このシリーズ(68)に対する補足
諸橋轍次の『漢字漢語談議』が出てきたので、(68)の訂正と補足をする。
まず、(68)の記事を抜粋する。
・・・白川静は甲骨文字や金文の起源を支配者の祭祀の必要から生まれたものであるとしたために、支那共産党の影響が強かった当時の国内学会ではほとんど顧みられなかったのである。
当時の漢字研究は共産党の意に沿った形で進められ、また評価されていた。
その影響は我が国の左翼運動にも大きな影を残し、美しい日本語が公的機関から抹消されてゆく事態となっている。
一例をあげると今は使われなくなった〝看護婦さん〟、我々の業界で看護師と今は言っている。
各地にあった〝婦人会館〟もなくなって「女性会館」になった。
看護婦の「婦」、婦人の「婦」は女偏に箒【ほうき】―と言っても「箒」は「帚」に竹冠が付いているが―だから、女に掃除させるというのは男女差別だということで、十数年前から「婦」という字が公文書からほとんど消された。
ところが白川先生の『字統』とか『字通』を読んでみると、「婦」という文字の旁【つくり】である「帚」は、「ヨ」の部分が宗廟【そうびょう】にお供えする酒器で、身分の高い女性が宗廟を酒で清める姿で、女性の差別用語だという説は当たらない。
そもそもこの婦を、箒をもって掃除をするというのは諸橋轍次著『感じ漢語談議』(1961)に説文解字の説を紹介したのがきっかけと思われる。しかし諸橋轍次も後に完成した12巻におよぶ大漢和辞典の第3巻727頁でこの説については〝説文解字〟を冒頭に紹介するのみで、大きくは採用せず、白川説をとっていると思われる。
この記事をアップした後で気になっていたことが二つあった。
一つは諸橋轍次の著書を変換間違の〝『感じ漢語談議』〟としたこと。
もう一つは、原著が見つからず、原文を確認せず記憶だけで〝説文解字の説を紹介したのがきっかけと思われる〟としたことである。
まず〝『感じ漢語談議』〟は正しくは〝『漢字漢語談議』〟である。
次に一昨日、他の文献をさがしていたところ偶然書類の下積みになっていたのを発見し、
本文を確認
したところ諸橋轍次がその出典を明らかにしないままに〝婦〟の字を紹介していたことに気づき、これならばお目出たいというか悪意の左翼ならずとも多くの人たちが誤解すると感じたため、ここに回を改めて報告する。
画像で確認していただきたいが、引用される方の便宜のために本文230頁を抜粋する。
夫婦の地位
問う人 …今日ではどこの国でも男女同権で夫婦の地位も全く同等でありますが、その点は中国の古い所ではどうであったでしょう。
諸橋 …文字の説明から見ますと「夫は扶なり」と言いまして、夫は妻を扶けるものとなって居り、又婦は女偏に帚となっていて、常に箒を手に持ち家の中を清掃する義からとっています。
と、説文解字の説をそのまま引用し断言してしまっている。
当時の社会党や共産党の幹部には東大出をはじめとするいわゆるインテリが多いので、この程度の本を読むぐらいの教養は持ち合わせていたのであろうが、それを真に受けて結局女性に対する尊称である婦人を葬り去ってしまったとは、何とも皮肉なことではあった。