もっともっとこの作品に浸ってたい〜、と思いつつも読み終わってしまいましたアセアセ

カズオ・イシグロの魅力満載の作品だと思いますキラキラ


人工知能搭載のロボット、クララ
病弱な女の子ジョジー
ふたりのお話。

これ以上内容を詳しく語れない作品です。
イシグロ作品あるある^ ^
なので、印象に残った点を3点ほど書きたいと思います。


まず、作品全体の雰囲気について。

『わたしを離さないで』の続編的な作品、という触れ込みでしたが、まさに『わたしを〜』の世界の少し後の時代・別の場所を舞台にした物語という印象を受けました。

『わたしを離さないで』の世界において「提供」が重要なキーワードだった様に、
『クララとお日さま』の世界を知るキーワードは「AF」と「向上処置」。

これらの言葉の直接的な説明が、作中でなされることはありません。
登場人物の会話などから想像できますが、そこに潜む異様な雰囲気が、独特の世界観を作り出します。
登場人物たちにとっては、日常の一部なので取り立てて言及しないのは当然ですが、われわれ読者からすると「処置」ってどんなことすんの!?って何やら背筋に寒いものが走りますガーン

他にも、会話の中で何かしら事が起こりそうな気配を感じる部分があったり、ざわざわするような落ち着かなさを感じるのは『わたしを離さないで』に共通するものがあります。


次に、タイトルにもなっているクララと太陽の関係について晴れ

クララにとって太陽を特別な存在です。
太陽に万能感を求め、崇める姿は、信仰心に近いものがあります。

人工知能は神を創造できるのか

すごく面白いテーマ設定ひらめき電球
以下は、わたしの解釈です。

このクララの行為は、太陽がクララにとっての物理的な栄養源(太陽光発電のようなものと推察されます)であることに起因します。

すごく乱暴に言ってしまうと、クララの太陽に対する行為は、自分を利するものへの返礼です。

そこにヒトの信仰心や宗教との違いがあり、人工知能とヒトとを画す部分を表現しているのではないかと思いました。

神とは人間の営みから超越した存在であり、個人的な見返りを求めない純粋な信仰心を捧げるものなのではないかと考えるからです。
イギリスの作品なので、キリスト教の神のイメージです。

…と最初は考えたのですが、書きながら、
原始的な太陽信仰の起源ってまさに穀物などの恵みをもたらす太陽を崇めるわけで、クララのやってることと同じなんじゃ…?
むしろ、人工知能がヒトに一歩近づいた証なのでは…
などと思い始めてます(^^;
生煮えの思考なのでご容赦をm(_ _)m


最後に、"いのち"の扱いについて。
『わたしを離さないで』『クララとお日さま』で描かれているのは、科学技術の発展が生命倫理を脅かす領域にまで到達した世界です。

クララはロボットですが、作中で大人たちがクララに求めたことを考えると、その存在は"命"と言えると思います。

この物語の結末について、わたしは読んでいる途中ですごく悲観的なものを予想していたので、むしろ落ち着いた感のある結末はハッピーエンドと言えなくもないなと感じました。

しかし、クララの姿を『わたしを離さないで』の主人公たちの姿に重ねずにはいられません。

『わたしを離さないで』の主人公たちの命は、目的のための手段として、利用されていきます。
それを「使命」という聞こえの良い言葉によって正当化し、受け入れていく姿が切ない感動を呼びました。

クララはロボットであるがゆえに、自らの役割を淡々と無条件に受け入れます。
結末がハッピーエンドらしく見える分、余計に
それでよかったのか…
という気持ちが湧き上がりました。

『わたしを離さないで』については、
こんな行為は決して許されない
と、現実世界との境界線をハッキリ引くことができた。(というか、引いとかないとマズイと思った。)
でも、この『クララとお日さま』の世界は、その境界が少し曖昧になってきています。
"あり得る話"に一歩近づいた印象と言えばいいでしょうか。
これは果たして喜ぶべきことなのか…

命が線引きされるってとても怖いガーン
『わたしを離さないで』の主人公たちは、人間でありながらその命は尊重されません。
クララも、人間的な役割を与えられながら、あくまでロボットとして扱われるのです。


気がつけば、『わたしを離さないで』に多く言及してしまいましたが、もちろん『クララとお日さま』だけで独立した作品なので、カズオ・イシグロ初心者のかたにもぜひお手に取ってもらいたいと思いますウインク

期待どおり、読んでよかった〜と思える作品でしたおねがい


【書誌情報】
『クララとお日さま』
カズオ・イシグロ
土屋政雄訳
早川書房、2021