緑十字機が眠る
磐田市 鮫島海岸
78年前の1945年8月20日 午後11時55分、連合国と降伏条件の交渉を終えた軍使を乗せた緑十字機が、燃料切れで波打ち際に不時着した。機体は後ろ半分が海に浸かり、その後の部品盗難や台風等により次第にバラバラになり、海に沈んだ。
日本の降伏が公表された8月15日の後も、ソ連が千島列島を攻撃していた。降伏文書調印まで戦争は終わらない。降伏条件を交渉するマニラでの会議に向け連合国は日本政府に軍使を、白い機体に緑十字を描いた飛行機で沖縄まで派遣するよう指示。不時着はその帰路での出来事だった。
海岸近くの浜小屋に、干しイワシが盗まれないよう寝ずの番をしていた男性が居た。墜落した機体から出て来た軍人と言葉を交わした男性は2km離れた集落へ走った。真っ暗闇の中、住民達は必死に救援活動を行った。
連合国の要求は『8月26日、先遣隊の厚木進駐』。その厚木では、徹底抗戦を唱える航空隊の大佐が反乱軍を率いていた。
緑十字乗員に怪我人等は無く、降伏要求文書も住民の助けを得て全て回収。一行は浜松陸軍飛行場へ移動し、代替機として四式重爆撃機『飛龍』を使い、翌21日朝に出発、調布陸軍飛行場に無事に到着した。
今はサイクリングロードが整備されている
緑豊かな場所です。
8月15日で終わった訳では
無かった事。
文書を無事に届けられなければ
本土決戦の危険もあったであろう事。
戦争は祖父母からも
聞かされた覚えの無い世代だけど
もう絶対に
繰り返してはならない。
争いからは何も生まれない。
身近な場所で起こった
戦時中の出来事を知り
改めて
戦わないという決意を
絶対に忘れない事
平和の有り難さ、大切さ、
先人たちの苦労に、
思いを馳せています。
謎の人物についての考察。真実は不詳。
平和と幸せを祈ろう!
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