一週間に二回のお出かけで少々「こころ」が疲れ気味。
先週、姫路(3月17日付)と五個荘町(3月21日付)へ、それぞれ一緒に出かけた二人の友人の、地に足が着いた生き方にふれたからだと思う。
「小6女児」の精神年齢を自称している私は、二人のあまりにも大人な生き様(ザマではなくヨウと読んで下さい)に、やはり「至らない自分」を感じてしまう。
これは私の価値観の「揺れ」なのだと思う。迷い無く生きている人に接すると、私の「大人になりきれない中途半端さ」が刺激される。
彼女たちの生き方を聴きながら、「よくそんな縛られた生活が出来るなあ」と思う反面、「立派」と拍手を送りたくなるような思いがあったのも確かだ。
私の中では常に「古いモノ」と「新しいモノ」がせめぎ合っているのだが、「古いモノ」が勝ってしまうからなのだろうか。
確かに「新しいモノ」を追いかけるのは疲れる。周囲との軋轢も生じる。
パソコンや携帯電話など無い時代に戻りたいという思いもあるし、ダンナが押し付ける古い価値観に従えば「丸く治まる」かもしれないとも思う
彼女達の共通点は、自分を取り巻く環境に異議を唱えず、ありのままを受け容れて自分の役割を忠実に果たしていること「これが私の人生」という思いに疑いがないから無駄な抵抗をしない
二人とも、携帯電話は活用しているがパソコンでインターネットをしない。テレビ番組を録画するやり方も知らないらしい。「いつも見てる番組の日に外出したら?」「一回抜けるだけやん」と執着しない。これも共通点。
彼女たちの生活はアナログなのだ。旧世代の価値観で生きている。だからといって夫に隷属する妻ではなく、キッチリと役割分担をしているだけであり、許される範囲で上手に自分の生活を楽しんでいる。
それに、二人ともそれぞれ本格的な登山や漕艇(レガッタなどのボート競技)が趣味で、とても体力がある。持病も無い。やはり「健康な精神は健康な身体に宿る」のか
次々とこれら二人の友人と話すことになった「めぐり合わせ」を考えている何を学べといわれてるのだろうか
うーん…私は私なんやけどなあ…なんかなあ…自分に正直に生きてるだけなんやけどなあ…
そうそう、もう一つの共通点。彼女たちはダンナさんを「尊敬」したはります