだったのに。



で、「おもしろい仕事はやろう」と思ったら、「おもしろい仕事」ばっかりやってきて、結局抱えることになって、

それだと、どんなおもしろい仕事も面白くなくなる、ということに、やっと気づいた。

仕事を減らしたぶん、そのあいた時間に英会話とか、整体とかエステとか、なんかスケジュールいれてて。


だんなちゃんの子供たちはみんな、いい子で、「いいお母さん」にもなりたくて。



気がついたら、やっぱり、毎日、忙しく動いていた。



両手にいっぱい、荷物抱えて。



「私なんかに仕事くれて、ありがたいから、応えたい」

「もっと、もっと、いいものを書きたい」

「もっと、もっと、優秀じゃなきゃ、きれいじゃなきゃ、素敵になりたい」

そんな「もっともっと」がいっぱいで。



向上心のかたまり。

がんばりやさん。

それは、いいことだと信じて疑わなかった。



だから、何にもしてないように見える人には批判的で。


実は、私が何もしたくなかっただけなのかも……




スーパーウーマンになりたかったのよ!

つーか、そうじゃないと、いけないと、思ってた。

だから、だんなちゃんに「スーパーマン」でいてほしかった。




そういうのが、ヨガで、バーンとゆるんだ瞬間にぜんぶ、ふか~く、わかった。



頭は、「あれもやりたい。これもやりたい」だけど

身体は「ゆっくりしたい」と感じているんだなって。



それがわかって、シャバアーサナ(最後の瞑想の時間)は大泣きした。

涙が止まらなかった。




楽しいこと、ワクワクすること、いっぱいある。



25年前は、やりたいことがまったくわからなくて、

「ワクワクを選択しなさい」と言われても何がワクワクするのかさえ、わからなかった。

「やるべきこと」「やらないといけないこと」が多かった。



喫茶店で、好きなものを頼むことから始めた。

気がついたら「好きなものばっかり」に囲まれていた。

だから、「幸せ」だと思ってた。




だけど、「ワクワク」の先には、もっと「深い何か」がある。



私は、今、きっと、それに、やっと気づき始めたのだと思う。