アブエリータの備忘録

アブエリータの備忘録

Yesterday is history,
Tomorrow is a mystery,
Today is a gift.
That's why it is called "present".

 

愛犬ショータはきれいに旅立った。

 

 

1月30日はペットショップでのシャンプーの予約をしていた。時間に連れて行くと店員さんと喜んで入って行った。朝ご飯を食べていなかったのでバブルバスに入れてもらうのは見合わせた。

 

 

きれいにシャンプーをしてもらって、新しいバンダナをつけてもらって帰って来た。前回のシャンプー後に撮った写真で作成されたカレンダーを毎回渡してくれる。最後になってしまったカレンダー左下矢印

 

 

 

亡くなる前日の2月5日朝、ここ数日ほぼ食べていないにも関わらず、いつもの一回分くらいの量のウンチをきちんとトイレで済ませていた。その後、獣医さんの手ずからたくさんのフードをカリカリと食べたのだった。

 

 

注射のせいで、オシッコが間に合わないことがあったが、フローリングやカーペットの上ではなく、(食事や水で汚れそうな場所に敷いていた)クッションフロアでしており、他を汚すことは無かった。

 

 

亡くなった夜にも最後のオシッコをしていたのだが、それもケージの前に敷いてあるクッションフロアにしていたそうだ。

 

 

シャンプーで身体をきれいにして、最後のウンチでお腹をきれいにして、獣医先生の手ずから食べたフードは吐くこともなくきちんとお腹に残して、死出の旅立ちの腹ごしらえをしたようだった。

 

 

体調が悪い時など、夜中に小さく呼ぶような声を出したり、ドアを開けようとガリガリとしたものだったが、晩年は耳も遠くなって音の無い静かな世界にいたからか、夜に我々を呼ぶことは全くなかった。

 

 

亡くなっていた朝、広縁へ通じるドアが開いていたらしいが、自分が生きた生活の場所を見納めに行ったのだろうか。

 

 

 

 

もともと構われるのがあまり好きではないワンコだった。寝ている時に頬ずりするとウーッと唸ったり、ダンナがソファの隣に座ると、ソファから降りてしまったり…。

 

 

 

 

ダンナが昼寝をしているような無防備な時には、自分からダンナにくっついて毛づくろい(?)をしたり、眠っているダンナの上に乗って寝たりしていたものだ。

 

 

 

 

 

 

だから虹の橋を渡る時も、誰も居ない時を待っていたのだろう。今頃は、同い年ながら先に橋を渡った西のワンコと走り回って遊んでいるかも知れない。

 

 

ダンナもだんだん寂しさが深まっているようだ。ダンナとショータの絆が深いだけに…。私が入院中の3ヵ月は二人だけの日々をお互いに支えあって本当に頑張って乗り越えてくれた。

 

 

おかげで私は最後の1ヶ月と10日をショータと過ごすことが出来た。

 

 

今日はショータのシャンプーの予約の日だった。すでに予約しておいた3月の分も4月の分もキャンセルした。

 

 

 

 

 

前年の12月に先住犬を亡くして、1年も経たない翌年9月にペットショップでショータと出会った。その時、ダンナと見つめあっていたショータを撮った写真を見つけてプリントアウトした。

 

 

ショップの店員さんが抱き上げて見せてくれた。レトリバーの子供のようにも見えた。

 

 

 

ダンナは鼻のまだらがちょっと気に入らなかったようだ。ジャックラッセルテリアは「公認された雑種」ということで、ショータの場合、コーギーやブルテリアも混じっているので無理もない鼻だ。

 

 

しかし、このせいで(おかげで?)定価12万円のところを8万円に値下げしてくれた。それほど早く売りさばきたかったようだが、他に理由があったのかもしれない。

 

 

家に連れ帰って、玄関に置いたサークルに入れて、我々はリビングに居たのだが、ずっとワンワンと吠えていてうるさいことこの上ない。ダンナと私は、「返品なんかできひんやろし、困ったなぁ」と即後悔したものだった。

 

 

吠えなくなって静かになったと思ったら、背の高いサークルから逃走して我々の足元まで来ていたのでびっくり!

 

 

可愛いけど、それはそれは制御不能のヤンチャ坊主。ダンナが62歳で私は59歳。初老夫婦には元気過ぎる犬種だった。

 

 

 

 

とてもしつけが出来そうになく、家族全員、満場一致で決定して、獣医さんから紹介された犬の訓練所へ預けることになった。

 

 

訓練所では参観日が毎月あって、1ヶ月後のショータは一回り大きくなって毛が伸びていた。学校生活は厳しかったのか、表情が硬いというか、挑むような目つきだ。

 

 

 

その1ヶ月後の参観日。やはり笑っていない。しつけられたことを飼い主の私が先生に指示してもらって実践する。

 

 

 

またその1ヶ月後の参観日。先生には「次の命令は何でしょうか?」とばかりに顔を見上げて、実に従順!

 

 

 

12月に入学して、4ヶ月で卒業予定だったが、神社の例祭前に帰ってきてもややこしいからと、結局5月半ばに、5ヵ月の訓練で卒業して帰って来た。

 

帰宅して数日後のショータ下差し

 

 

 

犬に洋服を着せるなんて考えられなかったのだが、初めての室内犬で、抜け毛対策としての服(甚平さん)を着せてみた。あまりに似合わないのでこれが最初で最後の着服の一枚。

 

 

 

ウチの家族になって1年経った頃のショータ(1歳3ヵ月)下差し相変わらずのワチャワチャのヤンチャ坊主だが、なんとも子供らしい可愛さ!鼻のまだらがくるりと回って見えなくなって真っ黒な鼻に!

 

 

 

それから15年余り、16歳と1ヶ月の頃のショータ下差し童顔だと思っていたがやはり老けている。

 

 

 

雪が大好きで、まさに「♪いーぬは喜び、庭駆け回る♪」のとおり、積もった雪の中を走り回って、毛玉のように雪玉を溜めていた。

 

 

 

ガラケー時代から写真を撮り始めているから、ショータの写真は優に1000枚を超えている。年齢ごとに整理しかけたところが余りに多すぎて途中でギブアップ。

 

 

写真はやはりプリントアウトしてアルバムにしておく方が手近で見やすい。

 

 

ショータが家族となってからの1年を、当時の写真で振り返ってみた。

 

 

 

 

愛犬が逝ってから2週間が経った。

 

 

亡くなった当初は悔しい気持ちが大きかった。前夜には近くで毛布をかぶって見守っていたのに、亡くなったその夜に、昨日よりも悪くなっているはずのその夜に、2階にあがってしまい、夜中にチェックしてやらなかったことが悔やまれて…。

 

 

悲しさや寂しさよりもそのことが悔やまれて悔やまれて…。ダンナは「そばに居ても知らない間に逝ってしまうこともある」と言うが…。

 

 

西の方の同い年のワンコは、かーちゃんの腕の中で一声「ワン」と吠えて逝ったという。そのような別れ方を期待していたのだった。腕の中で眠るように逝って欲しい…と。

 

 

でもショータは私がそばに居ると、かえって起き上がってウロウロしていたので、逝くときは1人になりたかったのかもしれないと今は思うようになった。

 

 

ショータの痕跡を見たくないダンナは早々とケージやトイレを処分している。

 

 

家がずいぶん広くなったように感じる。すべては愛犬ショータが居てこその生活で、リビングとデッキと広縁は彼のテリトリーだった。その主が今はいない。

 

 

昨年12月27日、私が退院してきた頃のショータ左下矢印

ソファベッドはダンナに頼まれて入院中に私がネットで取り寄せたもの。

 

 

 

今はそこにショータのクッションを置いて、声をかけたり抱きしめたりしている。ダンナも私もショータの存在をここに感じていて、居ない現実に毎回涙している。

 

 

 

このクッションは、5年前に友人がショータの写真からネットで注文して作ってくれたものだ。

 

「オカーサン、これ何?」というような顔をしている。ショータはこの後、このクッションと格闘してコテンパンにやっつけていた。

 

 

 

 

 

ショータが居なくなって急に時間が増えた。彼が居た時の時空が無くなったせいだ。だからといって、何に集中することもできず、ダラダラとテレビを観て現実逃避している。

 

 

愛犬についてはこれまで【ペット】というテーマに分けて記事を書いてきた。ペットではなく日常的な記事の中にもショータの写真があり、画像一覧からショータの写っている記事をピックアップして【ペット】に追加した。

 

 

テーマ【ペット】を開くと、ブログ上で私が書いたショータに関する記事や写真を順に読むことが出来る。忘れていたこともあり、書き留めておいて良かったと思う。