アブエリータの備忘録

アブエリータの備忘録

Yesterday is history,
Tomorrow is a mystery,
Today is a gift.
That's why it is called "present".

 

ここ数ヶ月のランチや夜の会食の相手はぜーんぶ高校時代の同級生だった。

 

 

① 同級生K君が春の叙勲を受けて、その祝賀会に招待された。

 

 

住んでいる地域の周辺でも受賞した人が何人かいるのだが、そのうちの2人はよく知っている人。2人とも揃いも揃って「人としてどうなん?」と感じる人たちだった。

 

 

近くに住むT氏は、特殊な商品を扱う商売をしてきたことで受賞したらしいが、実際は奥様の家の商売を継いで、実質的には奥様が作業をされていて、本人はいつも町内をブラブラと歩いていた。

 

 

このT氏、叙勲が決まる前だったか、推薦者に「あと、町内会長と氏子総代とかの肩書でもあれば…」とでも言われたようだ。

 

 

そして、クーデターを起こして長年町内会長をしていた人を押しのけて会長になり、町内の氏子代表にもおさまって叙勲を受けた。もともと嫌いなタイプの男だったので、この時、「叙勲ってなんやねん!」と感じたものだった、

 

 

もう一人は、ダンナが祝賀会に呼ばれて出席した、学区の自治会長をしていた傲慢なジイサン。詳しくは書かないが、これまた人としてはすこぶる評判の良くない人だった。

 

 

叙勲とは国や地域への貢献の度合いなので、人となりは全く関係ないようだ。

 

 

K君は、地域のために尽力してきた人でとても頑張って来たのは身近にいて充分わかっている。たまたま良くない例が身近にあったので【叙勲】なるものを評価できない私ではあるが、K君の受賞は祝ってあげようと思った。

 

 

本人は、叙勲がとても嬉しいらしく、ホテルで大規模な祝賀会を催した。私も同級生として招待状が届いたので出席したが、各分野の招待客で130人超の大々的な集まりだった。

 

 

祝賀会では高校時代の同級生は同じテーブルに配置されていて、お馴染みの人たちとのミニミニ同級会となった。

 

 

6月末にゴルフの後の会食に誘われて参加したし、叙勲祝賀会の半月後には恒例の夏のゴルフコンペがあり、その後の宴会に誘われて参加した。どちらも行きつけの居酒屋で、いつもの顔触れと数人の関東からの同級生12人が集まった。

 

 

ここ2ヶ月で3回も同じようなメンバーの同級生と会食をしたということだ。〈もう当分ええわ〉

 
 
② 京都在住の同級生Nちゃんが月に1回浜大津へ来ることになったので、久しぶりに会うことになった。浜大津のイタリアンレストランのランチコースを食べながら、喋る喋る。

 

(お料理はもう一品あったが写真を撮り忘れた)

 

 

 

京都のデパートへNちゃんの個展を見に行って以来なので、積もる話は山ほどあった。話題は主に同級生の噂話だったかなぁ。1学年で女子は120人くらいだったので、名前しか知らない人も多いが、それでもいろんなエピソードが面白かった。

 

 

レストランでの時間だけでは短いので、この日はNちゃんを京都の家まで送っていくつもりで車で来ていた。Nちゃんは京都市の北の方の大邸宅に住んでいる。

 

 

車の中でもワイワイ喋りながら、1時間のドライブ。Nちゃんは外国での展覧会出品の件で、来週から10日間ほど海外へ行く予定だそうだった。

 

 

玄関横で降ろして、大邸宅の庭で穫れたブドウとアゼルバイジャン土産のチョコレートをもらい、10月の再会を約束して帰途についた。〈しかし京都岩倉は遠いなぁ!〉

 

 

③ そして先週は高校の同級生Sさんと隣町のホテルのレストランでランチ。

 

 

 

ランチの後は喫茶店へ移動して、少し込み入った話を聴いてもらった。この話はSさんだからこそ理解してもらえると思っていた。

 

 

話しているうちにだんだんと整理が出来て、悩みの核心がクリアになってきた。

 

 

お互いの中学時代(それぞれ別の中学校出身)の思い出も話題になった。

 

 

あの高校で多感な時期を過ごしたことが、人生に大きな光と影をもたらしたのだと、改めて腑に落ちた。〈ここまで引きずっているとは・・・〉

 

 

 

 

 

7月中旬、カウンセリングを共に勉強した友人(Sさん)と久しぶりにランチをした。

 

 

Sさんは私より2歳年上で長年看護師さんをしていて、大学の保健室で心理相談もしていた人。

 

 

それぞれの孫たちのことから昨今の子供たちの発達障害について話していた所、彼女も私も『窓ぎわのトットちゃん』という本を気にしていたことが分かった。

 

 

 

40年前に出版されてずいぶん話題になった本だが、彼女も私も読んだことが無かったので、改めて一緒に読んでみることになったのだ。

 

 

作者の黒柳徹子さんが子供のころに通っていた小学校でのエピソードが書かれていて、その数60話以上。短い短編の短編集(?!)で、次々と読み繋いでいたらアッという間に読了してしまった。

 

 

唯一付箋を貼った部分: その小学校の校長先生が、子供たちが生まれつき持っている素質を、どう、周りの大人たちが損なわないで、大きくしてやれるかということを考えて、取り入れたのがリトミックで :

 

「文字と言葉に頼り過ぎた現代の教育は、子供達に、自然を心で見、神の囁きを聞き、霊感に触れるというような、官能を衰退させたのではなかろうか?

 

 古池や 蛙とびこむ 水の音・・・・・池の中に蛙がとびこむ現象を見た者は、芭蕉のみでは、なかったろうに。湯気たぎる鉄瓶を見た者、林檎の落ちるのを見た者は、古今東西に於いて、ワット一人、ニュートン一人というわけで、あるまいに。

 

世に恐るべきものは、目あれど美を知らず、耳あれども楽を聴かず、心あれども真を解せず、感激せざれば、燃えもせず・・・・・の類である」

 

 

このように嘆いていた校長先生が、「いい結果を生むに違いない」と授業に入れたものだった。

 

 

そして、トットちゃんは、イサドラ・ダンカン風に、はだしで走りまわり、とびまわって、それが授業だなんて、すごくうれしいと思っていた。

 

 

イサドラ・ダンカンという名前を見て、とても懐かしく、胸がキュンとなった。独身の頃、中古のステレオセットでよく聴いていたのがポールモーリアの音楽。中でも好きだったのが『裸足のイサドラ』というこの曲だった。

 

 

話が逸れてしまったが、黒柳さんは自分がADHDという障害を持っていることに驚いたというエピソードをどこかで読んだことがあった。

 

 

【黒柳徹子さんの国民的ベストセラー『窓ぎわのトットちゃん』では、徹子さんが多動な小学生だったことが明かされています。多動ゆえに小学校を退学させられた徹子さんは、ユニークな教育方針を貫くトモエ学園に転校して、その個性を伸ばせるようになりました。

 

『私ってLD(学習障害)だったの?』(新潮文庫『小さいときから考えていたこと』に収録)というエッセイにおいて、徹子さんは自身の発達障害について語っています。】

 

 

小学1年生になった孫が自閉症スペクトラムと診断されたというので、Sさんにそのことを相談したかったのだ。Sさんのお孫さんもグレーゾーンだったとのこと。

 

 

孫が保育園に入ったころ、2月生まれなので発達が遅いのは当たり前で、保育園への行き渋りも長く続いたようだった。以前に私が書いたブログにこんなくだりがある下差し

 

≪昨年2月に3歳になった孫は、同じ私立の園の保育園生から幼稚園生になった。幼稚園となると、ただ遊ばせるだけではなくお勉強らしき時間も増えてカリキュラムががらりと変わったようだ。

 

時々、園での様子を写真や動画で公開してくれるのを観ても、全く笑顔がなく、園ではじっと我慢をしているようだ。4月生まれの同級生との差は大きく、まだオムツをしている孫がついていけるわけがない。

 

4月以来、新しい担任の先生とほぼ口をきいていないと言われたそうで、ママである次男のお嫁さんは【場面〇黙症】ではないかと不安になっていた。≫

 

 

我々とは普通に話をするし、町内の行事では近くに住む人や町内会長さんとかとも親しく話しているので、人見知りではあるが、信用できる人をきちんと見分けているようだ。

 

 

今年の春、なんとか保育園を卒園して小学校に入学。周囲の心配をよそに、孫は学校が楽しいらしく、進んで行っているのだ。嬉しい誤算ではあるが…。

 

 

私は、保育園、幼稚園での学習一方の生活がトラウマになっていたのではないか、保母さんは信用できない人だったのではないか…と想像している。

 

 

しかし、父親である次男は日頃の生活から、「時々スイッチが入る。絶対自閉症や!」と言っている。自閉症には人の数だけ多様な症状があるようだが、孫の場合は軽度の方だろう。

 

 

Sさんは、児童心理相談機関で働いているお友達にも相談してくれた。大きな病院の児童心療内科などでセカンドオピニオンをもらった方がいいとのアドバイスだった。

 

 

孫は保育園・幼稚園時代にずいぶん我慢をして園生活に耐えてきたのではないかと思っている。だから、これから本人が好むいろんな経験をさせて、成功体験を増やしていけば、、そんなトラウマ(?)から脱せられるのではないかという気がしている。

 

 

孫は、支援の必要な子供達の学童グループに参加してとても楽しんでいるようだ。近所に住むダウン症のお兄さん(孫の兄の同級生)が大好きらしい。

 

 

この孫は、嘘のない自然体の人を見分けるのが得意なようだ。

 

 

こんな本が目に入ったので買ってみた。

 

 

 

子供の脳の発達は順番があるようで:

 

①からだの脳 (呼吸・体温調整など生きるのに欠かせない機能を担う)

②おりこうさん脳(言葉・計算の能力、手指を動かす力など勉強はスポーツに関わる)

③こころの脳(想像力を働かせる、判断するなど、「人らしい能力」を司る)

 

 

①②③という順に育つのが大事らしい。土台ができていないとバランスが崩れやすいということだ。

 

 

Sさんも幼稚園生活でのトラウマ説が有力だと感じたようだ。自閉症であっても、本人が機嫌よく過ごしてくれればそれでいい。
 

 

 

 

 

どうしてもギターをあきらめきれなくて、弾ける方法をじっくり考えてみた。

 

 

リウマチが悪化した時に、両肘と両手首の骨が破壊されてしまって、両手首の可動域が極端に制限された。今でも肘が変形してしまって真っ直ぐに伸びない。

 

 

その時に身体障害者4級の手帳をもらった。しかしながら、長年の治療によって、一応寛解状態ではある。変形した個所は取り戻せないが、動きに関してはずいぶん改善された。

 

 

ギターを弾くときは左手でフレットを押さえて、右手の指で奏でる。私のリウマチは指の骨は破壊されずに済んだので、右手は今でもよく動く。しかし問題は左手なのだ。

 

 

手首の可動域が極端に狭まって以来、フレットが強く押さえられないし、届かなくなった。かろうじて運指が出来てもピチカートのような音(?)しか出ない。

 

 

それでも続けていれば少しはリハビリにもなるかと思って何回もトライしたが、全く楽しむこともできず、努力をしようという意欲も失せて、諦めざるを得なかった。

 

 

もともと小さい手なので左手が届く範囲には限界があり、弾きたくても弾けない曲が多かった。だから普通サイズのギター(プリムギター)も少しだけ小さめサイズを使っていた。

 

 

所有のプリムギターの保証書を見ると、1984年の誕生日(35歳の時)に購入していた。実に40年前!

 

 

ギターアンサンブルで合奏を楽しんでいた時は、アルトギターを担当していた。普通サイズのプリムギターよりもずいぶん小ぶりなので、何の問題も無く楽譜通りに弾いていた。

 

 

しかしアルトギターはあくまで合奏用で、そのギターでソロの曲をじっくり弾くことはない。アルトギターをプリムギターの音域に下げてみたものの、サイズが小さいとはいえ、やはり左手の届く範囲は狭く、いい音は出ない。

 

 

ある日、ふと〈プリムギターのミニサイズならどうだろうか?〉と考えて、ネットで検索してみた。そして、ギターのボディの厚さが薄く、ネックの長さが短い初心者用のギターを見つけたのだ。子供や初心者向けのギターなので価格も安い。

 

 
 
 
 
 
 
 

 

Amazonで注文する前に、モール内の楽器店へ行ってみた。現物は無く、気に入らなければ買わなくてもいいということで取り寄せてもらうことにした。

 

 

届いたギターはアルトギターよりもずいぶん薄く、胸に抱えた時のボリューム感が少ないので、ネックに手が回ってフレットを強く押さえられそうだ。

 

 

Amazonと同じ価格だったので、即お持ち帰りとなった。

 

 

今回買ったミニギター(左)と長年使ってきたアルトギター(中)とプリムギター(右)を並べてみた。

 

 

 

ミニギターとアルトギターの大きさやネックの長さは変わらないが、ボディの幅がずいぶん違う下差しアルトギターはやはりコンサート用で共鳴箱が大きい。

 

 

 

この共鳴箱となるボディの大きさや木の材質、その他によって音色に差が出るのだ。

 

 

こうして比較してみて、加齢によって身体が縮んでしまったバアサンの、リウマチで変形して曲がってしまっている肘には、もう大きなボディは無理だということが分かった。

 

 

ミニギターは確かに左手のフレットが押さえやすい。しかし、あまりに狭いので、今まで通り弾いてみると、1フレット先にはみ出ることもある。

 

 

これはあくまでギター初心者や小学生のためのギターなので、弾きやすいのは確か。押さえも効くので、そこそこ一曲を通して弾ける。が、悲しいかな、この音色では…。

 

 

リウマチの状態が最悪の時には、首の後ろに手が届かず、自分の背中のボタンを留められなかったものだが、今はなんとか留められるようになっているし、出来ることがうんと増えた。

 

 

ミニギターで力をつけて(つくものがどうかはわからない)、いずれまたプリムギターが弾ける実力をつけられたら…と思っている。

 

 

そんな効果を期待しながら、弾くことを楽しみたい。