『厳冬之棺』孫沁文




上海の郊外に位置する湖心公園。

かつて富裕層向けレジャーランドとして整備されたが、今やその賑わいはない。

現在この地に住んでいるのは地主一族のみ。


胎湖のほとりに立つ大きな屋敷に暮らす陸家の人びとだ。


ある日、長男の陸仁が離れの地下室で死んでいるのが発見される。

地下室の入り口は、連日の大雨により完全に水没しており、現場は完全な密室だった。



刑事の梁良と冷璇は事件の捜査にあたるが、密室の謎は解けない。


やがて第二、第三の密室殺人が起きる。



梁の友人で、人気漫画家の安縝は、非常勤似顔絵師として度々警察の捜査に協力してきた。

しかし目下、自身の漫画のアニメ化にあたり、ヒロイン役の声優を探すことに忙しい。


ところが、偶然見つけたぴったりの声の持ち主鐘可は、陸家の屋敷内に部屋を借りていて、事件に動揺していた。


鐘可に憂いなくヒロイン役を引き受けてもらうため、安縝は鐘可に陸家の事件を解決することを約束する。


初めて華文ミステリを読んでみた。

とはいえ、日本のミステリにお馴染みの設定で、海外ものを読んでいるという感覚はあまりなかった。

旧習に囚われた一族、大きな屋敷、不可解状況での殺人。

おまけに巻頭には、お約束の家系図と屋敷の見取図まで。

館ミステリの基本はバッチリといったところか。


作者の孫さんはきっと日本ミステリが好きに違いない。

そして間違いなく『踊る大捜査線』のファンだ。

それだけで親近感が3割増しになった。



「密室の王」と呼ばれる作家さんだけあって、独創的な密室殺人が3件登場する。


どのトリックもユニークだ。

トリックの概要が先にあって、それに合わせて部屋や屋敷を創作しているのだろうけど、そういう作為的なところを感じさせない。


ただ、具体的にイメージできなかったトリックがひとつあったのが少し残念。

確かに可能かもしれないけど、かなりトリッキーな状況過ぎやしないかいという感じで。



まるで横溝正史の作品に出てきそうな地方の名家を舞台にしているが、これは現代の作品。


ワトソン役の鐘可は声優のたまご。

若者が希望を持って目指す職業として声優が描かれているのは現代的だ。

華やかな業界の厳しい現実も垣間見せる場面もある。


陸家の中にオタクのニートがいたりするのも現代的だ。

旧習と現代性が違和感なく同居しているのが、上海という土地柄なのかは中国に行ったことのない私にはわからないが、日本の作品とは少し違う空気を感じた。



ミステリにおどろおどろしい伝説はつきもの。

この作品のモチーフは、赤ん坊。


事件現場に残された胎児の臍の緒と、胎児殺しの伝説がオカルト的な妄想をかき立てる。

孫さん絶対『姑獲鳥の夏』読んでるよね?


いかなる理由があろうとも、命に優劣をつけて選別することは許されないはずだ。

生まれることさえ許さない悲劇が、さらなる悲劇を生む。

その連鎖が悲しい。



この『厳冬之棺』が孫さんのデビュー作だが、続編もあるそうだ。

そうじゃないと困る。

陸家の事件は無事解決したが、それとは別に、探偵役の安縝が追い求める過去の事件に何やら新しい側面が見えたようだ。


非常に気になるところで終わってしまった。

これは続きがないととても困るぞ。



【書誌情報】

『厳冬之棺』孫沁文

ハヤカワ・ミステリ文庫HM511-1

2023(原著2018)