病名より症状の特徴を捉える

 

東洋医学では病名を重視しないと言うと驚かれるかもしれませんね

 

たとえばアトピー性皮膚炎と診断された二人、

 

一人は水疱が出て痒みがひどく掻きこわしてしまうと言う症状

もう一人は全身が乾燥して痒くなると言う症状

 

病名が同じでも症状が異なるので対応も異なってくる

どういった経緯でその状態に辿り着いたかという根本を捉えてそれぞれの養生のアプローチが大切になってきます

 

 

漢方の世界でいう、健康になる、と言うのは生命力、自然治癒力を高めるという考え方であり、

養生とは文字通り命を養うことで真の健康に向かって生命力を養い高めていくことです

 

先日食のコラムでも書いた通り、そこには腸の活性化が必須です

ただ細かくいえば活性化の仕方が人それぞれあります

 

また違う側面で、波動で言うと癌であれば、病だれに品の山とかく

 

この品とは食べ物のことです

忙しさにかまけて、目の前の食べ物に感謝なく体を通していたり

人を憎んだとしても、自己否定しても、大失敗を重ねても、食べ物が目の前に来た時だけは感謝を忘れないで食すれば、あなたの身体を救ってくれるものになる

私はがんを経験しているから良くそのことの意味がわかるつもりです

 

また目の前の意味を考え始めた時に私にとっての2度目の人生が始まりました

 

病になる前までは、この目に映ることが全てと思って生きてきたら、目の前の大きな出来事に人生を丸ごと飲まれてしまいそうになってました

 

病を通して痛恨の気づきを得れた時、目の前の出来事は、全て目に見えない想いから始まっているとわかって、、、そこで初めて本質を見ようとする意識を持った時、いま2度目の人生を生かせていただいてます

 

 

想い、エネルギー、そういう目に見えないものにも敏感になってたら、現象は外から押し寄せてくるものではなく、内側から起こしていくものという理解が広がっていく

 

気づきから病が良くなる人もいる

目に見えるものだけが全てと思う生き方でいいのならそれでもいいと思うし、

ただ目に見えないものを感じようとすることはとても楽に生きれるとおもうんよな

 

 

死を持って教えてくれた人達がいる

何を教えてるかって、

きっと幸せになるためのエッセンスだと思う

 

それぞれの方の生き方を通して、

頑張れ頑張れの人生もある

力を抜いて形ないものに喜びを感じて穏やかに生きる生き方もある

ご縁に命を委ねて今を懸命に生きていく生き方がある

そういうことを教えてもらってる気がします

 

病は出来事でしかない

その出来事は目に見えない想いから始まってる

その想いが出来事として物質化されてる

 

自分が決めた、歩むと決めた今世での運命からはずれた時に

気づきの種として現象化される

病で苦しんで亡くなられる方、

そうではなく痛みがあまりなく、穏やかにスッと行かれる方がいる

ひょっとしたら、役割を全うして行かれる方は痛み、苦しみがないのかもしれないし、あるいは積んできた徳なのかもしれない、

 

今自分がどこを歩いているのかはわからないけれど、

自分の周波数帯域はチェックする方法がある

 

 

それは「頭の中の誰かを思い浮かべてみる」

 

 

みなさんだったら思い浮かべた瞬間なんと言いますか?

その言葉があなたが今いる場所だったりする

愛のある言葉だったらあなたはそこにいるし、

言葉が出なかったらやはりあなたはそこにいるし、

非難してたのならあなたはやはりそこにいるんだと思う

その周波数が臓器に影響与えていき、人間関係にも広がっていき人生を作っていく

 

それが決めた運命からはずれてたなら、

またそれはお知らせとしてやってくるのかもしれない

 

全ては想いの現象化

 

生きやすい生き方は本来自分の奥底が知ってて、

治るとか治らないとかは実は表面的なことなのかもしれない

 

 

本来魂で求めてる生き方を知るために自分に深く、真我と繋がっていくことが一番自分を救えるんだろうなぁ