『完全犯罪の恋』

田中慎弥




冴えない中年作家田中は、静と名乗る大学生と出会う。
静は、田中の高校時代の同級生、真木山緑の娘だと言う。

静の求めに応じ、田中は緑と過ごした日々を語り始める。


田中慎弥さんは、とても気になる作家さん。
「好きな」でもあるけど、「気になる」がより正確な気がする。

『共喰い』で芥川賞を受賞された際に、「もらっといてやる」発言が脚光を浴び、その個性にも注目が集まった。

高校卒業後から引きこもりのニートで、作家デビューするまで就労経験はなし。
スマホ、パソコンの類は持たず、執筆は紙に鉛筆。
しかもジャンルは純文学。

陰キャ非リア充にカテゴライズされそうなキャラクターに何だか親近感を持ってしまうし、その一方で、騒がしい周囲の雑音を意に介さず自分の作品を書くのみという気概と実力が眩しい存在でもある。

作家さんに注目して作品を選ぶというのが初めてだったので、それ以来とても気になる作家さんなのです。

たまたま近著で目に止まったのがこの作品。
なんたって田中さん初の恋愛小説。
一体どんな恋愛を書くんだろうとかなり興味津々。


結論から言うと、作家の田中が語る、高校時代の緑との恋は痛々しいくらい不恰好だった。
田中も緑も結局のところ自分のことしか見ていない。

田中は、緑にちらつく幼馴染の影を追い払うことも追求することもなく、思考は自己の内へ内へと閉じこもっていく。
やがてその想いは若干の狂気を孕んで緑に向かう。

緑も緑で、そもそも田中に近づいたのは彼女の方からにも関わらず、幼馴染と田中の間で揺れる。
田中に好きにさせてたのは果たして彼女の意志なのか。
それとも一時の気の迷いか。

と、神の視点の読者は、あーだこーだと好きなことが言える。
でもでも、ちょっと待て。
実際に恋愛の最中にいたら、神の視点で達観してはいられないでしょう。
世界は自分の目の前だけ。
好きと嫌われたくないの狭間で、程度の差はあれ、誰しも無様にのたうち回る。

純文学っぽい味付けとデフォルメはありつつも、恋愛当事者のあたふたする感じがよく出ているんじゃないかと思った。


作中の田中が高校時代を回想する構成も面白い。

静は「事実」を教えろと田中に何度も迫り、田中もそれに応えようとするが、果たして30年も前の「事実」を語ることは可能なのか?

そして、誰かに語られた時点で、客観的な事実というものは存在しない。
田中の語る内容が全くの虚偽とは思わないが、静に聞かせるための「事実」だった可能性は否定できない。

そして、作中の田中が、明らかに筆者の田中さん自身をモデルにしている点。
読者が目にする物語は、作者の田中さんと作中の田中、二重のフィルターを通して偏光されているわけだ。

導入で、作中の田中と作者は別物との記述があるが、敢えてそれを記すのは逆に意味深では、、、
あえて作者本人を投影した人物を主人公に据えた意味があるとすれば、この物語のどこか一部は実体験なのでは、、、などと、想像は膨らんでいく。

しかし図らずも、高校生の田中と緑は、文学における作者と作品は一体化したものかどうかという議論を交わしている。
それが恋の終わりの悲劇にも繋がっていくわけで、この辺りを狙っての、私小説風スタイルなのかもしれない。

作品にどこまで作者の影を見るか。
これまであまり気にしてなかったけど、こういう作品を読むとやっぱり、主人公=作者のイメージが湧いてしまう。


なぜ静は高校時代の恋の真実を知りたがるのか、という謎の答えも、文学談義の延長線で明らかになり、鮮やか。
もうちょっと現在の緑の声も聞きたかったなとも思うけど。


田中と緑との関係は、純粋で、複雑で、情熱的で、どうしようもない所まで行ってしまって、その点ではこんな恋愛したい!とは思えないけど、二人が文学に向けた想いは真っ直ぐで、そうした情熱を共有できる相手を見つけられたことはただただ羨ましいと思った。

もし私の学生時代に、好きな本や作家について語り合える相手がいたら、どんなに楽しかっただろう。
本以外でも、これが好き!というものを共有できる相手がいれば、、、と叶わなかった夢を見せつけられるようで、少し胸が痛くなったよ。
ちなみに私も川端康成は好きだ。


やっぱり、田中さんはとても「気になる」作家さん。


【書誌情報】
『完全犯罪の恋』田中慎弥
講談社文庫、2022(原著2020)