久丸神社
ひさまるじんじゃ

御祭神
玉柱屋根姫命
伊弉冉命
田心姫命
湍津姫命
天穂日命
天津彦根命
熊野大隅命
市杵島姫命
仁徳天皇

由緒
延宝6年(1678年)創建。玉柱屋根姫命を祀り、鍬山神社と称したのが始まりです。
明治42年に久丸神社と改称しました。
例祭は10月に執り行われます。

また、この神社には後醍醐天皇の皇子にまつわる伝承と寝祭りと呼ばれる神事が伝わります。


寝祭りと神の窯
(田原区文化誌より、ほぼ原文)
久丸神社では旧正月(2月)の申・酉・戌の日にお祭りが行われます。
御神輿を担いだり餅投げをしたりするお祭りではなく、皆家に入り雨戸を締め、ひっそりと寝てしまうのです。だから寝祭りと呼ばれます。

久丸神社の古文書には南北朝の頃、後醍醐天皇の皇子・久丸様が戦を逃れてこの地においでになられたと記されているそうです。
はじめ、六連(むつれ)の松林の中でお暮らしになりましたが人々にお顔を見られないようになさったと。
村人もそのお気持ちを察し、子供達にも見に行かぬよう「神様が煮炊きをされるから見ては勿体無いぞよ」と言い聞かせていました。そこからこの辺りは神の釜と言うようになり、今も地名として残っています。

この辺りは昔は低い松や雑木の点在する赤土の原っぱでしたが今は立派な畑になっています。
田原町豊島には久丸様が船で上陸されたといわれる船戸という地名があり、また上陸されて四方を眺められた物見塚という場所もあるそうです。

庶民に伝わる話として昔、遠州灘に沿った六連の百々(どうどう)の浜に身分の高いお方が流れ着き、近くの松林でお暮らしになり、後に神戸の漆田にお移りになりました。そのお方は病気でお顔がただれ、大変お気の毒なお姿でした。
昔は伝染する病気の人を箱舟に乗せて海に流す風習がありました。だからこのお方もそうではないかということになりました。
久丸様は人々にお顔を見られる事を大変嫌がられとか。それはそうでしょう!
村人達はそのお心を思いやって寝祭りをするようになりました。(諸説あり)

昔の久丸神社の寝祭りは御神体を輿にお乗せして4人の禰宜が担ぎ、お供が2人、計6人で百々の浜まで行き遠州灘の荒波で禊をなさり、お帰りに神の釜で輿をお降りになり、人々の見えない所で何か神事をなさり、その内容は絶対に秘密で、どの禰宜様も固く口を閉ざして話してくれませんでした。
多分、お粥か何か作って久丸様におあがり頂いたのではないかと語るお年寄りもおられたようです。

その行列を見ると目が潰れるとか熱病にかかると言われていて小学校でも授業を早く終えて児童を帰してしまう程でした。
お借りしました

今の寝祭りは久丸神社から近くの神戸大宮の神明社までお渡りになり一夜お過ごしになられて翌日お戻りになるので寝てしまう人は居ないようです。それでも御神体がお通りになる時、そこを通らないように、行列を見ないようにしているそうです。もし知らずに通って行列に出会ってしまったら翌日神社に行きお祓いを受けるのだそうです。
六連という地名も6人で寝祭りを行った事に由来するんでしょうか?←個人的な考えです。

 


神社入り口





御神木の切り株でしょうかね?


手水舎




拝殿
氏子の方々が作業されていました。


狛犬







本殿


御神木


御朱印は10月の例祭日に頂けるそうです。

追記
はるさん情報です。2019年12月1日と15日に頂けるそうで、多分午前中との事です。
基本的には例祭の時のみの授与になると思われます。

はるさん、ありがとうごさいました!

久丸神社宮司さんのInstagramよりお借りしました
令和元年10月の大祭の時のものです。



久丸神社
鎮座地
愛知県田原市神戸町西ノ門3


2024年2月。
ニュース動画貼らせて頂きました。