夫婦問題:修復のための間違った手紙の書き方の考え方 講義①
はい。こんにちは。松浦です。
表題の件、「修復のための間違った手紙の書き方の考え方!講義 ①」
について少しお話をさせていただきますね。
今まで、修復に関係する手紙の代案を1万通以上書いてきたわけです。
もちろん、僕の案が最適と言い切ることはできませんよ。
ただそれでもね、クライアントの方が持ってきてくださった手紙を見ていて思うのは、
ごめんなさいね。ちょっとイヤな言い方になるかもしれないけど、ハッキリ言えば、
それって余計に嫌われるし、内容が怖く感じる・・というものです。
理由は、
その手紙には、一人称である「私」しか存在していないから。
相手は、イヤだっていって、離婚をしたいと言っている方です。
理由は様々だけど、それでも、日常生活の中で、
「俺」「私」っていう、自分の主張が強かったケースも多くて、
つまり、我を通してしまっていた・自分が正義だと思っていたっていうこと、
それが続くとどうなるかって言えば、
簡単にいえば、「夫婦で、家族で同じ方向を向いて生活してるっていう実感が無い。あなたが独裁者のように感じる」というものです。
そういうように感じてしまうっていうことです。
それがいつしか、モラハラのように感じられてしまうと言ってもよいかもしれません。
そんな状況なのに、手紙の中でも、「私」「俺」っていう、そこからスタートして、
自分の気持ちのオンパレード、
そんな事になっちゃうと、「変わってない」と思われてしまうわけですね。
それくらいならまだよいかもしれないけど、それ以上に辛いのは、
「あー、やっぱり、自分が思ってた通りだった。手紙を読んで、再確認できた!」って
いう風に、再確認されちゃうっていうことです。
つまり、再確認されて、あなたの額に、「自分本位な人」っていう、
貼られたラベルを強化されてしまうっていうこと。
そして、強化されたラベルを上書きしたり、貼り直したりするっていうのは、
よほどじゃないと難しくなるよっていう話です。
なら、どうすればいいのっていう疑問が浮かぶと思うんだけど、
まずひとつ言えることは、
自分と相手の気持ちの両方が同じバランスか、または、相手の方の気持ちの想像の方を、少しだけ多めに書くっていうことだと思うわけです。
それで、変わったね・・と簡単には思われないかもしれないけど、
それでもね。
自分の主張ばかり書いてしまえば、
相手としては、「何が悪かったのか分かってる?」という気持ちにならないのかなと思うわけです。
漠然と、あれが悪かった、これが悪かった、私はこうなっていきたい、改善するって書かれても、その裏側には、「だから修復してよ」という要求が透けて見えるし、
そういう押し通そうとするところが嫌だっていう場合には、
「やっぱりね、こちらの気持ちは置き去りなんですね・・」となってしまうわけです。
もちろん、謝罪は必要だと思いますけど、その謝罪っていうのは、
純粋性があった方がよくて、少なくとも、要求には聞こえないように考えるっていうのは、
とても重要だと思いますよ。
どうすればよいかが分からない、どう考えていけばよいか分からないっていう場合には、
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