令和6(2024)年4月

能見山 瑞雲院
松應寺
しょうおうじ

御本尊
阿弥陀如来

御由緒
天文18(1549)年3月、岡崎城主・松平広忠は城中で家臣に刺殺され、亡骸は能見ヶ原の月光庵に埋葬されました。
同年11月、広忠の嫡男・松平竹千代(後の徳川家康)は今川方の人質として熱田から駿府へ赴く途中、月光庵に参り、その墓上に小松を植え、松平一族の繁栄を祈願しました。

永禄3(1560)年、家康は桶狭間の合戦後、岡崎城主となり、非業の死を遂げた父の菩提の為、月光庵の地に寺を建立しました。

手植えの松が緑深く成長したことと、人質の身であった自分が城主として再び三河の地に帰る事が出来たことを喜び「我が祈念に応ずる松なり」として寺号を松應寺と名付けました。

松應寺の境内は昭和の時代まで花街として栄えていました。太平洋戦争の空襲で焼け野原となった境内に、戦後の混乱で闇市が広がり、やがて家屋が形成されていったのが「松應寺横丁」の始まりで、お寺の境内に「まち」が出来たという極めて特異な場所であり、近年では殆どが空き家となっていました。

そんな中、かつての賑わいを取り戻そうと松應寺横丁街づくり協議会が発足し活性化を開始。様々なお店が出来ており、古き良き昭和の雰囲気を感じられる有数の名所となっています。
岡崎おでかけナビ他、参考にさせて頂きました。



松應寺横丁





太子堂




本堂




松平広忠公御廟所





白藤越しの梵鐘

御衣黄も満開桜


季節の御朱印を頂きましたお願い




光風動春
優しい光と風が春を運んでくる、ことから
寛容さが幸福を招くの意味。


画像は全て
Mちゃん撮影です乙女のトキメキ