⑨義姉と私 | アブエリータの備忘録

アブエリータの備忘録

Yesterday is history,
Tomorrow is a mystery,
Today is a gift.
That's why it is called "present".

 

義姉の病が明らかになるまでの苦悩の12年間を思うとやるせない気持ちになる。

 

 

義母と義姉は私を敵視しているばかりで家族として認めていなかったので、どんな場面でも私は他人の扱いを受けた。

 

 

私サイドに立ったことの無いダンナには多くを望まず、私自身は子供たちが成人するまではこの家で頑張るつもりでいた。その頃、斎藤茂太先生の本にはずいぶん助けられた。

 

 

定時制高校の非常勤講師をしていたことがあったが、定時制には様々な問題を抱えた生徒が居た。その時、同僚教師から勧められたのがカウンセリング講座だった。

 

 

心理学はもともと興味のある分野でもあったので、大阪まで通って講座を受け、アドバンスコースも終えて、様々な研修やワークショップに参加して、カウンセラーとしての適任証もいただいた。義姉の病気のことについても多くの本を読んだ。

 

 

この病気の特徴として、病人がこだわる4つがあり、1つだけの人もいれば複合している場合もある。

4つの特徴は ①色 ②金 ③名誉 ④健康で、義姉は②と③と④の複合型に見えた。

 

 

義姉に届く郵便物は銀行や証券会社ばかり。外貨を買ったりしていたようでその財テク能力には驚いた。プライドが高くて、障害者手帳や障害者年金を申請しなかった。そして、健康には人一倍気を付けていたので、蚊などの虫よけには何事かと思うほどの完全武装をしていた。

 

 

この病気はどんな時代でも100人に1人が発症するという。霊能者の江原啓之さんの著書には「99%が憑依現象」と書いてあったが.…。

 

 

自分を責めずに私なりに心を平穏に保つために努力をしていた。一番分かってほしいダンナが全く理解しようとせず、ひたすら私のワガママのせいにするばかりなので、私の気持ちは常に鬱々としていた。

 

 

そんな頃、よく行く洋服店の店長さんが私に声をかけてきた。「ぽんたさんはお義姉さんのことで悩んではるんですね?」と!それまで単なる常連客で、家族のことを話したことは無かったのでとても驚いた。

 

 

店長さんは霊視できるという能力者だった。そんな世界とは全く無縁だったのだが、話してみると、私の生活のなにもかも、特に周囲の人物たちの本質を見抜いていたのには心底驚かされた。

 

 

また、同じ時期に、私がSおじさんとしてしばしばブログにも言及している「仏教の師匠」とも定期的に会って話する機会に恵まれた。このSおじさんも霊能者なのだが、最初の頃はSおじさんの話を荒唐無稽に感じていた。

 

 

しかし、この方はアヤシイ人ではなく、ダンナや私の高校の先輩であり、当時は損保会社の支店長をしていた。

 

 

このSおじさんと以前から親しかったのが、私の「四柱推命の師匠」で、その師匠の家でSおじさんといろいろ話す機会が増えた。霊的な世界に詳しいSおじさんの話を聞いていて、ふと〈お義姉さんのことを相談したら…〉と思い付いた。

 

 

Sおじさんの観点は、佐藤愛子さんやピーコさんの体験や観点とほぼ同じだった。

 

 

この本の目次下差し

 

 

 

ピーコさんとの対談本下差し

 

 

目次はこれ下差し

 

 

 

色物と扱われがちなテーマだが、周囲にも霊感の強い人がいる。実際、私とダンナも超常現象を体験したし、心霊的な証拠となる写真もある。これらの方向からの考え方が、義姉との関わりにおいては、私にはかなりの説得力があってずいぶん力になった。

 

 

義姉は幻聴によって呼び出されていたようだ。鍋を火にかけたまま飛び出していくのもそうだったのだろう。義姉の家のトイレとウチの家のトイレが2メートルほどの距離で隣接しているのだが、義姉がトイレで誰かと話している声をよく聞いた。

 

 

幻覚もあった。私が義姉と話している時、義姉は私を見ずに、私の隣りの子供サイズのモノをとても気にしていて、そこに何かを見ていたのだと思う。

 

 

幻聴も幻覚もこの病気の典型的な症状ではあるが、義姉の病が【憑依】によるものだろうとこじつけられるような言動や行動はほかにも多々あった。

 

 

霊能者でもそれぞれ視座が異なるので、一つの現象を全く同じように判断しない。それぞれ違った面に焦点を合わせるので見えるものが違うらしい。

 

 

それでも、店長さんとSおじさんが異口同音に私に伝えたことは、「この家の負の連鎖を断ち切るために、ご先祖様は、雑草の強さのポンタさんを選ばれたのだ」ということだった。

 

 

そのお二人との出会いはその後30年近くに渡って、私自身の心の平穏を保つための強力な助っ人となった。そして四柱推命の師匠も加えての3人がいらっしゃればこそ、この家でこれまで頑張って来れたと思う。

 

 

四柱推命の鑑定によると、私はダンナにとって最も鬱陶しい相手で、ダンナから縁を切りたい…という相性なのだ。一方、義姉と私は相性が良くて、【腐れ縁】が続くのだと。

 

 

四柱推命の師匠は、「ダンナさんは今後も変わらないしアナタを理解することもない。アナタが気を遣っても伝わらないし、どう立ち回ってもその気遣いを汲んでもらえることはない。この家での貢献などサラサラ考えは及ばない」と、長年言い続けてきている。懲りないのは私だったのだが…。

 

 

【心の相談室】や【教育相談センター】でカウンセラーとして数年働いたが、相談者の家の病理が先に見えてしまって、気長にカウンセリングができなくなった。そしてある時「私のクライアントは一人だけ(義姉)なんや!」と思ってこの世界から足を洗った。

 

 

斎藤茂太先生から始まって、心理学やカウンセリングの勉強をしたことは、ただただ自分を救うためであったが、同時に義姉を理解するためだったように思う。

 

 

ある先生の著書に「この病気(統合失調症)の人は亡くなる時に本当に穏やかな表情になる。周囲はこの病状で迷惑をこうむることが多いが、本人が生きている間どれだけつらい思いをしているかということを、家族は考えてあげて欲しい」というようなことが書いてあった。

 

 

私が今日でも明日でもお迎えが来てくれたらどんなにありがたいかしれないが、皆さんから「それはない。役割を果たすまでお迎えは来ない」と言われている。

 

 

それなら6歳年上の義姉が順番を守って、私より一日でも早く楽になって欲しい。