リンゴの木 ゴールズワージー





アシャーストは、銀婚式の日に妻と共にのどかな田園地帯を訪れる。
十字路に立てられた小さな塚を目にしたアシャーストに突然かつての記憶が蘇る。


それは、ロンドンの学生だった頃、友人との卒業旅行の途中に経験した出来事だった。

農家に滞在したアシャーストは、その家の娘ミーガンに恋をする。
ミーガンもアシャーストの気持ちに応え、初めての恋に燃え上がる2人。

真実の愛を見つけたと信じて疑わないアシャーストは、ミーガンのために婚礼衣装を準備するために街へ出かける。
そこで偶然、知り合いに会って、、、


イギリスの美しい自然に囲まれて燃え上がる若い恋を描いた物語。
でも、とてもとても怖いお話でもある。

人は無自覚にこれほど残酷になれるのかという怖さ。
イギリスの階級意識の根強さを見せつけられる。


前半は、恋に溺れるアシャーストの浮かれっぷりが描かれる。
卒業旅行の解放感、見るもの全てが珍しい田舎の素朴な暮らし、そこで出会った純朴な美少女。
これはもう初恋フラグ立ちまくりなわけで。
脳内はお花畑。

でも、2人を取り囲む自然の描写が美しく幻想的ですらあって、そんな浮かれカップルですら何だか神聖なもののように思えてくるんだから、まぁ不思議


この浮かれポンチ(死語か?!)から一転、後半は激しい苦悩がアシャーストを襲う。

ミーガンと駆け落ちするための準備をしようと近くの街までやって来たアシャーストは、偶然ロンドンからやって来ていた友人に出会う。
勧められるまま彼とともに街に滞在し、その妹たちと仲良くなっていく。


要は、恋は盲目、熱に浮かされたような状態からふと現実が顔を出すのですよ。
怖いねぇ、、、

随分昔の初読の時の印象では、アシャーストが速攻で冷めたイメージだったけど、今回読み返してみると、アシャーストなりに結構悩んでいた。
ごめんごめん、そこは勘違いしてたわ。

アシャーストがミーガンを想う気持ちは変わらず、友人とその妹に別れを告げてミーガンの元に戻らなければと何回も思う。
その努力はひとまず認めよう。

でも戻らない。

この辺りの意志薄弱な感じはちょっと嫌。
そして、戻らないことをあれこれ理屈をつけて正当化し始めるともう駄目だ。

サイテーとアシャーストに毒づいて本を閉じたいところなんだけど、色々考えてしまう


ミーガンをロンドンには連れて行かない、でも自分が農場で暮らすことはもっとできない。
このアシャーストの思考の中には、エリートの自分と田舎娘のミーガンとの間に明確な上下関係の意識がある。

それが単に恋愛感情のもつれだけではない複雑さを投げかける。


でも、現代に生きるわたしだって、この人とは物の考え方が違うなぁと感じることって多々ある。
それがお互いの生活環境からくる違いということもあるだろう。

その「違うなぁ」という感覚が、優劣の価値判断を伴うものでないとしても、相手を「自分とは違う」存在とみなした途端に壁ができる。

友人関係なり恋愛関係なり、人と深い関係を築くということは、この壁をいかに透明にしていくかということだと思う。
それが難しいからこそ、人間関係の悩みというものがあるわけで。

「好きだから!」という理由だけで、お前は相手のことを何から何まで全部受け入れられるのか?と問われたら多分答えに窮するわたしに、アシャーストを詰る資格が果たしてあるのだろうか。


ただ、何も告げないままメーガンの前から姿を消し、その後彼女のことを綺麗さっぱり忘れてる点についてはやっぱり見過ごせない。

挙句、彼に捨てられた後のメーガンが辿った運命を知って「可哀想な、メーガン」と来る。
一体どの口が言うのよ。



【書誌情報】
『リンゴの木』ゴールズワージー
三浦新市訳
角川文庫、2008(原著1956)