高塚熊野神社

御祭神
伊邪奈伎命
事解之男命
速玉之男命


手水舎
拝殿

狛犬

御神木
樹齢500年の椎の木
「雲龍椎」
雲に座って昇天する龍のような形をしていて、骨と皮の姿で神殿を護る様相が偲ばれるとされています。平成22年9月に御神木として正式に登記され、近年、パワースポットとして人気を集めているそうですおねがい


昨年の夏越神事の様子
(神社社務所ブログからお借りしました)



由緒
創建不詳ながら後三条天皇の御代、延久年間(約940年前)に創建されたと口伝。
紀州和歌山の熊野本宮の神主が諸国行脚の途中でこの地で足を留め、祭祀をしたと伝えられ「熊野三社権現」と称えられました。
ある時神主が「高い丘を作って人々を救え」という不思議な夢を見たので、村人と相談し神社の裏山に土を盛り上げました。その後「安政の大地震」が起こり、津波の為大勢の人が亡くなりましたが、この里の人々はこの丘に避難して難を逃れたと伝わります。
また一説には大津波の犠牲者をこの地に葬り沢山の砂を浜から運んで(浜垢離の起源)高い墓を築いたと…。
大きな墓(つか)であったので大墓、のちに高い墓(つか)→高塚(たかつか)と呼ぶようになり、地名になったとも伝えられています。

八咫烏で人気の御守


御朱印にも八咫烏

ここでド素人の私、熊野神社は何故に八咫烏
とふと疑問に思い、調べました。
(すみません、常識かもですが知るは一時の恥、知らぬは一生の恥ですから笑い泣き

孝霊天皇の御代、山でイノシシを追っていた「千代包(ちよかね)」という名の猟師がカラスに導かれて大木を見出し、そこに見えた光に矢を向けると「私は熊野の神である」という声が聞こえた為、その神を祀る社を建て、その宮の別当(熊野三山の管理職)になったといいます。この時が熊野の神が人々の前に初めて姿を現した瞬間だと伝えられているそうです。

八咫烏について
八咫烏とは熊野本宮大社の主祭神である家津美御子大神(素戔嗚神)のお遣いで、日本を統一した神武天皇を大和の橿原まで先導したという神武東征の故事に倣い、導きの神として篤い信仰があるそう。
八咫烏の「八咫」とは大きく広いという意味で、咫(あた)は親指と人差し指を広げた長さ(18cm)の事で、八咫はその8倍、144cmの事を言うのだそう。三本足については太陽を表す数字が三とされている事、八咫烏は太陽の化身とされる事から三本足なのだと。

この三本足はそれぞれ天・地・人を表す、と言われているそうです。

 サッカーのシンボルとしても有名ですね!
平安時代に貴族社会で大流行した蹴鞠。その名人といわれた藤原成道という貴族は蹴鞠上達の為に50回以上も熊野詣をしたのだそうです。彼の日記には熊野大神の御前で「うしろまり」の名技奉納を行ったと書かれているそうです。

JFA財団法人日本サッカー協会
のマークは八咫烏です。
神武天皇の故事に倣い、よくボールをゴールに導くようにとの願いが込められているようです。今も関係者や選手達が必勝祈願で熊野本宮等に参拝しています。




熊野神社
鎮座地
静岡県浜松市南区高塚町4708
TEL  053-448-2288