イギリス人の患者

マイケル・オンダーチェ





イギリスで最も権威ある文学賞、ブッカー賞。

その50周年を記念して歴代受賞作の中から選ばれたベスト作品と聞けば、読まないわけにはいかない。
これぞ、というゴリッゴリの海外ブンガクを久しぶりに読んだ。


時は、第二次世界大戦のさなか。
舞台は、イタリアはフィレンツェの北、トスカーナの丘に建つサン・ジローラモ屋敷。

かつて尼僧院だったが、戦時中ドイツ軍が占拠し、彼らの撤退後は連合軍により病院として使われていた。

連合軍が引き上げた後、屋敷に残ったのは全身重篤なやけどを負った正体不明の「イギリス人の患者」と、彼を看病するカナダ人のハナのみ。

戦争の色も少しずつ薄れ、静かな生活を送る2人。
「イギリス人の患者」は自らの過去に思いを馳せる。


正直なところ読み初めは、うぅむ…という感じ。
これはどういう物語なのか、どこへ連れていかれるのだろうかという戸惑い。
どんどんページを繰るという感じではないが、そのまま読むのをやめるわけでもない。

これが物語の力なのか…
と思っていたら、あとがきによると、原作出版当時から、
最初の10ページで、挫折する人とハマる人が決まる
という声があったようだ。
ハマる、まではいかなかったけど、最後まで読めたことを思うと、この本に選んでもらえたのかなとは思う。


ハナと患者の奇妙な生活に、さらに2人の男が加わる。
ハナの父親の友人で元泥棒のカラバッジョと、ドイツ軍が残した地雷の撤去作業を行うイギリス軍工兵キップ。

4人が出会った時、物語が明確に動き出す。
「イギリス人の患者」、カラバッジョ、キップそれぞれの過去が明かされていく。


物語全体を戦争の陰が覆っている。

ハナはこの屋敷に来る前から、傷病兵の看護に当たっていた。
数えきれないほどの死を間近で目にし、心は壊れる寸前。
カラバッジョ、キップも戦争により疲弊し、トラウマを抱える。

直接的な戦闘シーンは描かれなくとも、そこに身を置いた人たちに深い傷跡を残している。
ハナとキップはまだ20歳そこそこ。
その年齢の若者には過酷すぎる戦争体験だ。


月並みな表現になるが、
戦争はあらゆるものを壊してしまうと改めて感じる。
家や街、人の心、そして多くの人の未来。

この戦争がなければ違う人生を歩んだであろう4人。
しかし彼らがこの屋敷で出会えたのも戦争があったから。
この出会いが、傷ついた彼らの心を癒してくれるのかと思った矢先にやって来たあの日。


1945年8月。

正直ラストの展開は唐突な感じがした。
解説を読んで多少理解はしたのだけど…

キップは、自分の技術と知識を頼りに、命懸けで、文字通り爆弾に齧り付いて数えきれないほどの脅威を無力化してきた。
その過程では、仲間や恩師を失う経験をし、心身共に疲弊している。

そんなキップにとって、対峙する暇さえ与えず頭上で炸裂し全てを破壊するこの兵器の存在は、どうしても許容できないものだったに違いない。
戦争という有事とはいえ、そんな恐ろしいものを生み出し、躊躇いなく使用したことも。

キップの怒りの矛先はイギリスという国へ向かう。
その思考プロセスはわからなくもない。

が、その怒りは、キップがサン・ジローラモ屋敷での暮らしで、ハナ、カラバッジョ、「イギリス人の患者」と築いてきた個人的な関係を上回るものなのだろうか。
そこがもうひとつ釈然としない。

キップが言葉を交わし、心を通わせてきたハナや「イギリス人の患者」の存在は、国という実態を持たないものが簡単に追い越してしまうほど軽いものだったのだろうか、、、

それとも、イギリスのインド人というキップのアイデンティティの問題なのだろうか。
イギリスとインド、帝国と被植民地の問題が陰を落とす。
半ば強引でも、描いておきたいという作者の思いもあったのだろうか。


脳内に鮮明なイメージが浮かぶような印象的な場面が散りばめられている。

爆撃で半分崩れた屋敷に落ちる月影。
灼熱の砂漠に落ちる燃える飛行機。
その後部座席に眠る最愛の人。
暗い穴の中で対峙する爆弾。
疲弊した兵士を見下ろす壁画と彫刻。

決して明るく楽しい物語ではないのに、描き出されるイメージはどれも美しい。


まとまりのない紹介に、なってしまったが、ゴールデン・マン・ブッカー賞受賞も納得の、不思議な力を持つ作品だと思う。

が、カズオ・イシグロのファンとしては、同じくブッカー賞受賞作『日の名残り』よりも好きかと言われると、、、それは別の問題。


【書誌情報】
『イギリス人の患者』
マイケル・オンダーチェ
土屋政雄訳
創元文芸文庫、2024(原著1992)