エジプト人シヌヘ 下巻

ミカ・ヴァルタリ




アテン神への傾倒を益々強めるファラオ。

テーベを離れ、アマルナの地に新たな都アケトアテンを建設し、自らはアクエンアテンと名乗る。

一方的にアメン信仰を弾圧したことで、エジプトを騒乱に陥れる。


アクエンアテンに従いアケトアテンに向かったシヌヘだったが、アケトアテン宮殿での生活は享楽と頽廃に満ちていた。


時折戻るテーベの街が、見る影もなく荒廃していることに衝撃を受けながらも、シヌヘはアクエンアテンを見捨てることができず、アケトアテンへと戻っていく。


宮殿の外側に満ちる飢餓、貧困、暴力、絶望はアクエンアテンには届かない。


国の混乱に目を向けず、アテン神への狂信にのみ生きるアクエンアテンは、アイとホルエムヘブにとって邪魔な存在になりつつあった。

やがてアクエンアテンの生命が尽きる時が来る。


ホルエムヘブは、エジプトの混乱に乗じて侵略を狙うヒッタイトとの外征に明け暮れていた。

勝利を収めてエジプトにかつての繁栄をもたらすが、シヌヘとの決別の時がやってくる。


さて怒涛の下巻です。

この下巻はとにかく辛い苦しい。
戦いに次ぐ戦い。
亡国の気配が漂う、王朝終末期騒乱の時代。


前半は、アクエンアテンがもたらした混乱が描かれる。
アクエンアテンが目指すのは、アテン神のもとに誰もが平等で戦のない世界。

現代の感覚からすると、その理想は立派で至極真っ当なもの。
しかし、固定化した身分制のもとに生きる人々にとっては全く理解が及ばないものだった。
時代が早すぎた悲劇。

しかも、当時絶大な権力を握っていたアメン神官を完全に敵に回したために国を二分する騒乱が巻き起こる。

施策を伴わない政策は脆い。
理想だけでは国は動かせない。
そんな無力感に襲われる。

本来人の心を救うはずの信仰心が、他者を排除する原理にもなり得る恐ろしさは、現代にも通じる普遍的な問題だ。


その混乱の中で、シヌヘは危うく揺れる。
まったく、読んでるこっちがヒヤヒヤするじゃないの。
上巻で、アメン神への不信、アテン神への希望が仄めかされていたので、シヌヘがアテン神を選ぶのは不思議ではないが、かなりの入れ込み様で…

さらに降って湧いたように自らの出自の秘密に手が届きそうになる。
正直その設定は忘れてたから、ここで出てくるのか、と不意打ちを食らった。
本当に残酷な運命の悪戯だ。
でも、はっきりそうだと明言されないあたりが余韻を残す。

アメンvsアテンの騒乱の中で、シヌヘは大切な人たちを呆気なく亡くす。
そろそろ目を覚ませと思うんだけど、修羅の道を進んでいく。
とうとう自らの手も血に染めた挙句、全てを失う。

ひたすら運命に翻弄され続けた一生のようだけど、やっぱりこれはシヌヘ自身が選んだ道とも思える。
自分を取り巻く世界との関係の中で生きていくしかない。
人生とは案外こういうものなのかもしれない。

だからこそ、全てを失ったはずなのに、シヌヘには、悲壮感よりもどこかやり切った感が漂うのかもしれない。


重苦しい展開が続く中、物語の狂言回し的な役割を果たすのが、シヌヘに付き従うカプタ。

下巻では、シヌヘと別行動を取ることが多いが、常にシヌヘの助けとなろうとする。
奴隷という出自ながら商才を発揮して最後は貴族に並ぶ富と地位を手にするカプタの存在が、物語の中で数少ない希望であり、身分制への挑戦に思えた。


そして一応書いておこうと思うのが、トゥト・アンク・アメン。
若くして亡くなっていることもあり、エジプト史においてそれほど重要な人物ではなかったはずなんだけど(だからこそ墓が盗掘を免れて現代まで残ったという皮肉)、それにしても影が薄すぎやしないかい。
あっという間に退場じゃん。


読んでいる最中には気づいてなかったけど、この本が刊行されたのはなんと1945年!

世界各国で翻訳されてきたが、日本語訳は英語抄訳からの翻訳しかなく、全文が邦訳されたのは今回が初めてとのこと。

作中で戦争の悲惨さがこれでもかと描かれるのは、第二次世界大戦が影を落としているのは間違い無いだろう。


作者のヴァルタリ氏は、実際にエジプトを訪れたことはなく、文献収集によってこの壮大な物語を書き上げたというから驚きだ。

ヴァルタリ氏の生きた時代から、考古学は科学技術を駆使して飛躍的に発展しているが、それでもこの物語の魅力が損なわれることはない。
例えば、ツタンカーメンの出自は、DNA鑑定で明らかになっている。物語中では、彼はファラオの血筋を引いていない設定。

全体的に、奴隷制への扱いは時に暴力的だし、戦闘となれば恐ろしく野蛮に人が殺され、女性は性愛の対象としか認識されないような、プリミティブな社会の様子が随所に現れるのに少し抵抗があったことは若干のマイナス点。

それを差し引いても、80年前にこれだけの作品が生まれていたことに衝撃を受けたし、全文が邦訳されたことはとても意義があると思う。

振り返ってみると、長さをあまり感じなかった気がするけど、やっぱり最後のページに到達した時には何かやり遂げた感を覚えた。
読み終えてから数日は次の本を読もうという気が起きなかったくらい。
なんたって人生ひと回り体験してきたからね。


【書誌情報】
『エジプト人シヌヘ 下巻』
ミカ・ヴァルタリ
セルボ貴子訳
菊川匡監修
みずいろブックス、2024(原著1945)