よみうりカルチャー町屋 楽しい囲碁教室 で習ってきたことの続きです。
封鎖されても、眼くらいはできるだろう
という考え方は、それ自体が勝ちにくい考え方、だと教わりました。
ちょっと待って
この言葉って囲碁をなさらない方にはきっと見事なまでに意味がわかりませんね。
碁盤のへりや角ッコなんかに自分の石が閉じ込められて、
相手の石に妨害されて碁盤の広い方へと広がって行けなくなると、
もしもその石に眼というものがふたつ以上できないと、
最終的に全部取られてしまう運命が待っています。
恐ろしいですね。
打った石が全部取られて相手の碁笥のフタの上にGOですよ
だけど眼というものをふたつ以上こしらえることができさえすれば、
その石は絶対に取られません。
井山裕太七冠が来ても、アルファ碁が来ても取られません。
眼 というのは、ルール上、相手が石を置くことができないところ
囲碁用語で言うと 「 着手禁止点 」 のことです。
眼について詳しく書き始めると、長くなって本筋と外れますのでご容赦、ということで
というような事情で、石というものは閉じ込められない方がよろしいわけですが、
閉じ込められる、とわかってはいても、
逃げ出す手よりも良さそうな場所が碁盤の上に見つかることはよくあります。
でっかい地が作れそう、とかね。
危なっかしい自分の石を守れそう、とかね。
打ち込まれたら困りそうなところを守っておきたい、とかね。
こっちの石は例え閉じ込められたとしても、
しっかり打てば二眼作って取られないようにするくらいはできるしね、と思うわけです。
ついつい思っちゃうわけなのですが、
実は、そう思っちゃうこと自体が対局の姿勢としては健やかではない。
健やかに、広い碁盤の中央へ出ていく手よりも、
設けたり、損 ( と言ってもそれくらいが相場の ) をしないようにしたりする手を選んでいるわけですから。
ふむふむ…
むずかしいな。
専門棋士の碁の解説なぞを見てますと、
結構大事そうな場所で手を抜きまくっておいて、
打てば生きくらいはあると思ってる、とか、
軽く見てる、とか、よく言うわけです。
そういうのとはちがうんだろうな。
だけど、どのへんがどうちがうんでしょうね
いつかわかる日が来ると信じて突き進んでみようっと