アブエリータの備忘録

アブエリータの備忘録

Yesterday is history,
Tomorrow is a mystery,
Today is a gift.
That's why it is called "present".

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WOWOWで放映していたアカデミー賞受賞作品の中からいくつか録画をしておいた。

 

 

愛犬が亡くなって、気持ちが沈んで無気力だった時に、少しずつ観始めた。

 

 

『リリーのすべて』

 

映画の内容の予備知識無く観始めたが、だんだん惹きこまれていって、一気に最後まで観てしまった。いつもは食事時とか、ながら的に細切れで見るのだが…。

 

 

Wikipediaによると、原作は、世界初の性別適合手術を受けた人物・リリー・エルベを題材とした、デヴィッド・エバーショフによる小説『The Danish Girl』、邦題: 『世界で初めて女性に変身した男と、その妻の愛の物語』、(本作の公開に合わせて『リリーのすべて』のタイトルで再出版)である。

なお、本作は史実からは脚色されており、エルベが女性として暮らすようになった時期や結末等は実際とは異なる。

 

 

エディ・レッドメインの演技は主人公の切なさを上手く表現していて、とても心に残った。

 

 

『ファーザー』

 

認知症によって過去の記憶と目の前の現実の境界線が曖昧になっていく高齢男性を描いている。主演はアンソニー・ホプキンス。

 

 

自分自身が認知症になったようで、何が現実なのか分からなくなってしまう。そんな感覚を体験させてくれた映画だった。

 

 

『眺めのいい部屋』

 

ヘレナ・ボナム・カーターという女優さんが好きで観たのだが、内容には特に感動は無かった。

 

 

その女優さんが、後日途中から見始めた映画『フランケンシュタイン』に出ていて、フランケンシュタイン役がロバート・デ・ニーロでもあったのでくぎ付けになり、またしても最後まで鑑賞。

 

 

ホラー映画の部類に入るのだろうか?それでも意外に心に残った。昔好きだったエイダン・クインを久しぶりに見て「やっぱりこの人好きだわ!」と思っていた。レジェンド・オブ・フォールをもう一度観てみたい。


 

ロバート・デ・ニーロがフランケンシュタイン役をしていたのには驚いたが、この映画の放映の少し前に見た『アムステルダム』にも彼が出演していた。

 

 

『アムステルダム』にはデンゼル・ワシントンの息子が主役級で出ていて、それにも驚いた。映画界もどんどん刷新されているのだなぁ。この映画は案外楽しめた。

 

 

『メイ・ディセンバー ゆれる真実』

 

(Wikipediaによると)、この映画は、アメリカで実際に起きた13歳の少年と36歳の女性の恋愛スキャンダルをモチーフにしているが、展開は大きく異なっている。タイトルの「メイ・ディセンバー」は「(結婚・恋愛で)親子ほど年齢の開きがある」を意味するスラングである。

 

 

この映画の後味は良くなかった。

 

 

『モンスター』

 

(Wikipedia によると)、この映画は、実在した元娼婦の連続殺人犯、アイリーン・ウォーノスの生涯を映画化したもの。美人の代名詞のようなシャーリーズ・セロンの鬼気迫る演技に圧倒されたが、これまた後味の悪い映画だった。

 

 

『砂の女』

 

画面は砂と汗まみれで、水をかぶりたいような気持で見続けたが、主演の岸田今日子さんや岡田英次さんがとても瑞々しくて(水々しくて)…。

 

 

具体的な感想を上手く書けないが、「生きる」ということについて深く考えさせられた。

 

 

作家安部公房の作品がまとめて放映されて、録画しておいた中の1本目が『砂の女』。他に映画化された『箱男』や『燃え尽きた地図』なども追々鑑賞しようと思っている。

 

 

一時期、安部公房の作品にハマっていたことがあるようで(?!)、本棚に何冊か並んでいるのを見つけた。

 

 

 

内容など全く覚えていないので、映画を観る前に原作を読んでみようかと思っている。

 

 

久しぶりに韓国ドラマから離れて映画を観た。映画には感動がある!

 

 

 

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愛犬の死で、骨折に関する記録が途絶えていた。

 

 

2ヶ月お世話になった転院先の病院を年末に退院して、1月からは週一回のリハビリに通っていたのだが、リハビリ期間は5ヵ月と決められていて2月末で終了のはずだった。

 

 

ところが、まだ腫れも痛みもありビッコもひいていたので、頼んでリハビリ期間を延長してもらった。療法士さんによると延長してもらえるのは1割ぐらいなのだそうなのでラッキーだということだった。(ちょっと裏工作してもらっての話なのだが…)

 

 

最初に手術をしてもらって救急で入った病院の執刀医が退院時に「またいつか診せに来てください」と言っていたので、リハビリに関して訊きたいこともあったので診察の予約の電話を入れた。

 

 

しかしながら、予約を取ろうにも数ヶ月先までいっぱいだったので、リハビリに通っている転院先の病院(地域連携指定病院)で紹介状を書いてもらってなんとか予約できた。

 

 

3月24日に手術してもらった病院へ行き、諸手続きを終えて、レントゲンを撮り、待つこと2時間!13時前にやっと呼ばれたが、私が最後の患者だったようだ。

 

 

レントゲンや私の歩き方を見て、まあまあ順調に回復ということで、リハビリに通う必要もないとのことだった。

 

 

そして今日3月27日は予約していたリハビリの日。紹介状を書いてもらった転院先での主治医に報告。ここでのリハビリも最後となり、10月末から5ヵ月に渡ってお世話になったお礼を伝えて、めでたく卒業となった。

 

 

その後、リハビリ室で最後のマッサージをしてもらって、療法士さんや看護師さんにお礼を伝えた。片道40分のドライブで通った病院だったが、あの辺りへ行く機会はほぼ無くなるだろう。

 

 

骨折後の通院がなくなったので、その分、自分でリハビリを続けることになる。とにかく歩くことだそうだ。寒い季節が過ぎたので痛みもずいぶん緩和されて可動域も広がった。

 

 

ストレッチ教室で習った様々な運動を「オバアチャン体操」として療法士さんに折に触れ伝えていたが、その先生が「腹が立つくらい理にかなっていて素晴らしい!」と大絶賛。

 

 

これからも体操教室での運動をまじめに実践していこうと思う。

 

 

今日はショータの忌明け。神道では50日目(仏教では49日だが)。毎朝ダンナが神棚でお参りをする時はいつもしばし横に座っていたショータだった。ショータの魂は何処へ…。

 

 

(1月20日に撮った写真。2月6日永眠)

 

 

 

 

 

 

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愛犬ショータが我々に「遺してくれたもの」をショータ追悼の最後の記事にしようと思う。

 

 

ショータは2008年9月23日に我が家の一員になった。あれから16年以上生活を共にして2025年2月6日に虹の橋を渡って行ってしまった。

 

 

私がお腹を痛めて産んだ息子二人が長男と次男で、次に、ご近所さんの兄弟犬をもらって家族になったのが三男坊のケンタ(犬太)だった。柴犬のミックスでコリーが4分の1混じっていて、散歩中にはよく「何犬?」と聞かれたものだ。

 

 

 

 

 
 
先住犬のケンタが亡くなった後、まだ同居していた次男が結婚で家を出ていくことになった。次男はあまり仲の良くないダンナと私の二人だけの生活を不安に思ったのか、緩衝材としての犬を飼うように勧めていた。

 

 

ケンタが逝ってしまった寂しさはあったが、二度とあの悲しい思いをしたくないと思っていた。ところが、「一度ペットショップなるモノを見に行ってみよう」とダンナと二人でケンネルへ向かったのだ。

 

 

そこで出会って、ダンナと見つめあったのがショータだった。その日、ケンネルの裏で売れ残ったワンコたちが劣悪な環境で飼われていたのを見てしまった。

 

 

我々は二人共「あの仔を助けてやらねば…」という思いで、急いでショップを再訪してショータを連れて帰って来たのだ。しかしあまりのヤンチャぶりに即後悔して、返品(品物では無いのに…)したいような思いだったのは前のブログに書いた通りだ。

 

 

ダンナは仕事で忙しい日々を送っていたので、ショータの世話や散歩は全て私の役割だった。しかし、ショータが3歳のころには私のリウマチが悪化して、ほとんど要支援状態になってしまった。

 


その頃からダンナはショータの世話に直接関わるようになった。ある日、ちょっとした事件があって、その時に私が思っていた以上に、ダンナがショータを可愛がっていることを知った左下矢印

 

 

 

 

ダンナは自分の息子たちに対してもそうだったが、孫たちにも自分から「おいで」と抱っこしようとすることなど一度も無かった。大切には思っているのだが、愛情表現が出来ないヒトなのだ。

 

 

彼には父親は存在していたが、複雑な家庭事情や家族関係が原因で、幼少時から(良くも悪くも)子供と関わる父親のモデルが無かった。

 

 

ショータはダンナに「慈しむ心」を芽生えさせて培ってくれたのだと思う。

 

 

また、ダンナと私の仲が険悪な頃に、二人で共同作業をしなければならないような身体の問題(顔を出したままのペニス)がショータに起きた。

 

 

ショータが8歳の頃に書いたブログの一部:

 

ショータの独り言:

 

 〈昨日はビョーインへ行って寝てしまったようだけど、目が覚めたらビョーインのケージの中にいました。頭もスッキリしないし身体もダルイので大人しくしていました〉

 

〈オトーサンとオカーサンが診察室へ来たので、ボクはまた診察台に乗せられました〉

 

〈口の周りの髭を切られたけど、歯石はフツーに掃除できたようです。でも、ボクのおチンチンに問題があったようです。顔を出したままのおチンチンが入らずに炎症を起こしていて、ボクが眠っている間に先生が処置をしてくれたようです〉

 

オトーサンとオカーサンはおチンチンの処置の仕方の説明を熱心に聞いていましたが、どうやら二人で協力しなければならないようです

 

〈5月に大ゲンカをして以来、接触を避けているオトーサンとオカーサンですが、ボクのためにどうしても共同作業をしなければならなくなりました

 

やっぱりボクはカスガイです

 

 

散歩に出かける前には、草むらに入って傷つかないように、ペニスを納める共同作業を続けてきた。8歳のこの頃から16歳を過ぎてもなお続いていた。

 

 

昨年の骨折で3ヵ月の入院を余儀なくされたが、ダンナは一人で納める術を会得していた!

 

 

そして、私の入院によってショータの晩年の3ヵ月という長い時間が、ダンナとショータの2人だけで過ごす密度の濃い時間となった。

 

 

その間には、ショータは血尿を繰り返したり、ご飯を食べなくなったり、散々ダンナを心配させた。ダンナは私の入院中にショータを死なせてはならないと必死で世話をしてくれていた。

 

 

そんな生活の中で、ダンナはショータという大切な存在の心身の健康を気遣い、ありったけの努力でショータを守ってくれた。

 

 

ショータの育児記録まで書きながら、必死で健康を守って育ててくれていた中、ダンナ自身が学んだことが大きかったようだ。大切な家族を自分が主体的に守るということだ。

 

 

退院してからの私への気遣いも以前にはなかったことで、様々な面でダンナの意識が変わっていたのに驚いた。ショータがダンナを育ててくれたと思った。

 

 

骨折した意味をつらつら考えた時期があったが、誰もが「ちょっとゆっくり休んだらいい」と言ってくれていた。確かに抱えているものが多くて休養出来たのはありがたかった。

 

 

しかし、1週間や1ヶ月の入院ではなく、3ヵ月という時間がダンナの意識改革に必要な長さだったのだということに思い至った。

 

 

この骨折騒動は、今後のダンナと私の老後の2人の生活の基盤作りに与えられた試練だったような気がする。そこにはショータが大きな役割を果たしてくれていたのだ。

 

 

次男の勧めに従って、ウチに来たショータは我々夫婦の【かすがい】の役割を果たし、「大切な人は自分が守る」という姿勢を身をもって教えてくれたと思う。

 

 

ダンナと私は、ショータの思い出話をしながら、ショータの気配を感じながら、時々たまらなく会いたくなって、抱きしめたくなって、胸を詰まらせているが、ショータは我々のそばに居て相変わらず【かすがい】になってくれている。

 

 

「しぃちゃん、ありがとう!オトーサンとオカーサンは仲良く元気で頑張って生きていくよ!」