【2023引退ブログ】

 

NO.5 綿貫円佳

「自分と向き合い続けた4年間」

 

 

《プロフィール》

学年:4年

学部学科:コミュニティ福祉学部福祉学科

出身校(チーム):川越南高校

ポジション:SH

最近ハマっていること:亀のお世話。お散歩。梅干し。

試合前に聴く曲:拝啓、少年よ(Hump Back)、大切なもの(ロードオブメジャー)

自己PR:前髪の長さに敏感です。ミリ単位で整えてきたとしても気づくことができます。変化に気づける女です。 ※ベリーショートは対象外です。

 

 

 

 

他己紹介:

 

出会ったばかりの頃は“泣き虫まどちゃん”という異名が付くほど毎練習ピーピー泣いていたし、腰が曲がってしまうのでは無いかと心配になるほど先輩にペコペコしていた円佳。

 

そのくせ、同じ川南出身の優しくて穏やかで仏みたいな亜樹帆(4年/スポウエル)には鋭い発言をし、周囲を驚かせていたのを思い出します。

 

 

“怒られ体質”は継続中であるものの、今シーズンは主将としてその真面目さと責任感と計り知れない努力で沢山の壁を乗り越えてきました。

 

結果としてチームは関東大学女子サッカーリーグ2部自力残留を掴み取り、円佳は最終節であの素晴らしいゴールをみせてくれました。

 

ちなみにYouTube配信トラブルにより、偶然そのゴールだけ動画記録が残っていません。円佳らしいハプニングで個人的にツボですが、その分みんなの記憶に色濃く刻まれたゴールでした(できることなら亜樹帆にも見て欲しかった…)。

 

 

そんな主将はマニアックなお笑いが好きで、面白くない模倣ギャグをよく言います。お笑いに詳しくない私が「それ誰の?」と聞き返すまでがセットです。

そうかと思えば、これまた面白くないオリジナルのギャグを繰り広げ、「それは誰の?」「これはまどかの」と少々ダルい一面もあります。

 

練習帰りの自転車では向かい風に抗いながら、ゆずのREASONを一緒に歌います。

“向かい風と知っていながらそれでも進む理由がある…”埼玉のド田舎に住む円佳の終バスに間に合わせるべく、全力で自転車を漕ぐのもあと少し。

引退までに追い風の時の曲見つけたいね。

 

また、綿貫家は私(阿部)にとって第2の実家であり、その居心地の良さには定評があります。行ったことのない方はぜひ綿貫までご連絡ください。

 

謎の禁酒宣言、前髪増量、一見不思議な芸術ファッションセンス等々まだまだ紹介したいところではありますが、長くなるのでここら辺で。

 

引退ブログのアンカー、我らのCP綿貫円佳は何を綴るのか…ぜひ最後までお読みください!

 

(阿部このみ/4年/経営)

 

 

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このみ、愛たっぷりの紹介ありがとう!

 

ご紹介預かりました、前髪は薄め、ギャグはダルめな綿貫円佳です。

 

亜樹帆(4年/副将/スポウエル)にそんな大口叩いた覚えはないけれど、同期にはたまに毒舌になってしまうことは反省してます(汗)、てかお互いしようね??笑

 

私のギャク好きすぎなの隠せてないこのみよ、円佳feat.このみギャグも考えときますわ。今度泊りにきた時にでも2人でみっちり練習しましょう。

  

あと、前髪を増量したのは他でもない、日々向かい風と戦っている証だというのに「3本前髪」と言われたことを根に持っているからです。合掌造り前髪には言われたくないです。

 

泣き虫まどちゃんと呼ばれた私ももうすぐ卒業を迎えるとなると、自分でも感慨深いものがあります。笑 

 

下手くそなりに、いろいろあった4年間、たくさんの人に支えてもらった4年間を振り返りました。

 

選手人生最後のブログを格好良く締めくくりたい!という無謀過ぎるプライドを捨て、迫り来る締切と戦った勇姿を温かい目で見守っていただけると幸いです。


 

 

本文に入る前に、

 

日頃よりお世話になっている立教大学体育会サッカー部OB・OGの皆様並びに、応援してくださっている皆々様に、心より感謝申し上げます。

始動時掲げた関東大学女子サッカーリーグ(関カレ)2部残留を達成できたのも、ここまでたくさんの景色を見ることができたのも、日頃から応援してくださる方々の支えがあってこそだと思っております。本当にありがとうございました。

今シーズン、まだ東京都女子サッカーリーグ(都リーグ)が残っていますが、立教大学体育会サッカー部の名に恥じぬよう、責務を全うしていく所存ですので、今後ともご支援ご声援のほど、宜しくお願い致します。

 

 

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サッカーを続けるつもりなんてなかった。

 

私は中学3年の冬、3年間在籍した楽しい楽しいサークルのような女子サッカーチームを卒業し、そこでサッカーは辞めるつもりだった。中学時代はテニスに勉強にサッカーに、忙しい日々を過ごしていたが、おかげですごく楽しい毎日だった。全てが充実していた。自分に満足していた。だからこそ、高校では新しい自分を見つけ出したいと思っていた。

 

しかし、たまたま父がテレビで観ていた全国高校サッカー選手権大会を観て、無性にサッカーがしたくなってしまった。

 

チョロすぎな性格はこの頃から健在で、受験を迎える直前になって、志望校を変更。1月も中旬の出来事である。

時期も時期だったので、少しでもサッカーのできる環境がある公立高校を目指し、そこからはひたすら勉強に明け暮れる毎日だった。2月になって母が手術をし、受験期前後は家事もやらなくてはならないというイレギュラーもあって、かなり疲弊したが、なんとか頑張って第一志望校に合格することができた。

 

大変だったけれど、今考えればあの2ヶ月の追い込みは、生涯サッカーを貫くため、また今年で7年目の相棒あきほと出会うためのものだったのだと思うと、あの頃の自分に感謝したい。


 

 

高校でのサッカーはとても充実していた。

 

私は、これまでに出会ってきた人、物、置かれている環境には生まれつき恵まれていると感じることが多い。

中学でもそうだったが、幸い高校でも良い環境に恵まれ、「サッカーをやる」には文句なしの場所だった。

 

「走れ!野生児!」が口癖の顧問の先生や、部活特有の怖い?(厳しい?)先輩にもたくさん面倒を見てもらい、最終的には柄にもなく主将なんかやっちゃったりしてまたまた楽しく3年間サッカーを続けることができた。

 

 

でも「何か」が違った。

 

 

その「何か」を見つけるためにも大学でももちろんサッカーは続けようと思った。

 

 

立教大学への入学が決まって初めて体験に行った時、まずサッカーをする環境の良さに驚いた。

 

練習の段階で、転んでも痛くない、グラウンド整備もいらない人工芝でサッカーをすることができるなんて田舎者には考えられなかったので、こんな環境で毎日のようにボールに触れるのかと感動した。

 

そういえば、まだ体育会になっていなかったDESAFIOの時代に、対学芸大学の試合を初めて見学に行ったものの、相手大学のライトの故障?トラブル?が原因でナイター試合ができず、撤退を余儀なくされたことも懐かしい思い出である。笑

 

今となっては当たり前のような環境に思えるが、当時の私にとって富士見グラウンドは、大学からチャリで往復1時間弱という、移動距離チャリ部?、と思ってしまうような部分を除けば、ナイター設備も整っていて、恵まれた状態でサッカーができる最高の場所に見えていた。

 

でも惹かれたのはそこだけではない。

 

その場でサッカーをしていた先輩方の人柄やプレーにも魅力を感じた。

 

動いただけで今まですごく高いレベルでサッカーをしてきたのだということが伝わってくる選手。それに負けず劣らずの勢いでプレーするサッカー未経験者の選手。

 

言葉にせずとも伝わってくる先輩方のサッカーに対するアツさに、今まで忘れかけていた、もっと上手くなりたいというハングリーな感情を思い出したとともに、直感的に、高校時代置いてきた「何か」を見つけることができるのではないかと感じ、

 

このチームに私の大学4年間を捧げたい、そう思った。

 






 

立教大学体育会サッカー部入部して1年目。

 

関カレ3部におり、勝てる試合も多かった。

 

憧れの場、新しい環境でのサッカーは慣れないことも多く、身になることばかりで、日々ついていくことに必死。

 

1試合1試合学ぶことはたくさんあったが、その中でも、

 

はじめての中央学院戦、自分の不甲斐ないディフェンスのせいで失点した試合、

日本女子体育大学戦、CKでマークを外し、失点した試合。

 

は、忘れられない記憶として今でも鮮明に残っている。


 

今まで私は、勝つ試合よりも負ける試合の方がはるかに多かったし、なんなら勝てるなんて奇跡、そんな環境でサッカーをしてきた。

 

このチームに入って勝てる試合をほとんど初めて経験したからこそ、今まで自分の弱さと真剣に向き合ってこなかったしわ寄せが、悔しさ、情けなさとして初めて残った。


 

チームにとってこれらの試合は、「負け」「勝ち点0」という悔しい結果として残ってしまったが、私にとってこの後悔は、自分の弱さと向き合うきっかけをくれた。

 

勝つことの喜び、負けることの悔しさ、サッカーとの向き合い方、多くのものを吸収した1年だった。







 

そして2年目。

 

この年から、優実さん(フィジカルコーチ)も女子チームに参入してくれ、スタッフ体制も練習環境も本格的に体育会!というような1年が始まった。

 

しかし、4月初め、立ち上がり間もなくして捻挫をし、チームの練習を離脱。

 

最初はサッカーができないことをネガティブに捉えていたが、初めて長い間外からチームを見て、私たちがサッカーをするためにたくさんの方が動いてくれていることに気づき、視野を広げることができた期間でもあった。

 

毎回の練習、成長するために練習内容を考えてくれる水島さんや安松先生。

 

選手の精神面もフィジカル面も常に最善であるように努めてくれる優実さん。

 

リハビリに励みながらも、サッカーをしたい気持ちを抑えて運営に回ってくれる選手たち。

 

私たちの「当たり前」はたくさんの人の支えがあってこそだと気づくことができたし、自分のためだけでなく、そうして応援してくれる人たちのために戦うべきだと感じることができた。


 

そしてチーム全員で勝ち取った関カレ2部の舞台。


 

決して選手の力だけでは成し得なかったものだと感じた。

 

1年かけてチームを大きく強くしてくださった、支えてくださった監督・コーチ・スタッフ・運営陣、その他関係者の皆様には、本当に本当に感謝の気持ちでいっぱいである。


 

サッカーだけでなく、そのほかにも視野を広げることができた分、「感謝」を感じることの多かった1年。

 

当時の主将であった七海さん(22卒)が卒業する際、別れを惜しみ、泣きじゃくる私にかけてくださった言葉にも、大いに感謝している。


 

『自分だけではなく、これからは周りを見れる人になるんだよ。』

 

自分のことでいっぱいいっぱいになってしまう。上手くいかないことがあればピーピー泣いて周りの人に助けを求める。

 

高学年になるには、あまりにも自己中すぎた私にとって、その言葉は、深い意味を持って心に刺さった。

 

それぞれ捉え方はあると思うが、選手として、時にスタッフとして過ごしたこの1年。

 

私がこれまでに吸収したことや教えてもらったこと、支えてもらったこと、様々な経験を活かして、それをチームに還元することが、高学年としての振る舞いなのだと言うことに気づかされた。

 

そして、弱さと向き合えることが私の強みであると、言ってくれた気がした。


 

3年になること、関東2部、都リーグ1部で戦うことへの不安、

 

ピッチ内外において心の支えだった4年生の卒業。

 

様々な不安が重なって、どうにかなってしまいそうだったが、高学年になる今、

 

こうして応援してくださる先輩方や、必死でチームのために戦っているスタッフ・仲間のためにもそんな舐め腐ったこと言ってられない、

 

そう自分を奮い立たせ、高学年としての覚悟を決めることができた1年だった。








 

そして、高学年の1人として迎えた3年目。

 

「副将」という役職を背負っての年だったが、部活、就活、授業、実習準備と、容量が悪い私には非常にキャパオーバーであり、またまた自分に精一杯な毎日を送っていた。

 

そういえば、この時期は那美(4年/心理)と座キャンの図書館に篭りすぎて、図書館の彼女の座をかけて争ったこともあったっけ。笑

 

去年のみんなのブログを読んでいただければ伝わると思うが、2部の舞台は想像を絶するほど厳しいもので、どれだけ練習しても立ちはだかるのは高い高い壁、壁、壁。

 

勝ち点を積み上げるどころか、失点の数だけが増え続け、「絶望」ってこういう時に使うのだろう、と初めてどん底に叩き落とされた気分だった。

 

特に、右WBとして私も出場した、9失点で大敗した尚美戦は、今までもこれからも決して忘れることのない試合であろう。(ちょうどこの日の日記が残っていたが、消えたい消えたい、と殴り書きがしてあるくらいひどい心の状態だった。笑)

 

去年とはまた違った自分の弱さと向き合わなければならない状況で、未熟な人間のまま前に進むことができない日々が続いた。

 

そこでとどまれればいいものの、ミスをしては怒られミスをしては怒られを繰り返していくうちに、失敗を恐れる人間にまで劣化し、気づけばもう11月、実習を迎える時期になっていた。


 

朝6時に出勤し9時に退勤、時間が合えばその後部活に参加し、18時に再び出勤、22時退勤。その後帰ってから1日の振り返りをまとめなければならず、睡眠にとれる時間は3時間。という日々の繰り返し。

 

部活もそうだが、特に実習のこの時期は日々のタスクが多すぎて、心も身体も正直辛いことの方が多かった。

 

なので、同じ年に先に実習に行っていた郁乃さん(23卒)や沙稀(4年・主務/福祉)がどういうスケジュールで動いていたのかは知らないが、実習・部活の二刀流をそつなくこなしちゃう(ように見えた)のは本当にやめていただきたかった。笑


 

約1ヶ月の児童養護施設での実習は、大変なことも多かったが、得たものもまた大きかった。

 

施設では、さまざまな背景のある子どもたちが生活をしているが、

 

泣きたい時は誰よりも大きな声で泣く。

 

遊びたい時は誰よりも弾けるような笑顔で駆け回る。

 

手を差し伸べたら、私の手の半分くらいしかない小さな手で、「どこにも行かないで。」と言わんばかりの強さでぎゅっと握り返してくれる。

 

小さいながら、これまでにどんな困難があっても、全力で「今」を生きる子どもたちの力強さに心打たれた。

 

そして、この1年間、目の前のことにどれくらい本気で向き合ってきたか、「今」を全力で駆け抜けてきたか、改めて自分の行動を見つめ直す、いいきっかけをくれた。


 

実習が終わってからのサッカーは、実習で得たものを活かし、目の前のものに必死になってサッカーをすることができた。

だからこそ、入れ替え戦にも出場することができたし、関東2部の舞台を守り続けるという目標にも貢献することができたのだと思う。

 

実習を通して、サッカーを通して、「今」を全力で生きることの大切さを学んだ。

 

来年こそ関カレ2部最下位は自動降格と、厳しい1年になるということはわかっていたが、それでも1試合1試合を入れ替え戦のように思って、

 

目の前の試合に全力で。

 

という覚悟を決めることができた1年だった。









 

そして迎えた最後の1年。

 

主将としての覚悟の1年。

 

去年もなかなか濃い1年だったが、今年は自分の至らなさ、未熟さに何度も頭を抱えた苦しい1年でもあった。

 

去年から課題だった組織力向上のため、「ー結束ー Stay hungry、 Stay hero(貪欲であれ、主人公であれ)」というスローガンを掲げた。

 

学年関係なく何でも言い合える関係を作ること、全員の居場所を作ることのできる主将像を目指し、意気込んで始動した1年だったが、始動後初めての練習試合後にダウン。

 

約1週間、発熱や腹痛、吐き気に襲われた。

 

いつもの体力限界熱(勝手にそう呼んでいる)が原因なのか、知恵熱なのか。

 

原因は全くわからないが、情けなさすぎて思い出したくもないくらい、大きなものを背負って1年間、走り続けなければならないということに、今まで感じたことのなかった不安や恐怖に苛まれていたことは確かである。(そんな不甲斐なさ、未熟さのせいでチームのみんな、特に幹部のみんなにはたくさん迷惑をかけた。本当に申し訳ない。)

 

新体制ミーティング、100周年記念式典、入部式、とチームの顔ともなるべき主将として、多くの人の前に立つことや、毎回の練習で入りと締めの言葉を考えて伝えることは、慣れるまでにとても時間がかかった。

 

どのくらい向いていなかったかというと、「水島さん」というワードを言う時に、必ず「み、みず、水島さんの言うとおり、、。」と、噛んでしまうことが習慣化してしまうほど、である。笑(今でもたくさん噛んでしまうことありますが、ご愛嬌として聞き流してくれるとありがたい。)

 

「言葉」で伝えることの難しさと、「言葉」にすることの責任を同時に感じた。

 

みんなも水島さんや、歴代の主将から何度も聞いた覚えがあるだろう「会話を大切に」というフレーズ。

 

なぜこんなにも言葉にこだわるチームなのか、

 

それは、組織とは、さまざまな背景を持った人の集団であり、誰一人として「同じ」が無いからこそだと思う。

 

体育会サッカー部という組織に入った以上、同じ目標を目指すことは組織として当たり前のことかもしれないが、たとえ同じ目標を目指すもの同士の集まりだとしても、目標を達成するための細かい過程全てが同じなんてことはまずあり得ない。

 

限られた時間のなかで、自分にとってではなく、チームにとって最善の選択をしていかなければならないからこそ、言葉を介して自分の考えを伝え、相手の考えを理解するために「会話」を大切にしてきたのだと思う。

 

自分の考えに固執しすぎないため、

自分を正当化しすぎないため、

そして自分自身の成長に、チームの成長に繋げていくためにも、

 

後輩のみんなには今までもこれからもずっと、言葉を介した会話を大切にしてほしい。

 

と、心からそう願う。



 

話がだいぶそれてしまったが、体調も治り、「言葉」を伝えることにも徐々に慣れてきた4月には、我々の予想をはるかに超えた10人もの1年生が入部を決めてくれ、過去最高の大所帯LINEグループが出来上がった。

 

4月から29人(選手26人、スタッフ3人)体制で再スタートを切った女子チーム。

 

人数が増えたことで得たものもあれば、向き合わなければならない現実もあった。

 

試合に出ることができるのは11人プラス交代枠。

 

前期の国士舘戦や順天戦はなんとか試合に絡むことができたが、慶応戦、中院戦と選手として試合に出ることは愚か、交代枠に入ることすらできない時期が続いた。

 

主将として、最高学年として、このチームに何もできていない、目の前のことに全力になりきれていない自分に腹が立ち、プレーで貢献できていない分、その他の部分で貢献しようとした。

 

週1で通っていたふーさん(フィジカルコーチ)と水島さんの試合振り返り会議や相手分析会議により積極的に参加し、セットプレーの動画編集など、今まで以上に力を入れた。

蹴って走る!しか知識のない、自らのサッカー知識醸成のためでもあったし、時間が許す限り、このチームに尽くそうと思っての行動だった。

 

そのおかげ?とまでは行かないだろうが、久しぶりにFWとしてピッチに立つことができた試合の東海戦では、無我夢中になってボールを追いかけ、勝ち点1に少しだけ貢献することができた。

 

しかし、東海戦が終わってすぐの朝練で足首を捻挫。せっかく試合に少し絡めるようになったのに、悔しい気持ちでいっぱいになった。ベンチ外からのスタート。

 

今までだったら喜びも悲しみも、自分の中にあったものが、急に遠くにあるように感じられた。

 

関カレで初めてチームが勝ち点3をとることができた前期の尚美戦。2部昇格以来の初めての偉業に喜びで涙を流したが、ピッチで身を粉にしながらチームのために戦った選手たちを目の前にして、悔しさも嬉しさも、貢献できていない自分が同じ感情を抱いていいのかと複雑な感情でぐちゃぐちゃになった。

 

毎回毎回心身ともに疲弊していく仲間を見ても、見守り、取り繕った言葉をかけることしかできなかった。

 

そんなモヤモヤを抱えたまま前期が終了し、チームの関カレ前期の順位は最下位。

 

選手として、主将としての不甲斐なさを痛感した。


 

夏の都リーグにも選手としては参加できず、そのまま関カレ後期が始まった。

 

後期が始まってもなかなか試合に出られない日々が続き、現実向き合うことから逃げ、チームに貢献している、と思い込むことでなんとか正気を保っていた。

 

でもやはり思っていることはそのままの形でプレーに現れ、その薄っぺらい覚悟に気づいてか、ある時水島さんに、

 

『それで2部の舞台に立てると思ってんの、甘いんじゃねぇのか。』 

 

と喝を入れられた。その通り過ぎて、悔しいとか、苦しいとかそんな感情一切湧いてこなかった。ただただ恥ずかしかった。主将としてではなく、選手としてこの場にいる意味が感じられない、そう言われた気がした。

 

このままではいられない、そこからは無我夢中でやるべきことをリストアップし、コツコツと積み重ねた。試合に出られない分、オフの日は地元の山道ロードを走り、イメージトレーニングのためにたくさん動画を見て、万由子(3年/スポウエル)とともに杏奈(1年/スポウエル)のドリブル塾にも入塾したりした。

 

それでも現実はそう甘くなかった。後期は前期よりも試合に出る機会も0。毎日が苦しかった。バスを待っている時も、お風呂に入っている時も、ご飯を食べている時も、1人になると自分の至らなさに自然と涙が流れてきた。

 

でもそれでも主将として立ち続けることは絶対に辞めたくなかった。みんなの前で悔し涙を流すなんて、逃げるなんて傲慢だと思った。

 

唯一できることは、「言葉」を持って伝えられること。例えベンチにいたとしても声が枯れるまで仲間を鼓舞し続ける、入りと締めの挨拶で、チームの現状、これからの在り方、思うところを全て言葉にして伝え続けた。

 

「継続は力なり」を信じて、愚直に自分の弱さと向き合い続けたが、試合に出ることは叶わず、関カレも残すところあと3戦というところまで来てしまった。

 

Aqua Timesの「決意の朝に」を聴きながらバス停までの道、流れてくる悔し涙を隠して歩いたのも、つい最近のことだ。


 

そんな時、『最近調子どう?』という水島さんの声。去年の香帆さん(23卒)の引退ブログにもあった、例のあれだ。

 

久しぶりにグラウンドで涙を流し(涙ネタは飽きたでしょうが最後までお付き合いください)、自分に足りない部分、逆に武器になる部分、一人では解決できなかったモヤモヤを綺麗さっぱり消し去ってくれた。

 

向き合うべき自分の「最終で最大の弱さ」のヒントを与えてくれた。

 

 

そして迎えた人生最後の関カレ、尚美戦。

 

後半25分、私の代わりにずっとキャプテンマークをつけて戦ってくれた沙稀と交代して出場した人生で最後の関カレ、どんなことがあろうとチームのために走り続ける!そう意気込んでピッチに立った。

 

そして後半43分(頃)、莉子(2年/心理)のクロスを相手がクリアミスし、たまたまゴール前まで走っていた私のところにボールが届いた。右足に当たったボールは相手のGKの右脇をぬけ、そのままゴールイン。

 

情けで出してもらった試合だったかもしれないが、点を決めることができた。

 

今まで積み重ねてきたものがこうして結果に現れたのだ!と綺麗事を並べる気はさらさらないが、サッカー人生で最も喜んだ瞬間だった。初めて心から嬉し涙を流すことができた。

 

今までサッカーをしてきて本当に良かったと思えた1日だった。


 

最終戦は結果、敗北という形で終わったが、チームは2部残留を自力で掴み取った。

 

目標を達成したのである。







 

私はこの長い長い4年間をかけて、高校時代では感じることのできなかった「何か」の答えを見つけることができた。

 

それは

 

「弱さと向き合う勇気」と

 

「続けることの価値」

 

である。

 

うまく行かないことがあっても、自分の弱さから目を背けず、それを受け入れ、向き合う勇気を持つこと。

 

また、向き合い続けることで、それがいつか、自分だけでなく、誰かにとっての強みになること。

 

ありがちなことかもしれないが、私にとってそれは4年間のなかで間違いなく、私という人間を作り上げて行く上で欠かすことのできない重要な要素の1つだったし、これからもずっとそうであり続けるだろう。本当にあの時、サッカーを続けるという決断をして良かったと心から思う。


 

この部活がサークル時代の主将であり、偉大なる女サカの創設者の穂乃花さん(20卒/スポウエル)。

 

体育会に昇格後2年もの間主将を務め、2部昇格を成功させた万由子の師、七海さん。

 

2部昇格後苦しい時期も、ピッチ内外広い視野でチームを引っ張り続けてくれた郁乃さん。

 

 

それぞれ違う色だけど、主将としての威厳や風格があった歴代主将たちと比べ、サッカーも知らず、弱虫で、自信もなく、主将としてはあまりにも未熟だった私。

 

そんな人間がこうして最後まで主将として立ち続けたことに、何か意味を見出すとするならば、

 

私のように自分に自信がなく、毎日不安と焦燥感に駆られ、このチームにいる意味を見失いかけている選手に、その勇気と価値を伝え、前に進み続けるヒントを残すため。

 

そう考えれば、この1年は自分にとっても大きな意味があったのではないかと思う。



 

その未熟さゆえに、多くの人々の支えを受けて、様々な恩恵を肌で感じながら、走り続けることができたこの1年。

 

自分1人では絶対に見ることができなかった、一生忘れることのないであろう景色。

 

そこに至るまで、どれだけ多くの方が血の滲むような努力をしてきたのか、支えてくださった方には頭が上がらない。

 

特に、水島さんやふーさんをはじめとし、信じて共に戦ってくれた仲間には感謝してもしきれない。

 

こんなにも未熟な主将を支えてくれて、嫌でもついてきてくれて、本当に本当にありがとうございました。


 

みんなが思い描くような主将ではなかったかもしれないけれど、私にとって、みんながそうであったように、残りの2週間は

 

誰かにとって勇気を持ってもらえるような存在

 

に1歩でも近づけるよう、そして、

 

やり続けたことに価値があると思える締めくくりであるように、

 

気の済むまで走り続けようと思う。


 

4年間、本当にありがとうございました。


 

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以下からは、私のこの4年間の大学サッカーを支えてくださった方々への感謝を綴ろうと思います。

 

<水島さん>

4年間、私をここまで連れてきてくださり、本当にありがとうございました。最初はすごく恐怖だったけど、その中にも水島さんの言葉には一つひとつ愛があるのだと、4年かけてようやく気づくことができました。本当に失望しているなら、叱りもせず見捨てればいい。でも見捨てずにずっとずっと叱り続けてくれた。そして数少ない良さを全力で伸ばしてくれた。サッカーをすることの楽しさを教えてくれた。私のサッカー人生を語る上でなくてはならない大切な存在です。恩師と呼ばせてください。水島信者同盟を組んでいる万由子(3年/スポウエル)のことを、どうぞこれからも宜しくお願いします。笑

 

<ふーさん>

1年間という短すぎる間でしたが、サッカーだけでなく私の就活まで面倒を見てくださり、本当にありがとうございました。この1年間、ふーさんからは本当にたくさんのことを学びました。最高学年としてチームを引っ張って行かなきゃいけない中で、経験値のあるふーさんという存在の大きさを感じていました。たまに出る毒舌関西弁も大好きでした。とにかくもっと早く出会って、もっとたくさん成長したかったです。あと、アツくなりすぎちゃう水島さんを冷ます役、適任すぎました。まさに最強コンビだと思います。またふーさんの車でサッカー観に行きたいです。

 

<優実さん>

3年間、私のぐにゃぐにゃ足首とお豆腐メンタルをずっとそばで支えてくださり、ありがとうございました。優実さんがいなかったらきっと私はこのチームにいないだろうと思うほど、本当に様々な面で支えてもらいました。ダブルスクールしながらのトレーナーという超多忙な毎日は優実さんにしか乗り越えられないものだと思います。大尊敬です。でも、「ピラティス」のことを「ティラピス」と言っていた可愛い一面もあってそんなギャプも大好きでした。これからもなんとなくどこかで会える気がするので、その時はまたテーピング、お願いします。笑

 

<菫>

ずっと私の足首テーピングを専属で巻いてくれた菫、もうあと2週間でそれもなくなってしまうと思うととても寂しいものがあります。高校時代の主将経験を元に、何度も私にアドバイスをくれたこと、池袋の公園でアツく今後のチームについて語り合い、お互い頑張ろうと意気込んだこと、チームに対する情熱がありすぎて、あれ、主将ってどっちだっけ??と思っちゃうくらい菫からは人生を学ばせていただきました。笑 ありがとう。その視野の広さで、主務として、時に4年生として、このチームを引っ張っていってください。今度こそご飯行こうね。

 

<櫻井さん>

3年という1番辛い時期に、チームを支えてくださりありがとうございました。櫻井さんのかけてくださる言葉は結構心に刺さるものがあって、来年主将になれるか不安だという相談をした時に、支えたくなるキャプテン像の話をしてくださった時は非常に救われたのを覚えています。必要な時に必要な声をかけてくれ、ありがとうございました。

残り2週間ですが、アイスはまだもらっていないので意地でももらいに行きます。笑

 

その他、安松先生や女子チームを応援してくださった男子チームのコーチ、監督の皆様をはじめとし、立教サッカー部運営に関わってくださった全ての皆様に感謝いたします。

 

ありがとうございました。





 

後輩へ

 

<1年生>

初めからクセの強いお婆さんと仲良くしてくれてありがとう。

 

後ろからの「ナァァァイス!」の声の安心感半端ない、英(1年/スポウエル)。

カイロ泥棒しちゃう両利き安定スーパーマン、夕奈(1年/スポウエル)。

右足使うと無双しちゃうから封印してるんだと思ってたら実は左利きだった、夢奈(1年/コミュ福)。

サトシも怒られキャラも引き継いでくれている、碧寧(1年/法)。

ふわふわしてるように見えるけど誰よりも声と向上心が高い、未結(1年/スポウエル)。

圧倒的末っ子、甘え上手な優しき弾丸ストライカー、名菜(1年/スポウエル)。

ピッチ内外たくさんのピンチを救ってくれた小さな巨人、杏奈。

カレー見たらついかき込んじゃうチームの食いしん坊エース、琳音(1年/スポウエル)。

 

生意気な子ばっかだったけど、それも全て愛おしい学年。みんな私のギャップを誉めてくれるけど、私もみんなのピッチ内外のギャップに憧れを持っていました。ピッチに立った時の目の色が変わる瞬間、私にはできないのでかっこいいなと思ってました。みんなとは欲を言えばもっと早く出会っていたかったです。これから始まる2年生としての大学サッカー。1年目とはまた違った景色を見ることになるんだろうけれど、8人という強みを活かしてさまざまなことに挑戦していってください。応援しています。

 

<2年生>

多分学年で一番繊細で、でもだからこそ一番気遣いができる学年。

 

弁当の梅干しが一生でかい、十文字魂を引き継ぐスピードモンスター葵(2年/スポウエル)。

私の名前をずっと貫(つらぬき)さんだと思ってた立教のテクニシャン、瑠月(2年/文)。

声も体もほっそいのにエグいドリブルや守備力でチームを救ってくれた、莉子。

一生このみのことをこーみさんと言い続ける可愛い後輩、玲亜(2年/数)。

心も体も1番成長したチームのフィジカルモンスター理世(2年/コミュ福)。

 

お恥ずかしながら、2年生には、プレー面だけでなく、結構精神的にも支えてもらいました。本当に感謝しています。笑

ピンクレンジャー!とか言っていた君たちももうあと少しで高学年と呼ばれる年になるね。今まで感じてこなかった責任とか、覚悟とか、きっと様々な感情に飲み込まれそうになるかもしれないけど、自分を信じて仲間を信じてこれまで貫いてきた芯だけは、大切にしていって欲しいなと思います。がんばれ2年生!!応援しています。

 

<3年生>

みんなにはいろんな意味でいろんな場面で救われてばっかりでしたね。こんなにも頼りない主将だからたくさん迷惑をかけたし、頭を抱えさせたと思う。それでも最後まで支えてくれてありがとう。

 

圧倒的センターバックかつ司令塔、そして何より不動のギャガー、幸奈(3年/文)。 

唯一のお笑い好き仲間、心優しきトゥルーラブ、いっしー(3年/スポウエル)。

世界一ボブが似合っている我らが敏腕マネ、菫(3年/法)。 

アメリカで留学頑張っている可能性無限大な、茉央(3年/観光)。 

'無駄'という言葉が世界一嫌いそうな蹴球賢女、萌瑛(3年/スポウエル)。 

削られない試合はないくらいストイックマン、愛実(3年/スポウエル)。

ピッチ外マイペースすぎるけどピッチ内では良きライバル、万由子。

 

個々が強くてバラバラに見えがちだけど、本当は一番団結力があって、そこから放たれる力は莫大なものを秘めてる学年。みんながいたからこのチームはここまで強くなれたと思います。来年はついに最高学年だね。多分大変なこともあると思うけど、大黒柱の幸奈を筆頭に、困難をも追い風にして新しい歴史を刻んでいってください。応援しています。

 

最後に4年生、、には恥ずかしいから手紙で!

 

とにかく今まで一緒にサッカーをしてくれてありがとう!

残り2週間、悔いのないサッカーをしようね!

 

 

 

 

<家族へ>

22年間、私をここまで育ててくれてありがとう。

仕事で死ぬほど体力を使うのに、愛情たっぷりのご飯を作ってくれるお母さん。

終バスが無い夜練の帰り、23時近くまで仕事してるから、と嘘ついていつも待っててくれているお父さん。

夜遅く、両親が酔い潰れて迎えにこれない時に、初心者マークをつけながら迎えにきてくれる弟。

家族の支えがなければここまでサッカーを続けることはできなかったと思います。

これから少しずつ恩を返していきたいと思っているので、絶対に長生きしてください。





 

最後に、

 

これからも私は「サッカーに関わる」という選択をしました。

 

それは、サッカーを通して、多くの人、経験、知識と、何にも代え難い「宝物」にめぐり逢うことができたからです。

 

サッカーが私の人生を豊かにしてくれました。

 

人生そのものとも言えるサッカーに、私の人生をかけて恩返しをしていきたいと思っています。

 

これからも、サッカーが、多くの人に情熱を届け、感動を届けられるスポーツであり続けられることを願いつつ、新たな道でも、自分を見失わずに前に進み続けようと思います。

 

 

最後までまとまりのない文章をお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お気に入りの写真(真ん中)

 

 

 

 

 

4年生引退ブログは本日にて終了となりました。

ありがとうございました!

 

これからも立教大学サッカー部女子チームの応援よろしくお願いいたします。