親友と新年のランデブー。
彼女とは、言葉にできないことまでテレパシーでわかりあえるようなところがあるかけがえのない人。
人を育てることについての話になりました。
子供をそだてるのもそうだけど、人材育成もとてもエネルギーがいること。
同じ日本語を使っていても、感性が違うと全く別物になってしまうのは、
同じせりふ、芝居でも、演じる役者さんや、演出家でかわる体験から
よくわかっているのですが、感性も、育った時代環境も違う人を
育てるのは、並大抵のことではできないことだと改めて思います。
私には、私利私欲ではなく、貢献する喜びで仕事をする友人がいて、
その方々から学ぶことが多い。
自分でやっている、という気持ちが出た時、人は成長を止めてしまう。
脚本家の先輩方もそうですが、どの業種でも
本当に秀でた人は人の話に耳を傾ける謙虚さがある気がします。
そして自分でやっていると驕らない。
人の話は聞いて自分の中で吟味して、使えるものだけをつかう。
それはシナリオをなおしていくプロセスに似ています。

自分一人では、本当は何もできないことに気づいた時
新しい恩寵の扉が開くのではないかしら。

しかし、人に本当のことを言うのは、それも厳しいことを言うのは
愛がないと言えないこと。
甘くあたりさわりのない言葉ではなく、
心に痛みさえ伴うことは、自分が傷つくことを恐れていてはできないことかも。
そう思う時、仕事の現場で腹が立つほど辛辣な言葉を使うプロデューサーをも
愛してみようと思うのでした(笑)。
いやはや、なにごとも我が身にかえるね。
人を育てるのは自分育てってことかもしれない