北野天満宮をお参りして2日後、また京都へ出かけた。
この日は、数珠袋を取りに行くだけではなく、ちょっとした計画があったので電車を使った。
コロナやインフルエンザが猛威を振るっている今、人混み必至の京都へは、不織布マスクを2枚重ねて武装して出かけた。
昨年読んだ『京都の平熱』は、市バス206番の路線を辿りながら、その周辺の京都案内を京都人の哲学者である鷲田清一先生が書かれたエッセイだ。本当に面白くて、興味深くて…。
鷲田先生と私は同い年。私も同じ下京区の堀川近くに生まれて5歳までを京都で過ごした。小学生の頃は毎年夏休みになると祖父母の家で過ごしたので、もしかしたらどこかで子供だった鷲田先生とすれ違っていたかもしれない。
また、大学卒業後の就職先は京都三条だったので、市バス206番のルート辺りは馴染みがある。『京都の平熱』には知った地名や店名がいっぱい。思い出しては懐かしく、付箋を貼っては何度も開いた(開いている)本なのだ。
で、この日はまず念珠舗へ数珠袋を取りに行って、京都駅から206番の市バスに乗る予定にしていた。ところが、京都駅の件のバス停は観光客で長蛇の列!バス1台に乗り切れない数の人たちが並んでいた。
無理もない、京都市バス「206番」は、京都駅から出発して、清水寺、祇園、八坂神社、知恩院、など有名寺社の門前をぐるりと周回するのだ。「これは無理!計画変更」と即あきらめた。
とりあえず歩いて念珠舗へ向かったのだが、途中に鷲田先生が【ごくごく普通の洋食屋さん】と薦めていたレストランがあるので、ちょうどお昼近くでもあり、そこで早めのランチを食べることにした。
カウンターの一番奥に席を取って前を見ると、これまで訪れた人達の写真がびっしり。記念日や誕生日に会食した人たちが美味しいお料理への感謝の言葉を書き添えていた。
お昼のメニューは、Aランチ(肉)、Bランチ(魚)、Cランチ(肉と魚)、で私は肉も魚も試したかったのでCランチを注文した。肉や魚の種類を確かめもせず…。
運ばれた料理を見て一瞬がっかりした。お魚はサバ(好きなのだが…)。オーロラソースのようなものがかかっていた。お肉は私が苦手とする鶏肉でチリソースがかかっていた。
Cランチでは量が多過ぎるかも…というのは杞憂だった。京都というものだ。お隣の女性はお魚だけのプレートだったが、お皿の上の淋しいこと!
「塩サバにソースはいらんやろ」「この唐揚げ意外に美味しいやん。そやけど、チリソースなんかかけん方がええのに…」と文句垂れながら完食。ソースは食材を大きく見せるための工夫なのだろうか。
唯一「これは嬉しい!」と思ったのが、案外たくさんのしば漬けが添えられてあったことだ。また、食後のセルフサービスのコーヒーはとても美味しかった。
気軽に入れるお店ではあった。ワインと共にディナーを楽しめそうな夜のメニューを試してみたいが、ちと遠い。
腹ごしらえをして念珠舗へ向かった。いやはやこんなに遠いとは…。預かってもらった数珠袋をもらって京都駅へ戻る時、駅に向かう206番のバスを見た。乗客が少ないのを見てふと考えた。
「地下鉄で北大路へ行って、復路の206番に乗ったら空いているに違いない」と地下鉄乗り場へ直行。地下鉄も空いていて座れたが、ちょっとイケズなバアサンに遭遇して不愉快だった。
北大路のバスターミナルで206番の市バスを待ち、始発のようなガラガラの車内の好きな席を陣取った。こんな北の方でバスに乗ったことが無かったので、スマホのグーグルマップで現在地や周辺の地図を確認しながら、窓の外を眺めていた。
こうして『京都の平熱』では東大路を南から北へ向かう経路だったが、私は東大路を北から南へ下がった。その間バスの車中で、またふと「そや、清水寺のおみくじを引きに行こう」と思い立った。
清水寺のおみくじは、仏教の師匠のおすすめで、特に音羽の滝近くのお守り授与所がいいとのことで、何度かいただきに行っている。
京都駅でのあの混みようではいつになっても清水寺へ行く気にはならない。まして車でなどもってのほかだ。駐車場は少なくバカ高いし、道は渋滞しているし…。
中国の春節前でもあるので、今がチャンスともうひと踏ん張りすることにした。念珠舗への往復だけでもすでに相当歩いていたにも関わらず…。
清水寺への参道はかなりの混雑ぶり。みんなゾロゾロとお店を眺めながら歩くので、私はちゃっちゃと右へ左へ…人混みをすり抜けて歩いた。
韓国語を話しながら歩く若いママはダンナにベビーカーを押させて、こんなレンタル着物で何かの串焼きを食べながら優雅に歩いていた。他にもこのタイプの着物(?)を着た女性をたくさん見かけた。
昔ながらの着物と羽織りの姿やショールをしている人もほぼ見かけなかった。暖冬とはいえ…
清水の舞台など通り過ぎて音羽の滝まで直行したかったのだが、順路というものがあり、結局、入り口で拝観料を支払ってから舞台の上を横切って、音羽の滝まで降りて行った。
今年のおみくじは凶 良くないことばかりが書いてあるが、「旅行よろし」。でも今は行けない。
北野天満宮でひいたおみくじは吉
北野天満宮: 「…未だ花が乏しく厳寒の中に風雪に耐えている運勢です…」
清水寺: 「…物ごと思わしからぬ所より思案に迷い、物事を苦にする風ありて運開きがたし…」
そして、北野天満宮は「何事が起こっても平常心を失わず耐え忍んで春の来るのを待ちなさい」。同じように清水寺は「小さいことに心懸けて、よくよく身をつつしみ、観音を念じてよし」と、処し方を示してくれている。
二つのおみくじを合わせると、今の私の心理状態や状況を言い当てており、今が底と思えば希望も湧くというものだ。
由緒正しい清水寺では昔ながらのおみくじを採用しているそうで、「凶」の出る確率は3割から4割だそうだ。清水寺や浅草寺以外の寺社仏閣は、近年になって「凶」の数を減らして「吉」の数を増やしているらしい。
吉凶よりも、書かれた言葉に意味があるので、ありがたくしっかり読んで心に留めておくことが大切だとか…。2つのおみくじは財布に入れて持ち歩いている。
帰りはとても清水坂を引き返す気になれず、茶わん坂という(お店もあまり無い)閑散とした坂道を下って五条通へ降り、そこのタクシー乗り場で待っていたタクシーに乗った。
京都駅へ戻るつもりだったが、途中「京阪五条」の入り口が見えたので、そこで降りて、京阪電車で帰ることにした。
計画通りではないのに盛沢山過ぎたこの日の歩数計は近年にない数字!さすがに疲れた。
しかし、結構スタスタと歩けたので自信がついて、翌日も眼科医院までの往復を歩いたら、翌日から股関節と膝が痛くなった。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」「年寄りの冷や水」…。調子に乗ってはいけない。
はてさて、『京都の平熱』に貼った付箋の箇所を、観光客を避けて辿って行く方法を探さないと…。