人間貧乏に陥るとそのやり繰りに

苦心して、

心身共に病んでしまう事が多いのだが、



かく言う私もその一人である。



いつも貧乏を楽しみたいなどと
ほざいているが、
心にそんな余裕など微塵も無く
今日も仕事準備そっちのけで
まだ分かりもしない春まつりの
売上金の配分を一生懸命に考えていた。



しかし、極貧の身でもってしても

その貧乏よりも、

もっともっと、ずっと辛い事がある。





それは小さな命と向き合う事だ。







コロナ禍のタイミングで我が家に
やって来た5匹の子ランチュウたち…


わが家に来た鼻は、
5匹して小さな水槽の角っこで
ツムツムを披露してくれて
仕事の無い折、
随分と癒やされたものだ。


しかし、僅か2年半の内に

給餌量の不注意から全ての子を

転覆させてしまい


大切な二匹の子を失ってしまった。


そして今、更にもう一匹の子が
大変厳しい状況に置かれている。



転覆で沈んでしまったその子は
何とか救命したが、
もう二度と正常な姿で泳ぐ事は
出来なくなってしまった。


そしてその転覆症状は更に悪化しており、
日増しに正常位を保てなくなって
来ている。


沈没したひと月ほど前には
まだ短時間ではあるが正常位を
保つ事が出来たので、
浮きエサにしても
沈んだエサにしても
そのエサ粒を拾う事が出来たので
本人に食べる気があれば
何とか給餌は可能であった。



しかし、今はもうほとんど
正常位を保つ事は困難で
40㌢プラ舟の端から
一度水面に浮き勢いを付けて
反対側の隅に沈むエサ粒目がけて突進するも
上手く泳げない為に狙いが定まらず
エサ粒を拾うのにもの凄く難儀している。


多分エサ粒を拾えなくなる日が
刻々と近づいている様な気がしてならない。


金魚にも個性があり
一匹一匹性格が違う。


今年1月に虹の橋を渡った子は
好奇心旺盛で物怖じしない
とても人なっこい子で
手からエサを食べるそんな子だった。



それに、とても器用な子で
自分で泳げる内は例え上手く泳げずとも
自力でエサ粒を食んでいたが
泳げなくなった後は
ガラスボール内で胸ビレで
器用にエサ粒を巻き上げて 
自身の口付近までエサ粒を寄せ
それを吸い込んでいた。


そんな器用さと根っからの丈夫さで
寝たきりの状態で8ヶ月を生きた。 



しかし、今転覆している子の場合は
物怖じして、人にも馴れておらず
強制給餌は難しい状態だ。


また死んだ子の様な器用さも無いので
完全に泳げなくなったら終いだろう。


後膨満症状も悪化の一途を辿っているので
常に合併症が隣り合わせなのだ。



活性にばらつきがあるのも
泳ぎだけでは無く、
内臓疾患が有るからだと思う。


また具合が悪いから

より泳げなくなって来ているのだと思うが…



それにしても懸命に生きる

小さな命と向き合うのは

やはり辛い。




死期が迫ると食べなくる。

これが定説だ。



去年の11月に亡くなった子も

旅立ちの4日前からエサを口にしなくなり

5日目に静かに旅立った。







ところが今年1月に亡くなった子は

ボロボロになったその身体で

死に行くその日までエサを食べた。




金魚は死ぬ間際でもまだ泳ぐだけの力が

残されていれば弱者の本能で

たとえ転覆して仰向けになっていても

隅へ奥へと隠れようとする。




しかし、そんな最中にあっても

泳げなくなった身体で

懸命に頭を振ろうとし

例え身体動かぬとも

懸命に胸ビレでエサくれを

する子もいるのだ。




天命は抗えないが

本当はもっと生きたかったろう。


エサも沢山食べて

自由に思う存分泳ぎたかったろう。



腹部の腫脹は私には治し様も無いが

辛い思いが寄せては返す。



本当に辛いのは病に倒れた

死に行く子なのだ。



何もしてやれなくて歯がゆいが

本当は何もせずに送るのが良いのだろう。




でも、それは多分出来ないだろうな。


私は私のやり方で最後まで

お世話したいと思っている。