『3.11企画』じゃなくて
常に心に留めておきたい




先週土曜日に
愛知県田原市のお寺さんに
参拝させて頂きました

お上人さまがお経をあげておられ、
おばあさんがひとり、
手を合わせておられました

難しいお経ではなくて、
ところどころだけど
私にもわかる言葉が
聴こえて来ました

邪魔にならないよう、
急いで参拝しようと思っても、
お賽銭の音が邪魔かな
ご供養されているのに、
私が同時に手を合わせても大丈夫かな驚き
(大丈夫とは前に言われてはいる)


なんて、あれこれ考えてモタモタしていたら
『東日本大震災』
という言葉と
お若いであろう女性(お子さん?)の
可愛らしい名前が読まれ
その瞬間、おばあさんの肩が震え
泣き崩れられました


あぁ、
何年経とうが当事者には
つい昨日のことのように
辛く悲しい出来事なんだ、と
当たり前の事に
改めてハッとさせられました


いつの間にか他人事になっていたんだなぁと…。


能登半島地震の映像が
繰り返し放送された時も

仙台の友は
辛くて見ていられないと

自分達の時には
テレビを見る事も出来なかったから

記憶が蘇ってしんどいと
よく言っていました

街が復旧し
一見元通りに見えても
人の心はそんなに簡単なものじゃないんだ

経験者のしんどさは
震災を経験した事の無い私の想像を
はるかに超えるもの

その悲しさ辛さも
私には分かり得ないものだと思う

それでも
その気持ちに寄り添い
他人事と思わないでいたいと思う

明日は我が身。
いつ、どこが、誰が、
どんな災害に見舞われるか
そんなことは
誰にもわからないのだから