離婚乗り切り|夫婦道

離婚バトル夫婦喧嘩記録帳-夫婦喧嘩と遠距離恋愛







このブログの最初の投稿から夫婦喧嘩の経緯を始まりから仲直りまで要約して抜粋しました。とりとめのない内容ですが、こんな感じでいつも離婚危機になってが仲直りに至ってます。




また喧嘩してしまった



http://ameblo.jp/rikonnorikiri/entry-10455020534.html



たった1日

http://ameblo.jp/rikonnorikiri/entry-10455268477.html




離婚届

http://ameblo.jp/rikonnorikiri/entry-10455037313.html



セックスレスな夫婦は危険?

http://ameblo.jp/rikonnorikiri/entry-10456732691.html



協議離婚 原因は

http://ameblo.jp/rikonnorikiri/entry-10458427557.html



相性占いの記憶

http://ameblo.jp/rikonnorikiri/entry-10460268322.html



雨降ッテ地固マル

http://ameblo.jp/rikonnorikiri/entry-10465741942.html



仲直りが出来た3つの理由

http://ameblo.jp/rikonnorikiri/entry-10465756344.html















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夫婦生活は山あり谷あり~今は平地です

長らくブログを更新してなかったのですが、

ふと思い出し更新しております。

 

 

度重なる離婚危機を乗り越え

今2017年10月現在

 

夫婦仲良く過ごしております。

 

仲良くというか平穏です。

 

 

子どもたちも大きくなり夫婦二人で過ごす時間が増えました。

 

子供が成長する寂しさ

一般的には子供が成長することは喜びだと思います。

 

 

しかし、私の場合

子供の成長は嬉しくもあり寂しくもあります。

 

なぜ寂しいかというと

 

一緒に遊ぶ機会が減るから。

 

 

小さい頃は「お父さん、お父さん」

ママ、ママ

と親に駆け寄る子どもたち。

 

 

しかし中学生になり高校生になり

成長していくごとに駆け寄る回数は減ります。

 

 

寂しいです

 

離れていく子どもたち

 

友だちと遊ぶほうが楽しいから。。

 

そういう理由です。

 

そうやって自分の社会が生まれるんですね。

 

子供が育ち

離れていく中で寂しさを感じ

 

子育てする妻も離れたような

そんな気がしてた頃、

 

子どもたちが小学生の頃です。

 

 

私は寂しさのあまり夜の街を徘徊しておりました。

 

今はもう出歩かないのですが

子どもたちは当時よりも離れ

 

ただただ横にいるのは妻だけです。

 

子供が巣立てば

夫婦二人きりです。

 

 

今更ながら思うことは

 

妻だけが自分の人生で寄り添う人であり

子供であろうと、親であろうと

私の人生で最も近い存在にはなりえない。

 

そういうことを

この秋空の下でふと思いふけったりしております。

 

 

むちゃした過去

 

彼女の記憶からは消えてないでしょう。

 

でもいま、横にいるのは紛れもなく妻であり

 

離婚には至らず過ごしていますが

お互い心に残る傷はどこか深いところにあるはずです。

 

 

まだまだ続く夫婦の路

 

 

夫婦道は喧嘩や仲直りだけでは終わらないのです。

 

2年ぶりの夫婦喧嘩(激烈)からの解決 セックスレス〜キャバクラ通い〜迷い

久しぶりのブログ更新です。

今年の9月から11月までの3ヶ月

自分は離婚するつもりで夜の街を徘徊しておりました。

結論からいうと離婚には至らず、
この騒動が終わり、実は
出会った頃のように仲良く愛し合っている状態となりました。


さて、
どんな出来事があったかというと

自分も妻も血液型はA型で、結婚生活は互いに我慢がつきもの
そう思い10数年継続している部分もあるのですが

セックスレス、子供の世話ばかりしている妻、子供の世話も度が過ぎて幼稚園の理事、小学校のPTAとなんでも子供のいる世界へ脚を突っ込もうとする妻。

土日の休日は息子のサッカーにつきっきりでかれこれ6年

僕はいつの間にか独身状態
自然と男友達と遊ぶようになっていった。

妻は若いころから母性が強い方で、僕のような少々身勝手な人間のそばに居てくれるくらいなので、本当に母親っぽい性格の持ち主。

見た目は少しハゲな顔してけど、たぶん世界一優しい人だと思う。


その優しさが全て子どもたちの方へ向くのも仕方ない
なんせかなり母性強いひとだから。


女性は結婚すると
女性でいるオンナ
妻になるオンナ
母親になるオンナ
という3種類がいると聞いたことがある。


うちの妻は完全に母親になるタイプだった。

ちょっとしたルール違反

しかし、自分は結婚する際に約束したことがある

この3つのタイプの女性がいるとして
君は妻でいるオンナ(彼女であり家庭にいてほしい)というイメージを保ち続けて欲しい。

つまり、何歳になってもずっと彼女でいてくださいね!
そういう約束だ。


結婚して14年経つけど、僕は今でも風呂場で脱衣する際に下半身を妻に見せ内容隠し、妻も同様に出来るだけみせないようにしてもらってる。

こういった細かいことって一緒に生活してるうちに忘れがちな「恋愛観」をキープするのに役立つはず。
そう思って守った家庭内の恋人関係だ。

だって、付き合ってた最初の頃って恥じらいとかあったでしょ。
ああいうの大事にしたいからね。


しかし、時間と環境というのは恐ろしい物で
子供が出来て、子供を風呂にいれる妻
風呂から飛び出して走り回る子供を裸のまま追いかける妻。

こういうシーンが過去にあった
もちろんかわいらしく幸せな光景なのですが、そういった事故が何度か続き、何年も経過する内に妻はいつしか脱衣所で自分の裸を隠さないようになっていった。


夫である自分は、そういう変化を見逃さない
言葉に出すことはなかったが、これも大きなルール違反だった。

生活面での不満が蓄積


普段から家事は頑張る部分もあるけど、僕が見て変なところで気を抜く妻。

冷蔵庫には腐った食材が10数年、常に何らかの食材を無駄にしている状態。
これには自分も原因があるのだが、

夕食を用意するための食材を買う妻
連絡なしで帰らない自分

そういうのが日常だったので食材が余ってしまったようだ。


しかし、余った食材を翌日僕が調理している頃は、買った食材を余らすことはなかったが、子供の世話、僕の遅い帰宅が何年か継続されていく内に、冷蔵庫には腐ったものがある。というのが家庭内で常識化したのかもしれない。

セックスレス

セックスレスについては以前も触れたけど、特段僕自身が不満を感じることはなかったのかもしれない。
なぜなら、セックスだけしたければそれが出来る安い風俗を男友達からいくつか教えてもらっていたから。

40代になって初めて風俗へ通った。
1万円程度で簡単にセックスが出来る現実。

もちろん好みの女性が来るわけじゃないけど、「お金払ったからもったいない」みたいな心理がオトコの中には生まれるもので、たまに友達と行ったお店でテキトーに性欲を処理していた。

家庭内のセックスレスは自分の心のなかでは終わったもの。
そう思いながらいつしか肉体的には妻以外の他の女性を求めるようになっていた。


不満の蓄積


セックスレス、休日には子供の過剰な世話焼き、妻はダンナである僕のことは特に気にせず大好きな子供の世話が出来る状態。

自分は家に帰ってもどうせ誰もいないので、飲み歩く。

もちろん夜の9時半とかに帰ればみな家にいるのだが、10時にはみんな寝てしまう。

家に帰っても誰もいないような気分が何年もかけて蓄積された。
思い返せば息子が小学校1年でサッカーを始めてから6年。

ずっと不満が蓄積されていったのかもしれない。

彼女を探す活動開始

そんな状態で、毎晩寂しいような、これがあたりまえのような、、

そんな気分で日々の生活を送っていたが、
自分が自営業で時間の都合がつきやすいということもあって、
家に早く帰らず、事務所近くのキャバクラへ足を運ぶようになった。

風俗と違ってキャバクラは普通の女の子と喋り、お酒を飲むだけの場所。
そしてキャバ嬢は総じて可愛い。

美人であるとかそういうのではなく、
化粧、エクステ、髪型、ネイル、香り、
そういったものに毎日気遣って仕事をしている。

彼女たちは毎晩嫌な客にも接客しながら何らかの目標のため頑張って働いている。

自分も自営業で悩みを誰にも言えず生きているので、いつしか目標を持って頑張るキャバ嬢に心惹かれるようになっていった。


ひとつのお店で1人を指名するとなんだか目線が狭くなりそうだったので、街にあるキャバクラをなん店舗も歩きまわりボトルキープして指名嬢を用意。

別の町にも足を伸ばし、キープ&指名。

こういうことを繰り返し、毎晩深夜2時、3時まで飲み歩いた。

今年の9月から11月の話だ。

キャバクラは疑似恋愛をする場所

キャバ嬢は仕事で僕達オッサンの話し相手をしてくれる。
僕は仕事がら、彼女たちの心理コントロールをすることもできるので何度か普通に口説いたり、誘ったりしたことはある。

しかし、疑似恋愛を超えて、「マジ恋愛」となると
なんだかメッキリ気分が萎えてしまう自分がいた。

何度か通って仲良くなった女の子と休みの日に遊びに行ったり、食事に行ったりという流れになると、どうしても自分の中で「これは彼女じゃない」という否定の心が動いていた。

仲良くなりすぎた女の子には何故か、妻と出会った頃の恋愛話ばかりするようになり、次第にその店を離れ、別の店へ通うようになっていた。

最初から既婚者であることはどこの店でもどの女の子にも言ってたけど、仲良くなる場合もある。

でも本当の恋愛、自分が若いころ妻に思ったような想い
こういうのは40代の僕にはもう出来ないのかもしれないとも思った。

100人以上のキャバ嬢と話をした。
恋愛観、夢、現実、いろんな話をした。

飲んだ、遊んだ

だけど、誰も好きになれない。

時々性欲が走る時は風俗で軽く欲求を満たし、
またテキトーに喋り相手を求め夜の街をふらふら歩く。

そんな日々が続いた。

夫婦史上最大の大喧嘩2013年


そんな生活をダンナがしているわけで
妻もなんとなく気になっていたようで、、

たまに家で顔を合わせても妻はなんか怒ったような、雰囲気悪い態度

子供に対してあたり散らかすような風景も増えた。

あれって、僕に対しての不満をぶつけてるだけで、
夫婦ってのはそういうのわかるもんですよね。

2013年10月の終わりごろ

そんな僕達夫婦が、こういう普段の生活で見る不満の姿
たまたまぶつかり合って大喧嘩になった。

大喧嘩といっても
僕がこういう夜の遊びをバレることを恐れて暴れたというもの。

疑いを持ち続けた妻は常に愛想が悪い
旅行につれてっても、買い物につれてっても不満そう。

そんな日々が続いた。

ある日、家で子どもたちに夕食を与えている際に僕が帰宅した。
帰宅した途端、妻は機嫌悪そうな雰囲気で何かを僕に問いただそうとした。

何をいってたかわすれたけど、
食卓の椅子を持ち上げ
気づいたら妻を殺そうか!
と思うくらい椅子を振り上げていた。

一瞬、妻と目があった
本気で殺そうとしている目だったと、何日か後に聞いた。

その後、振り上げた椅子はテレビに向かって放り投げた。
薄型テレビに穴が開いた。

そこらじゅうのモノを投げて部屋中破壊した。

こりゃDVだ。

暴れながら自分では冷静にそんなことも感じた。

子どもたちは泣き喚く。

今までのケンカではだいたい妻が暴れていたのだが、
今回は本気で離婚を決意した自分がどこかにいたせいか

妻が、ことも達がどうなろうと
関係ないくらい気持ちが固まっていた。

離婚へ向けた活動


キャバクラへ通い続けている時点で離婚という現実を近い将来受け入れなければならない。
そういうふうに考えながらキャバ嬢達になぐさめてもらっていた。

この大喧嘩のあと、
妻はいつもどおり自宅から徒歩3分の妻の実家へ戻る。
もちろん子どもたちもつれて。

今回は2週間ほど返ってこなかった。

ずっと返ってこなければいいのに。。
そうも思った。

返ってこないあいだに離婚届を役所にとりにいって、印鑑だけ押しておこう。
そう思ったが、

その行動は後回しになってた。

離婚するつもりで、彼女作るつもりで
髪型変えて、白髪染めて

くだらない見栄えの調整なんかで気分を収めていた。

たぶん、
自分史上もっとも寂しかった時期かもしれない。

毎晩キャバクラ、昼はパチスロ

仕事も手に付かない。

何がしたいわけでもなく、時間を無駄に使うがごとく

知人とは合わない。

合うのは金銭的な利害関係しかないキャバ嬢か風俗嬢

そんな時間を過ごした。

妻帰宅、そして説得の日々

以前なら間違いなく離婚となっていたはずだが
妻も40手前

若いころのような華やかさはない。
離婚して他の人と結婚する
そういう脅しを夫婦喧嘩のたびに言われ、泣いていたのが僕の方だった。

今更離婚しても再婚の余地は少ない
そういう想いもあるのか、今回は2週間で家に戻ってきた。


戻ってこようが、僕は家に帰らない日々
基本的に朝までに家に帰るが、3時4時帰宅なので彼女たちを顔を合わすことはなかった。

妻帰宅後、数日立って

深夜に自宅へ帰り、ベッドにもぐった僕の部屋へ妻が来る。

何をたくらんでるのか?

変に優しい口調で問いかけてくる。

「こんなん続けててもしかたないからはなしあおうよ」

そう言ってくる。

正直、僕はこのとき、毎晩遊ぶのにも目的がなく、恋愛なんて出来る心理状態でもなく、遊ぶお金も限界に近づいていたので、

助かったかも。

と思った。

しばらく、顔を合していないうちに、携帯や財布の中身をチェックしたことのない妻が今回ばかりは相当な期間で携帯や財布の領収書をチェックしていたようだ。

女の子との会話に発展性が感じられないLINEの内容
毎晩のごとく大金を落としてきた証拠の領収書
風俗の割引チケット

これらを見て、

弱り切った僕を助けてくれたかのように見えた。


なんだかんだで


キャバ嬢と遊んだこと、キャバクラへいきまくってたこと
ギャンブルにもはまってたこと、
風俗へもいったこと

こういうの全て承知の上で
彼女は一緒にいたほうが幸せだと思うよ
と僕に和解を承諾するよう求めてきた。


オレは離婚するつもりや!

と一点張りだった自分

毎晩、このやりとりが続いた、

今更引き下がればい僕。


毎晩遊びおわって帰り、
毎晩妻が優しく言い寄る。

11月の中頃になって
さすがに金銭的にも体力的にも
こういうツッパリはしんどいと感じ、早めに帰宅して妻の意見も聞いてみることにした。


妻からすれば、僕がここまで本気で離婚を考えているという現実にショックを受けていたようで、いろいろ考えたそうだ。

生活面、経済面で僕が必要というのなら、何の改善もない。

オレは彼女が欲しいんや!
という結婚前からの約束事、普段の生活面での不満、セックスレス
全ての不満を口に出さす十数年生きてきた。
ということを伝えた。


妻は彼女でいること、普段の生活面(子供の世話ばかり)は改善できるという。

セックスレスについては僕が妻を求めてないからだと主張するが、
こればかりは難しい、

子供の世話をしていることは不満でもあるが、嬉しい事でもある、
子供の世話をしすぎるため、夜早くに子どもと一緒に眠ってしまう妻。

そういう生活面まで改めていまさらうまくいくのか?

自分は今でも妻を女性として抱くことは出来る。
しかし、どのツラさげて今更妻を抱けるのか?

というか、
あまりに外で遊びすぎてセックスそのもにあまり大きな価値を感じなくなってしまっている状態。

それでもいいから、妻は経済面ではなく一緒にいてほしいからと
結婚生活の継続を求めてきた。


何日も考えたが

やはり自分が求めるものが「彼女」の存在であり
彼女が欲しくてキャバクラ通いしていたが、
若いころの妻、結婚してからの妻との思い出、感じたこと。


こういうのを自分の内面で超える出来事ってもう無いような気がする。
たとえ、テレビで見た大好きなタレントさんが近づいてきても
あの時のような恋愛感情は生まれないだろう。
ま、タレントさんが近づいてくることはもっと無いはずだけど。。


そんな気持ちの状態の僕、
それをなんとかしようとする妻

結局のところ


今回の大喧嘩の発端は日々の生活で出さなかった不満が大爆発

我を失ったダンナが暴走に次ぐ暴走

暴走し続け失意のどん底にいたる寸前

妻が助け舟を出してくれた。

そんな気がする2013年秋の出来事でした。

だいぶ汚れた自分

ちょっとこのあたりの精神状態をもとに戻すのは難しいけど
これも自己責任

あらたな厚みのあるオトコになって妻と相対する

そんな夫婦生活が2014年に向けてスタートした次第です。

最近は毎日家に帰って
飲めない妻がキャバ嬢がわりとなってお酒をつぎ
休日は子供をあずけてふらりとドライブ


そんな生活を送っている。


子供が生まれて依頼はじめて妻と二人きりで出かけたような気がします。


恋愛を超えて愛に気づき

愛を超えて恋愛感情を取り戻したような。。


不思議な状態です。


妻の心のキズは一生消えないだろうと思うけど、
妻と一緒にいると決めたのでなんとか頑張りたいと思う。


妻よ、

もうしわけない。

そして、
またしても、ありがとう。

夜の夫婦生活、出産後3年間のブランクを乗り越えて

うちの夫婦がセックスレスになったのは二人目に出産から

正確にいえば二人目の妊娠後からになるでしょうか。

一般的に夫婦間でセックスレスになる理由、心理というのはしてて
イメージできてたんですが、自分もそういう状況になりました。

結婚するまではラブラブで大好きな彼女
結婚しても女性として大事にしたい存在

一人目の子供を出産して
その後もひとりの女性として大事に扱えた。

でも二人目の子作りに問題があった。

「産み分け」

妻が書店で購入してきた産み分けの本

女の子を出産するために産み分けを希望されたのです。

男性も女声も体内をアルカリ性に保って、、
とか書いてあったなあ。

女性がセックスで感じすぎると酸性になるらしいので
男性は射精の直前まで自分で追い込んで
射精のみ挿入という
なんとも切ない内容のものでした。

妻はもともとセックスには積極的ではなく
こちらから誘わない限り絶対に夫婦生活はない
そんな性格。

しかし、この産み分けに時に限って
生理とかのサイクルや食事、体調管理など積極的で
ベッドでの子作りを誘うようになっていた。

しかし、その夫婦の営みはまさに小作り
本に書いてあるとおりで、とてもセックスと呼べるようなものではなかったです。

種馬が射精するようなもので
なんとも味気ない、まさに射精です。

結果的に女の子を出産できたのですが
この期間が実は僕の中で「トラウマ」になってしまったのです。

妊娠後、妻の顔をみても
女性にはとうてい感じれず
ただただ「家族の一員」としてしか見れなくなっていたのです。

セックスレスに感じる要因

妻が家族に見える

という大きな理由。

これのきっかけは、うちの場合子作り、「産み分け」の方法
選択した方法がまずかったのか
自分の精神が原因なのか?

いまだにわかりませんが
こうやって長いセックスレスへ突入していったのでした。

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