ウォールト・ホヰットマン 1819-1892 大道の歌(抜粋)有島武郎訳1878-1923
アメリカ

脚にまかせ、心も輕く、私は大道を闊歩(かっぽ)する、
健全に、自由に、世界を眼の前に据えて、
私の前の黒褐の一路は、欲するがまゝに私を遠く導いてゆく。

これから私は幸運を求めない──私が幸運そのものだ、
これからもう私はくよくよしない、躇(ためら)はない、又何者をも要しない、
剛健に飽滿して、私は大道を旅してゆく。

大地──大地は自足してゐる、
私は星座等が更に近くにあるべき必要を見ない、
私はそれらが極めて正しい所にあるのを知る、
それらに属するものはそれらに満足しているのを知る、

(然(し)かも私は快い重荷を擔(にな)ひつゞけてゆく、
男と女をとを私は運ぶ──何所に行くのにもそれを選ぶ、
誓っていふ、私には彼等から遁(のが)れる術(すべ)がない、
私は彼等で一杯だ、その代わり彼等も私で一杯にしてやる)

名詩名訳ものがたり 異郷の調べ 亀井俊介 沓掛良彦 岩波書店2005
【秋】

秋はまた、ごてごてと哀しみを重ねて、
昨日のやうにとほい日を呼ぶ。私は葉末
の露に涙ある青春の曉を聯想して、遂に
は、やるかたなき莫哀に泣く。

其處に立つてゐるのは、古びた、葉のな
いひともとの樹であつたと云ふのか。散
り敷く枯葉を拾ひあげ、掌にまるめては
空に吹く、幾年か、かくて年を經た私の
心へ、新秋の焦燥は限りなく、痩せこけ
たこの肉體をゆさぶる。

さらば、とほき日よ、君たちへの袂別は、
明日への約束を斷つであらう。私の住む
べきろまんすも消えた。私の微笑に踊る
生活もない。ああ、秋風にざわめく枯葉
の中に、私の魂は飛んでゆく。
【砂丘にて】

枯草の道を歩き、遠く輝く雲の群を追ひ
つゝ、川岸の砂を踏むで、砂丘へと急ぐ。

ああ、今日も砂丘に坐して、はるばると
ひろがる海原を眺め、夕日の美しく映え
る雲の群に、哀しい愛と憎惡(にくしみ)
の歌を投げつける。憤怒と呪咀におのゝ
く胸へ、海よ、砂丘よ、また靜寂と、優
雅な感傷の雨を降らせるのか。

限りもなく雲の群が流れてゆく。青く晴
れ上つた冬空の中に、永遠の安住を求め
て、雲の群は歩行する。

その雲の群と、まつ白な波頭とを見つめ
ながら、僕はまた、明朗な歌を夢みるの
だ。靜かな黄昏の濱に人はない。置き去
られたやうな砂丘の上に、僕は疲れ果て
た大都會の生活を思ふ。喧騒と憤懣の歌
を思ふ。

ああ、今、僕は總ての忌はしき想念を忘
れて、海と、空と、壯大なる大自然の力
(マハト)を思ふ。その愛と情熱とを思ふ。

【瞑想】

僕は倒れて 何を思ふか
雨の日 庭に寄る窓を開いて
僕はひとり 書籍の枕に何を思ふ。

ああ 八月の風が香つて來る
雨に洗はれた緑濃き風の香り
午後の町の靜けさを吹いて
僕の鼻に哀しく匂ふ。

何を思ふ 僕であるのか
何を希ひ 何を爲さむとするか 僕よ
かくも夏は深く かくも夢の間に時は流れるに
幾とせ この思考の中に年を經たか。

今さらに 冷たき思想の波をよぎり
歌も 涙も 忘れ去つて
蝕まれゆく若さを見つめる僕の心へ
八月の風は 闇を突く意識の閃きか。

ああ 僕は倒れて 何を思ふ
雨の日 庭に寄る窓邊に雨だれを歌はせて
ひとり書籍の枕のまどろみに 何を夢みる。

【海】

遠い岬は霞むでゐる。だが、おーい、と
呼べば、おーい、と答へもあらう風情だ。
空を一面に覆ふ雲の群よ、その雲からも
れる、夕陽の影は限りなく明るい。波の
旋律、波のどよめき―ああ、明朗なる力
の歌謠曲だ。

漁船の群も歸りついてか。たゞ、遠く水
平線の彼方、一筋の烟りは、太平洋の西
と東と、東と西とを結ぶきづなでもあら
う。水平線に押し寄せた雲の群、その黒
く壯大な雲が、やがて夕陽の光彩を遮ぎ
る。

まつ白な首巻きがはたはたと風に踊る。
波にぬれながら大聲に、おお、海―と叫
んでも、海は淡々たるニヒルの中に、た
ゞ、咆哮するのみだ。海女の群が濱をよ
ぎつてゆくと、やがて雨を持つたつめた
い風。黄昏の小雨の中に、激しくなる、
波の旋律、波のどよめき、ああ、明朗な
力の歌謠曲だ。

【海近く】

   ― 五月に歌ふ ―

五月は青春のやうに、輝く若葉の影に、
明朗な歌を響かせるのだ。

今は人の歌聲も、今はひとのなさけにも、
ほゝ笑みにも、はては生きてあるこの身
にさへ、侮蔑と呪咀の叫びをあげつゝ、
こゝに五月の麗らかな囁きを迎へようと
する。

ああ、こゝ海ぎしに近く、そこを渡り、
こゝを訪ふ潮風の、僅かに哀しみを誘へ
ば、湧きおこる、數々の追憶(おもひで)
よ、悲嘆よ。

今日も遠く晴れたる空に、生存への憧憬
と、現實の懊惱とを輝かし、青々とひろ
がる晩春(おそはる)の野道に、五月の囁
きは、この胸深く鋭利なる刃(やいば)と
もなるのだ。

五月よ、赫々たる生活への愛慕をもつて、
明らかな歌聲と共に訪れよ、光輝ある思
想の波をよぎり、洋々たる海原のにひる
の中に、その餘韻ある歌聲を響かせよ。
こゝ海ぎしに近く、今日もまた、蝕まれ
ゆく青春へ、冷やかなる思想は飛んでゆ
く。

【川邊にて】

青葉の匂ひが鼻をつく、夜、川添ひの公
園の薄闇をゆく。ああ、その沈默(しじ
ま)のなかに、ひそやかに、遠き夏の夜
の追憶(おもひで)を囁くはたれ。

今は燃えたぎる情熱を、ほの暗き星空の
かなたへ吹き、冷やかなる透明の思想を
抱きて、木々の香りに咽びつゝさまよふ、
敗れたる若きものよ。

今宵、涙聲に歌ふ虫の聲のわびしさに、
甦へる遠き日の數々の思ひ、今は儚き幻
想の渦ともなつて、肉體と肉體の惡臭を
厭ふ、つめたき思想の影をも宿す。

行けば、ほの青く星空に映える川面が見
えた。川面に青葉が亂れて見え、小さな
歌聲の間に、しつとりと木々は囁く。あ
あ、そのさゝやきにふるへるこの胸へ、
小さきものよ、やがて明朗なる存在とも
なれ。

【哀歌】

   ― 枯木に寄す ―

黒ずんだ顔して、僕の前に立つてゐる。
薄色の瞳を輝かし、きらきらとつめたい
涙を反射させて、あなたは靜かに、僕の
前に立つてゐる。

ああ、疲れてゐるのだ。どこに昔の面影
があるだらう、あの麗らかな、あのはち
切れるやうな青春(わかさ)は、どこへ行
つてしまつたのか。

ろまんちつくな夢の數々も疲れ、この家
も空家になつた。庭は雑草で一杯だ、そ
の中にすつくりとあなただけ、疲れはて
て立つてゐる。靜かに、さびしさうに立
つてゐる。

ふたゝび、みたび、幾たびか、春が訪れ、
春が逝き、新鮮な感情を抱いて夏は訪れ
るのに、時代の流れに置き去られて、あ
なたはつめたく朽ちてしまつた。

誰もあなたに觸れようともしない。ああ、
青黒い顔して、僕の前に立つてゐる。哀
しさうに、つめたい涙を反射させて、あ
なたは過去の勞苦を、今、僕の前に訴へ
ようとするのか。

今は荒寥たるこの庭に、にひるな胸を抱
きしめて僕は立つ。
ヴェルレーヌ 1844-1896 落葉 上田敏 1874-1916 海潮音より フランス

秋の日の
ヰ゛オロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。

鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。

げにわれは
うらぶれて
ここかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。

参考書:世界の名詩 小海永二編 大和書房