現在某所桜まつり出店、

絶賛ドハマり中であるが

実入り不足による先々の暮らしの不安あれど
はっきり言ってそれどころでは無い。





今年の2月に玄関の朱文金ペアから生まれた 
十数匹の針子たち…
2月の確認時点で約25匹ほどが
孵化したが、現時点の生存魚は18匹。



健気に泳ぐ18匹の中で一番のチビで 
孵化ひと月経ってもいつまでも
いわゆる『針子』のままで
その行く末をずっと気にかけていた。


自然界の生存競争は正に熾烈で
それこそ『自然淘汰』は致し方の無い

所であるが出来ればどの子も皆

生き延びて欲しかった。



思えば金魚の孵化など考えてもいなく
だから突如『針子』が誕生しても
その小さな『命』たちを育てる術は無く 
まだ寒い2月の寝室の片隅のプラ容器を

眺めながら途方に暮れるしか無い中で

 チビ助針子たちは生き延びてくれた。


その中でも取り分け小さな針子のチビちゃん…

毎日給餌の度にこの子の生存を確認していた。



どの子よりも小さく細く

いつ見ても他の子たちとは別行動で

餌を食べているのかいないのかも

判らなかった。


仲間と共に餌を追うでも無く

いつも一匹孤独にプラ容器の底を

食んでいたチビちゃん…


それでも黒いその小さな針子は

黒子から白子に色変わりし

少しだけ太くなった。



そのチビちゃんが

昨日まで元気だったチビちゃんの

様子がおかしい。


エアフィルターの極々弱い水流に流され

弱々しく浮沈みを繰り返している。

残念ながらもう助からないだろう。



孵化してから2ヶ月の間

健気に懸命に生きたチビちゃん。

どんなに小さな命も

その尊さに代わりは無い。


永く飼ってやれなくてゴメンな…



今朝未練タラタラで自宅を後にしたが

チビちゃんが気になって気になって

現場仕事どころでは無い。



追記


先ほど露店から帰宅したのだが

虫の息ながらチビちゃんはまだ生きていた。



(写真中央付近の小さな子がチビちゃん)

さすがに明日の朝までは厳しいと思う。


小さな小さな命の別れは辛いが

チビちゃん、君は良く頑張ったね🥹

大病を患いひと月近くも意識が
戻らなかった寝た切りの妻に向かい
思わず口に出たのが

『戻って来てくれてありがとう』


そして何故か
『S海岸に貝取りに行くぞ』 
だった訳であるが


喋れ無かった妻はあの時の 

私のおバカ発言に何を思ったのか

今思うと考えるだけでも空恐ろしい😅



意識が戻ってから以降も

脳梗塞後遺障害の予後不良を

しつこく言われ続けた妻だが
そんな一生寝た切り宣言を覆し
数百m ほどの距離ではあるが
歩ける様になっての退院だった。


それでも意識不明だった時も含め

身体拘束されていた期間が長く

その為に廃用症候群の症状が酷く

これが回復期における
脳梗塞後遺障害の諸々のリハビリに

大いなる足かせとなり

心身の機能回復も順調とは

言えなかった様である。


脳の状態が悪い故の
ご丁寧なまでの四肢麻痺の影響で
両脚腕の動きは極めて悪く
訓練後の退院時でも
両手の握力なども左0右10 、 
細かい手作業等を含めて
さすがに社会復帰は無理と
リハビリの先生方にお墨付きを

頂いた次第である😓


しかし妻は怯まなかった。

その不自由な身体で

退院初日から当たり前の様に

家事に取り掛かり

台所でその動かぬ手で

包丁を握った。



反骨精神もヤル気も勿論皆無な
我が家のヤサグレ母ちゃんではあるが

脳天気な所こそが彼女の真骨頂である。


何となくやれる気がする…

その日から出来無い事を可能にする為の

特別な事では無く普段通りの日常が再開した。



症状固定、上等じゃないか! 
やってやろうじゃないの!!  

って、やるのは私では無くて妻なのだが

通いのリハビリは妻の意思もあり

2ヶ月ほどで中断して日常の中で

彼女なりの機能回復を目指したのである。



長期入院から家に戻って来て一年と少々。

勿論出来無い事も沢山有るが

それ以上に出来る様になった事も沢山有る。



大病をしてから私と同じで自立神経を

やられてしまった様で、この冬なども

暖かい日も多かったがそれでも

寒さが身に染む様で現場仕事の時などは

見ていて可哀想なほど辛そうだったが

1年前に比べると随分元気になったのは

私に取っても彼女に取っても

喜ばしい限りであった。



そして、そんな当たり前の日常の中で

潮干狩りの最適日を検索して

3月、4月、5月の潮干狩り最適日を

私に教えてくれた。


当たり前の日常などは

実は決して当たり前では無く

当たり前の事全てに感謝しなければ

と改めて思った次第である。



高次脳機能障害と四肢麻痺の影響で

入院中はスマホすら使えず

長期入院中もずっと

『重くて持てないし、使い方も解らない』

と言う事で携帯に触ろうともしなかった。



そんな妻が少しずつ機能回復を果たし

妻とのラインも再開した。


今日辺りはこちらでも

平年よりも一週間ほど早い

桜の開花宣言だ。

春はもうすぐそこまで来ている。



思えば1年前、退院直後で
まだ数百メートルしか歩けず 

手足は思う様に動かせなくて

服も満足に着られないし

転んだら起き上がる事も出来ない


そんな状態の妻を退院一ヶ月少々で
あのハードな潮干狩りに

連れ出したのだった。 



体力も握力も無く

四肢不自由な身であの時と同じ胴長を纏い

足元の超悪い岩場まがいの海岸線を

数百メートル歩いての拷問に近い様な

潮干狩りだった。





それでも2時間余りで拾った一粒二粒の

貝殻と母ちゃんの頑張りに

社会復帰、奇跡のカンバックが

有るのではと考えた私だった😊



両腕も可動域が限定され
上手く動かせず、
握力も無いから買い拾いの
スコップも使えない。


それより何より中腰とかしゃがみ込む
などが出来ないし、
椅子に腰掛ける事は出来ても
立ち上がる事が出来無いから
一度腰掛けたらその場所で
ひたすら力の入らぬ手で
砂泥地をカキカキするしか無い。
すっ転ばなければまだ良いとしても
貝も激渋で居ないな中で
力の入らぬ手で採れぬ貝を探すは
正に拷問の域に他ならなかったろう。


もう貝採りなどしない等とは口にしなかったが
余りにもハード過ぎるリハビリだったと思う。


そしてあれから一年近い月日が流れ
症状固定を宣言されたかつての妻だが
日頃の運動は皆無であるものの
毎週の様にある稼業の現場仕事に
つきあわされ少しずつ少しずつではあるが
四肢麻痺も改善されつつある。


退院当初から不自由な身ながらも
当たり前の様に家事をこなし、
現場仕事も大半の事がこなせる様に
なった。





そんな訳で仕事の事も気にはなるが
先述した様にまずは当たり前の日常に感謝し
早速来週にでも妻が探した『最適日』に従って
我が家の貝採りを再開したいと考えている。
我が家のヤサグレ母ちゃんが
大病の長期入院から鬼籍、いや、
大変失礼、奇跡のカンバックをし
我が家に戻って来てから
一年と2ヶ月が過ぎた。


忘れもしない、

2024年夏、とある日の深夜

『何か体がおかしい』

隣室に寝ていた私を起こすと

『足がしびれて動かない』

そんな言葉を残して

倒れこんだまま意識を失った。


ひと月近く意識が戻らず
自発呼吸すら出来ずに

ICU、HCUから出られなかった。



それでも意識を取り戻し
一般病棟に移された母ちゃん。

気管切開をしカニューレ装着の
状態なので喋る事は出来なかったが
懸命に何かを伝え様とする妻に
あろう事か、かけた言葉が
『また一緒に貝取りに行くぞ』だった。




意識が戻ってからも意識不明の状態が長く
長きに渡り身体拘束されていた為に
廃用症候群の状態に有り
更には重度の脳梗塞により
四肢麻痺も加わって
意識が戻ってからも暫くは
起き上がる事すら出来なかった。


しかしそんな妻にかけた言葉が
『貝取りにいくぞ』だったのだ😅

余りにも脳天気☀な発言に
妻は面食らい苦笑いをしていたが
妻がネガティブなヤツだったら

間違ってもそんなデリカシーに

欠けすぎるおバカ発言は

当然NGだったろう。


しかし、私たち夫婦に取って

年寄の唯一のお楽しみ、

母ちゃんも潮干狩りは大好きだった。


だから妻が死の淵に立ち

当直の救急医からも多分助からないと

告げられた時に真っ先に浮かんだ光景は

不謹慎ながらも

帽子を深くかぶり首にはタオルを巻き

胴長姿で片手にはバケツを手にして

顔をしかめながら海岸へと続く堤防護岸を

ヨタヨタと歩くそんな姿ばかりが

浮かんで涙が止まらなかった。



執刀医から何度も術後の経過説明を聞いており
妻の場合、脳の状態が余りにも悪い為
重度の大動脈解離から生還出来ただけで
奇跡、更にはこれ又重度の脳障害を併発しながら
それでも意識を取り戻し、 

家族を判別出来るのだから

本人は十分頑張っている。

ご家族は出来れば歩いてくれたら

とお考えだと思いますが

それ以上を期待するのは

本人にプレッシャーをかける事になる

ので可哀想だからと、重々言われたのだった。



しかし、妻は誰をも予想予後を覆し

半年の入院予定を自ら否定して

急性期病院の入院期間か含めて

ひと月ほど早く自らの意思で

しかも自身の足で歩いて退院したのだった。