【2024引退ブログ】
NO.7 池田幸奈
「最大級の愛と感謝を」
《プロフィール》
学年:4年
学部学科:文学部文学科日本文学専修
出身校/前所属チーム:文京学院大学女子高等学校
ポジション:CB
マイブーム:引退後の新たな趣味探し
座右の銘:いつも心に太陽を
気合を入れる時に聞く曲:UR not alone (GReeeeN)
いつか挑戦してみたいこと:自分のお店を開くこと(カフェ、定食屋、居酒屋など)
【他己紹介】
ゆきなの魅力が存分に伝わってほしい、という思いで、愛だけをこめて書かせていただきます。(なぜ彼氏いない①)
ゆきなと初めて出会ったのは11カ月前のサイゼリヤ。
それまでお互いに会ったことがなかったため、私が入部する前に1回、2人で会って話そうということになり、集合してとりあえずサイゼリヤに入って若干気まずい感じで一緒にパスタ食べたよね。(笑)
そんな「気まずサイゼリヤ」から始まった私たち。
試合ではCBとしてコンビを組み、ピッチの外でも2人で率先して身体を張ってふざけ(全てはチームの良き雰囲気創りのためだよね)、気付いたらピッチの中でも外でも共に、良いチャレンジアンドカバーができるほどの仲になっていた。
こうなれたのも、ゆきなのおかげ。ありがとう。
ゆきなは女子チームの主将であり、このチームの大黒柱。
責任感、誇り、覚悟、このチームに懸ける思い、そして4年間の集大成であるラスト1年に懸ける思い。
ゆきなの言動やCBとして隣でプレーする中で、これらの想いがひしひしと伝わってくる。
CBとしてだけではなく、リーダーとして、人として、たくさん刺激をもらい、学ぶべきことが多くあった。(ふざけ合っている日々の中ではこんなこと直接言えないけれど)
ピッチ内ではチームのために身体を張って守り、声を枯らしながらみんなを鼓舞する頼れる力強い主将のゆきなだが(声が枯れているのは飲みすぎのせいかもしれないけど)、
鳩が何よりも嫌いです。鳩の存在をいち早く察知し、全力で避ける。そして鳩を見つけた時のゆきなの顔は、眉が下がり、THE困り顔でとてもかわいくて、守りたくなる。(笑)
他にも、「時間あって暇だったから」と、おいしいスイートポテトやクッキーをみんなに作ってきてくれる。(最近もらってないなあ)特にだし巻き卵が得意料理らしい。
同期旅行の時には、最高なヴィラを予約してくれて、慣れた感じで色々な準備をしてくれる、できるイイ女なんです。(サウナでのあのトド出荷事件はもえとの3人の秘密にしておくね)
こんな感じで、大黒柱の主将の姿とは反対に、かわいらしい一面もあるんです。
でもやっぱりオフでも頼りになり過ぎる背中がかっこよくて、ついうっかり「ぱぱ」と呼びたくなってしまう。(愛)
とにかくだいすき!ということ。
そんなピッチ内外で頼りになるぱぱ、あ、できるイイ女ゆきなが、
引退を目の前にしてまさか前十字靭帯を断裂するとは思わなかった。
時期的な問題もあり、チーム活動時内でのリハビリはせずに学生コーチとしてチームのために声を出し続け、一緒に闘うという決断をしたゆきな。
誰よりもチームのために、全てを懸けて4年間闘ってきたラストがこれなのか、と、
受け入れがたいはずの現実。
それでも、みんなの前で弱い姿は決して見せずに、これまでと同じようにチームのために声を枯らし、盛り上げ、大黒柱として、頼れる主将として、在り続けた。
私たちには想像もできないほどの悔しさ、苦しさを抱えながらもチームのために最後まで共に闘う姿を見せてくれているゆきなが、この引退ブログで何を語ってくれるのか、必見過ぎます。そしてワードセンスに溢れた文学部のエースだしね。
もっとゆきなの魅力をみなさんにお伝えしたいところですが、さすがにこれ以上長文になることは許されなさそうなので、ゆきなの魅力に改めて触れて彼女のことが気になってしまったみなさん、ぜひDMしてあげてください。(なぜ彼氏いない②)
キャプ、これでどう?合格?♡
河合野乃子(4年/スポウエル/思い出厨)
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ののこ愛たっぷりの紹介(1420字)ありがとう♡出会って1年とは思えない程、たくさん思い出作ってチャレカバしあってピッチ内外で息ぴったりだったよね。サッカー面ではたくさん刺激を受けて学ばせてもらって、ピッチ外では体張ってチームを盛り上げて、なにもかもが最高に楽しかった。ののこに出会えて、一緒にサッカーできて本当に良かった。これ以上の愛と恩は手紙で伝えます。悔しいぐらいもう十分スタイル良いけどもうちょい首長くして待っててね。
ご紹介に預かりました、今シーズン女子チームの主将を務めさせていただきました4年 池田幸奈(ENFJ)です。
Jタイプということで計画性があるので、前々からこれ書こうかな、など決めていました。でも、ある日を境に崩れました。崩れた先が気になる方は【4年生】というところから読んでください、そこまでは計画通り、大学4年間のあるがままを綴っていきたいと思います。※先にお伝えします。かなり長いです。文学部らしからぬ文章力と要約力ですが、読んでくれると嬉しいです。
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「もうサッカーはいいや!高校でやりきって、大学行ったらバイトして旅行してサークル入って遊んで〜〜〜」
高2の私は大学でサッカーを続ける気はなかった。中高は生活の8割サッカーに捧げていて、きついことも多く、能力値の限界を感じて将来サッカー選手にはなれないことにも気づいていたから、死ぬ気でやるサッカーは高校までにしようと思ってた。それで十分満足だと思ってた。
なのになぜか、今私はここにいる
続けようと思った最初のきっかけはコロナ禍で全国への夢が閉ざされ、不完全燃焼だったから。将来良い仕事に就けそうなGMARCHになんとなく行きたくて、程よくサッカーもしたい。好条件すぎるというのが立教に決めた理由だった。当時の心境を語るのであれば、出来たばかりで3部だし、試合に絡めて、趣味程度にサッカーして、体育会だから就活にも有利で、最高〜みたいな、こんな軽い気持ちで入部を決めて4年間を送ろうと思ってた。
なのになぜか、今私は主将としてサッカーを生活の中心に置いている
ざっと立教を選ぶまでをまとめたがここからが引退ブログの本番。熱く濃い4年間を当時の心境と共に振り返る。
【1年目】
高校を卒業し無事に立教に入学を決めた私はとりあえず遊ぼうと思って練習参加にもいかず免許取ったりバイトしたり遊んだり髪染めたりいわゆる大学前ってやつを謳歌してた。そろそろサッカーするか、って思って連絡して初めて行った練習。「ポジションは?」水島さんに聞かれ、とにかく試合に出たかった私は「ボランチかCBです。」って中高はボランチしかやったことないのに欲張ってCBまで入れちゃった。チームには不動のVOコンビがいて、DF不足も重なり、普通にCBとなった。自分で言ったからにはやるしかないと、ただひたすらにチームの勝利に貢献するため立教のゴールを守り続けようと。ここから私の立教CB生活が始まった。
とにかく楽しかった。チームについて考えていた高3から、一気に自分のことを考えられる環境になり、試合にも絡めて調子も良く、サッカーを純粋に楽しめた。ただ、なにかが違った。楽しいは楽しいんだけど高校時代に味わっていた本気でスタメン取ってやろう、勝ってやろうっていうあの刺激が足りない。ミスしても言えないあの雰囲気。というか言う必要がない感じ、まあ結果も出てるしこんなもんかって正直1年目は気にも留めずに流していた。
この年の思い出と言えば2度の怪我。念願の入替戦1か月前に足首靭帯損傷して、多くの方に協力してもらい超スピードで1週間前に復帰したら3日前のTRで逆足首靭帯損傷。当時は入替戦に来るところまでフル出場で、チームの結果に少しは貢献していた自負があった。正直な話、なんで結果出してきた自分が大一番に怪我して出れなくて、他の人が試合出てるんだ、って心の底から入替戦を応援できない自分がいた。今じゃありえないくらい自分本位だ。それでも、そんな気持ちがなくなるくらい周りに恵まれた。
ちーさん(22卒)の「幸奈の分も戦って絶対昇格するから」って言葉が印象的すぎてこんなかっこいい4年生になりたいって思ったし、水島さんが「ゆきなあああ、、ごめんなああ」って泣きながらバックハグしてきたのを今も鮮明に覚えている。入替戦も怪我なのにメンバーに入れてもらえて「一緒に戦ってくれ、頼むな」って試合前にグータッチされて1年生ながらこのチームの温かさ、良さの虜になった。女サカに入部して良かった、1年目で気づけたことが何よりも幸せな事だと感じる。まさに『出会いに感謝』な一年。
【2年目】
昨年の悔しい経験を晴らすため、昇格を決めてくれたみんなへの恩返しに為に闘う、2部という未知の世界でのスタート。
全く勝てない、全く通用しない。
1年次に感じたなんか違うなって感覚、やっぱりここにツケが回って来たなって。この甘さがこの結果を導いたのは条理だった。
それでも全員が真摯にチームに向き合い、どうにか打開しようと練習の取り組み方や意識も変わっていった。
「学年とか関係ない、お前がチームを引っ張れ、チームを勝利に導け」CBなのに何失点もしている情けない私を何度も鼓舞し、信じて起用してくれた水島さんをはじめ、生意気なくらい意見や要求をしたのに受け入れてくれた先輩方には本当に感謝しかないです。苦しみながらも最後の最後で掴んだ残留は最高だった。
普通ならサッカーが嫌になり、辞めたくなるくらい散々な結果、シーズン。それでも這い上がれたのはサッカーとこのチームが好きだったから。愚直に向き合い続けるみんながいたから。
幸い怪我もせずこのシーズンは全試合フル出場。完全な持論だが、日頃から試合に出るために練習をしてる。サッカー選手として試合に出場しなければ意味がない。中学生の頃からそのくらいの覚悟をもってやってきた。それくらい試合に出ることにはこだわり続けたし、そんな試合に出たいって思いが何よりも強い自分にとって、年間フル出場は取り組みが成果として結びついた瞬間であり、かなり嬉しかった。
負けっぱなしの日々の中にも学びがあり、成長があり、それらが私の『根拠のある自信』へと変わっていった。この時からチームを引っ張るという意識を芽生えさせてくれたことで3,4年と戦っていく基盤を作ることが出来た。実りある、成長につながった一年。
【3年目】
副将として迎えたシーズン。昨年味わった屈辱を晴らし、成長を見せつける。そんな意気込みで始まったシーズンだったが、そんなに2部は甘くない。
CBとして、副将として、何かできているのか? 自問自答の日々。型にはまり、役職に囚われ、ピッチ内外で悩みの種は消えなかった。
主将でも4年でもないのに、ピッチ内ではチームをまとめ、プレーで引っ張り続けることを要求される。当時の私にそんな余裕も器もなく、なんでまだ3年なのにこんなチームのこと考えないといけないの?と思ってしまうことも。それもこれも誰のせいでもなく、ただ自分が無力で覚悟がなかっただけ。このチームを代表して試合に出る以上、みんなの想いを背負って副将を全うすると決めた以上、当然のことだった。
プレー面でも、ポジション柄失点に絡む事ばかりで試合を落とすごとに自分の無力さを痛感した。
FWは10本に1本決めればヒーロー、DFは9本守っても1本失点に絡めば戦犯。点を取った選手は持ち上げられ、守備陣は0が当たり前。これがサッカーの理。
なぜこんな守ってるのにたった1つのミスで押し潰されないといけないんだ、何度も何度もそう思った。だけど、0点で抑えて終了の笛が鳴るあの瞬間。身体を投げ出してでもゴールを守って士気が高まるあの瞬間。エースやキーマンに仕事をさせずイライラさせるあの瞬間。側からみたら地味かもしれない。それでも、その一瞬一瞬が最高に気持ちいい。脳裏に一生焼きつく。記録には残らないが記憶に残る。これこそがDFの醍醐味。輝くのがオフェンス、チームの心臓が中盤ならチームの根幹を支えているのは守備陣だ。みんながいるからみんなが躍動できる。(守備陣の後輩達、折れそうになったら心の片隅にでも刻んでおいてくれると嬉しいです。)
そんなやりがいを再認識し、自分らしさを見つけた一年は大きく成長できた一年だった。チームとしても、紆余曲折ありながら無事に自力残留。ピッチ内外で働きかけ続けてくれた4年生の偉大さを実感した。全員が悩みながらも確実に成長し、結果を残してきた。チーム、DF、副将、私、多くの『らしさを追求』し続けた一年。
最高の舞台は整った。私たちの代で歴代の最高の結果を残す。先輩方が紡いできた歴史を何倍にも大きくして未来に繋げる。
大袈裟かもしれないが、大好きな同期たちと頼もしい後輩たちとチームを作れることに対して、不安よりも楽しみの方が勝っていた。
【4年目】
主将となった。
推薦でも立候補でも、どちらにせよやる覚悟は固まっていた。そのくらいチームに対して愛と恩があった。この一年で絶対に恩返ししないといけないくらい3年間で大きなものを貰っていたから。
周りからもたくさん応援の声をいただいた。
その反面、期待に応えないといけないプレッシャーがのしかかった。
「リーダーの数だけリーダーシップは存在する」
多くのリーダーがこの言葉に救われたことだろう。
なのに、この言葉が逆に私を苦しめた。
”プレーで貢献し、声で鼓舞し、行動で周りから信頼される、誰よりも明るく熱い太陽みたいな主将”
これが、私がシーズン当初に掲げたリーダー像。
だけどこれを実現するためには、悩んでる姿や波を周りに見せてはいけない、自身の調子がいくら悪くても常にチームのことを考えなければならない。そしてなにより、ピッチに立ち結果を残し続けなければ存在価値が半減する。
上手い後輩ばかりで、チームとして大きく変わろうとしてるタイミングで、古参である4年目のシニアがチームの先頭に立ち続けるためには相当な努力と覚悟が必要なことくらい脳筋な私でもすぐに気づいた。
じゃあ自分にしか出せない良さ、強みは何だろうって。出た答えはチームをプレーでも精神的にも支え続けること。武器を活かし、点を取り点を与えない替えの利かないCBになること。居心地の良いチームを創るために親しみやすい上級生であり続けること。そのために存分に自分らしさを出せばいい。
所属したいと思える、応援したいと思える組織を作るためにこの一年は自分を犠牲にしてでもこのチームに捧げようと決心した。
主将としての責任、覚悟、誇りを胸に、全身全霊で駆け抜けよう、と。
順調に来ていた開幕前週、TRMで捻挫。
またか、、と1年の入替戦の悪夢が蘇り、死ぬほど焦った。主将が怪我してる場合じゃない、私の実力で試合に出るには1日たりとも休んでいる暇なんてない。そう思いながらも心の片隅にはほんのちょっとだけほっとしてる自分がいた。
きっとここ2.3週間調子が悪かった自分に本心は気づいていたのだ。これでやっとプレッシャーから解放される、一瞬でもそう思ってしまった弱さが浮き彫りになった。でも開幕前ってこともあって無理にでも問題ないと思い込ませてたし、周りに見せてるつもりもなかった。ただ、この人だけには隠せなかった。
開幕2日前の夜練前、1人グラウンドに呼び出され、「最近調子どう?」
でた、水島さんのこれ。かほさん(23卒)、まどかさん(24卒)覚えてますか?笑
4年恒例の最近どう?です。
明らかに不調だった私を待っていたのは厳しくも愛のある水島さんの言葉だった。
痛いとこ突かれすぎて水島さんの前でも涙をし、倉庫裏でも1人で泣いた。チームのことも自分のことも中途半端なこの時期はパンク寸前だった。開幕1週間前に自分のことしか考えられてない自分が情けなくて悔しくて、でもそんな自分を信じてくれる水島さんや仲間達を裏切る訳にはいかないって、死ぬ気でやってやろうって思えた。
ここでやっと覚悟が固まり、自分らしい主将像が段々見えてきた。チームとしても過去最高の勝ち点で前期を終え、夏休みを経て、後期は開幕4連勝。順風満帆に今シーズンを終え、勇退する道筋が私の中では出来かけていた。
が、全てが狂った。忘れもしない、10/12 後期東海戦。
前半42分、自陣ゴール前でクロスのこぼれが相手の目の前に落ちた。何が何でも触らねば、と足を伸ばしクリアした1秒後、相手の体が左ひざに入った。痛すぎてあまり覚えてないが「パキッ」って聞こえたのだけは覚えてる。結果的に私の負傷交代の3分後に失点、巻き返せず試合終了。
完全に私の責任だ。この試合も、関カレの流れも、全て壊してしまった。
試合後、挨拶に向かう際に抑えてた涙が一気に溢れてきた。開幕してから、感情の波に左右されまいと涙や悩みを周りに見せてこなかったし、今後も見せるつもりはなかったのに、初めて人前で涙を流した。
なんでこのタイミングで、なんであと3試合で。防ぎようのない怪我だったからこそ悔しいし、この悔しさを誰にぶつければいいかもわからない。それでも、抜けた後のみんなのプレーを見て勇気をもらえた。ピッチ唯一の4年として闘ってくれた愛実(4年/スポウエル/初老ファイター)や絶対勝ってきますってCPマークを引き継いでくれた葵(3年/スポウエル/衰え知らず)、出来てるよ顔上げてやろうよ!って鼓舞してくれたばた(1年/スポウエル/さん付けは出来る)、他にもみんないつも以上に気合い入ってるプレーで、本当に私は周りに支えられてプレーできていたんだなって。負けはしたけど立教の未来は明るいなって思えたし、落ち込んでる場合じゃないし無責任だし、早く復帰してまたみんなとサッカーしたい。そう思わせてくれた。
段々痛みも減り、MRI撮って、軽度であることを証明して早く復帰しないと、そのくらいの軽い気持ちで病院を尋ねた。
ドアを開けた瞬間、なんか空気が重かった。
「接触した時に、結構やばいかもなって思ったりした?」 この一言で全て察した。あ、これ私結構やっちゃってるわって。
「引退間際のキャプテンにこんなこと言うのは辛すぎるんだけど、、切れてるね、、、」
左膝前十字靭帯断裂&外側半月板損傷
軽いと思ってただけに落差がすごくて、頭が真っ白。こんな結末になる覚悟なんて全くしてなかった。
信じられなくて、信じたくもなくて、「ぐるぐるに巻けばすぐ試合でれますか?」って、冷静になって考えればわかる馬鹿な質問を無心でした。そりゃ返答はもちろん✕
そこで初めて自覚した。ああ、私の学生サッカーは終わったんだ、この前の試合でラストだったんだ、もう二度と大好きなみんなと同じピッチに立てないんだ、って。
主将としてここまでチームを創ってきて、チームも個人も調子よくて、毎日サッカーが楽しくてしょうがなくて、あと2か月悔い残さないようにやりきろうとしてるこのタイミングで。サッカーの神様ってあまりにも残酷だ、私何か悪いことでもした?なんか嫌われることした? 感情がぐっちゃぐちゃで、情けなさや怒りを誰にぶつけていいのかもわからない。絶望ってこういうこと。久しぶりに感情がキャパオーバーになった。
その後は怪我の説明されてもさっぱりでただただ呆然と自然に額をつたう涙をどうにか抑えながら、抑えきれず、ただそれだけと闘ってた。
病院の外に出た瞬間、どっと涙が溢れてきた。車に乗って一人になった瞬間、声を出して泣いた。真っ先に水島さんに電話して、めっちゃすすり声で「切れてました、、ダメでした、、」って伝えるのが精一杯。車で20分で着く道を目に涙が溜まるたびに路駐して泣いてやっぱ切り替えなきゃって拭ってを繰り返し、1時間かけて帰宅したのを鮮明に覚えている。
16年間人生かけてやってきたものが一瞬にして何物でもない何かに奪われた。タイムリミットとか予告とか心の準備とかなしに、突然生活から姿を消した。
無理やりでも前を向くしかない。どう足掻こうと復帰が無理な以上割り切るしかない。メンタルを保つためにもこう考えるしかなかった。手術や入院で1日たりともチームを離れたくない、リハなんて自分の時間でやればいいから1分たりとも練習から離れたくない、これだけが確固たる信念というか願望としてボロボロ状態の自分にも備わっていた。自分の膝がこれ以上悪化することなんてどうでもよかった。膝に費やす時間をチームの為に費やす、それが私が一番後悔なく終われる方法だったから。
『残りの期間はチームサポートをします。何でもします。全てチームの為に捧げます。』と水島さんに伝え、『立教には幸奈が必要。俺はお前とベンチで最後まで一緒に闘いたい。』と快く受け入れ、背中を押してくれた。
スタッフでも、学生コーチでも、選手でもなく、役職:『女子チームの主将』として、出来ることはすべてやり、残せるものは1つでも多く残し、自分にしか出来ない方法でプラスを与え続けようと決めた。自己満や綺麗事かもしれない。それでも私はこのチームが好きだから、自己満でも綺麗事でもおせっかいでも何でもいい、自分の満足いくまで許される限りこのチームに尽くしたい。それが1㎜でもチームにいい影響を与えることが出来るなら、勝利に繋がるなら、尚更最高だ。
とは言いつつ、みんなが楽しそうに練習しているところを見ると、何も出来ない自分に苛立ち、サッカーが出来るのを羨ましく思うこともあった。自分は周りが思ってるほど強くて明るい人間じゃないから、ピッチに立っていた時に比べて無力なのではないか、この役割は私以外でもやれるのではないか、主将として何も果たせていないのではないか、などいう思いに苛まれピッチに立って活躍できない現状、大好きなサッカーが出来ない自分に落ち込む日も多かった。とにかく一人になると悩んで苦しくて、自然と涙が出る日だってあった。
それでも、こうなった現状は変わらない。今私に出来ることを必死に探していた時、今までどれだけ周りに支えられていたかを実感した。
選手の為にって一心でサポートしてくれるマネトレ、悔しさを押し殺してチームの為に動いてくれるリハ組、自分の時間を割いてまでも選手がどうしたら活躍できるか、楽しくできるかを一番に考えてくれる熱いスタッフ陣、最高の声と準備で後押ししてくれるベンチ組、ミスを帳消しにしてチャンスに変えてくれるピッチの仲間達。
回しのボール供給が途切れないのも、水飲みたいって思ったタイミングでそこにボトルがあるのも、脱いだピステが畳まれているのも、試合映像が見返せるのも、MTGが出来るのも、グラウンドに行けばメニューがあるのも、きつい時間帯にベンチから大声が聞こえるのも、伸び伸びプレーできるのも、当たり前じゃないし自然にそうなっているわけでもない。
誰かの見えない努力が、目立つことない献身性が、自己犠牲の汗と涙の結晶が、当たり前を創り上げている。活動を支えてくれている。
今までの恩返しだ、今度は私がみんなの当たり前の土台になろう。
こうして私の第二のサッカー人生がスタートした。
未だに何が正解かわからないが、とにかくがむしゃらに、出来ることを毎日積み重ねている。みんなのブログを読む限り、こんな自分でも微力ながら力になれているのかな、と報われた気がした。(かなりの登場率で内心嬉しすぎてにやけてます。かほ(1年/社会/大好きの乱用)、りほ(1年/福祉/サイコッチョー)、りこ(3年/心理/生粋の甘え上手)、れいあ(3年/数/旅行サークル仲間)あたりは登場させすぎね。愛だね。)チームはみんなの頑張りにより5位で上位という目標を達成。都リーグは優勝まであと一歩だったが多くの選手が試合に絡み、たくさんの活躍が見れて最高に楽しかった。課題も伸びしろもまだまだあるチームだったが、女子チームに関わってくださる全ての方のおかげで最高の1年になりました。残りののびしろや組織としての課題は偉大な後輩たちに託したいと思う。
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話は変わるが、別観点からも少し記させてください。
【自分軸】
怪我をする前の自分に問う。
「明日サッカーが終わるとしても、後悔ないですか?」
Yesとは言い切れない。まだまだ選手としてやり残したことがある。関カレ、都リーグの最終節までピッチに立ち勝利に貢献したかった。
怪我で選手生命を奪われ引退までの活躍が閉ざされても、前向きな選択を取ることが出来たのは最高の仲間たちが真っ暗だった私の世界に希望を、活力を、与えてくれたから。学生最後のチームが立教で良かったと心から思う。この後悔はまだ社会人になってもサッカーを続けろという宿命だと捉え、術後リハビリのモチベーションにしたい。
私は今回の怪我を経て、人生ってそんな甘くないと痛感した。前十字断裂がなんだ、半月板損傷がなんだ、死ぬわけじゃない。私よりも辛い思いをしている人はたくさんいる。プレーヤーとしてのサッカーが終わったとしても居場所があり、毎日グラウンドに行って皆と様々な感情や瞬間を共にできた。これって今考えてみたら最高に幸せだ。
それと同時に世の中にはカウントダウンや予告がある終わりとない終わりがあることを知り、受け身で物事を捉えるよりも自ら楽しい人生を手繰り寄せていく大切さを学んだ。今後の人生で何か迷い選択を迫られた時、周りに流されるのでも、普通を取るのでもなく、自分が成長できそう、ワクワクする、そんな選択をしていきたい。
いつ何の終わりが来るかなんて誰もわからないから。
だからこそ、一日、一瞬たりとも後悔が残るような生活をしてはいけない。とはいえ、時には反省する時ややりきれない日もある。その時にどうするか、どう壁を、試練を、乗り越えるか。今年の経験は間違いなく今後の糧になる。乗り越えた自信があるからこそ胸を張って言える。
こう思わせてくれたのは紛れもなくサッカーのおかげ。サッカーで出会った人、得た経験、感じた感情や思い出、その全てが私を形成してくれて、次のステージに繋がる。次のステージでも好きなことを追求し、自分にも他者にも誇れることをしつづけたい。
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自分軸の話はこの辺にして、ここからは未来の女子チームの為に自身が感じたことを書き留めたいと思う。
【女子チーム軸】
皆にもいくつか問いかけをします。
「明日サッカーが終わるとしても、後悔ないですか?」
後悔のないような日々を送ってほしい。だからこそサッカーを心から楽しんでほしいし、楽しいと思えるように歩み続けてほしい。一生懸命やるから本質的な楽しさがあり、その場限りではない成長を手に入れられる。それが体育会としての部活動の最大の意義だと私は思う。
別の世界の話だとずっと思ってた。こんなこと起きるとは思ってもみなかった。こんな考えが当然だし実際に私もそう思ってた。サッカーが出来ることは当たり前じゃない、、やりたくても出来ない人の分まで、、なんて綺麗事だし言われる側だったときはそこまで響いたこともなかった。だからこそ私は、この言葉を通して同情を求めてるわけでも、押し付けをしたいわけでもない。
不自由なく最高の環境でサッカーできる幸せをかみしめて、サッカーを通して周りの人を、そして何より”自分自身”を幸せにしてあげてください。それこそが稀有で厳しい体育会という道を選んで、大学生になってまで、本気になってサッカーに向き合う価値だと思うから。たくさん試練があると思うけど、自分自身を信じ続けて、何よりも、誰よりも、サッカーを楽しんでほしい。
「チームの中で”らしさ”、出せていますか?」
サッカーにおいて、自己犠牲と自己尊重のバランスはとても大切だと思う。周りの為に自分を犠牲にするのはすごく素敵だし、私はそこまで器用ではないから、それが出来る立教の仲間たちを誇りに思う。そんな実直で素直なみんなに今年はとても支えられた。だからこそ、ストレスや悩みの種が溜まりそうで心配。無論、そのための仲間と日々の取り組みだと私は信じてる。
女子チームだからこそ、どんな悩みにも向き合ってくれる仲間、支えてくれる仲間、切磋琢磨できる仲間がいる。私もそんな最高な同期がいて、尊敬できる先輩がいて、信頼できる後輩がいたから。1人で抱え込まないで、存分に周りを頼ってほしい。周りは全力で支えてあげてほしい。その積み重ねが強い絆に、繋がりに、女子チームの力になる。
そして、毎日の取り組みを思い返してほしい。積み重ねてきたTRや日々は嘘をつかないし、1番の不変の味方でいてくれる。その中で存分に”らしさ”を出してほしい、チームを引っ張る立場を担う人はらしさが出せる環境をつくってほしい。一人ひとりのらしさは、必ずチーム創りにおける大切なピースになる。
「正解を選ぶのではなく、選んだ道を正解にできていますか?」
まずはピッチ内。更に上のステージも視野に入る今後は、過程だけではなく結果も重要視される。発展途上の女子チームだからこそこうすればいいっていう正解はない。成長や歩みを止めないためにも、日々のTRの中では細部にまでこだわり、互いに要求できる組織でいてほしい。勝つチームになるためには何が足りないのか、常に考え実行に移せる組織でいてほしい。
そしてピッチ外。学年ごとにカラーがあり、その年ごとにチームの色も変わる。歴史が浅く、前例も少ないチームだからこそ、チーム創りに正解なんてない。全員が当事者意識をもって、とよく言ってはいたもののすごくアバウトで難しかったと反省している。それでも私が経験を通じていえることは「自分はここでサッカーしたい」と思えるみんなの理想を集めたら間違いなくプラスに繋がるという事だ。表面上はチームを創っているのは指導者や幹部かもしれない。でも実際は一人ひとりがチームを創り上げている。学年だって立場だって関係ない。その内に秘めた想いを大切にしてほしい。プレーで勝利に貢献する、姿勢で示す、行動で貢献する、言動でチームを引っ張る、どんなカタチだっていい。どんなに不器用で泥臭くて不格好でも、常に「今私に出来ること、進んでいる道を正解にするためにやるべきこと」を問い続けられる組織でいてほしい。
周りの方への感謝を忘れずにサッカーに、自分自身に、女子チームに向き合い続け、実直にやり続けてほしい。そうすればこのチームなら間違いなく最高の4年間が送れます。誰目線かもわからないことを書いてしまいましたが、私の経験から得た反省や学びが少しでもこの組織の役に立てば幸いです。
これからの女子チームは今まで以上に最高のチームになります。毎年毎年、その代にしか出せないカラーで立教の未来を紡いでいってくれます。一番近くで見てきた私が自信を持って断言できます。計り知れないポテンシャルを持ち、どんなことも強く乗り越えてきたみんななら大丈夫。一OGとしてずっと応援してます。本当に4年間ってあっという間だから、とにかく楽しんで!!
今後とも立教大学体育会サッカー部女子チームへのご支援ご声援のほどよろしくお願いいたします!
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【感謝】
〇チームのみんなへ
縁の下の力持ち、みんなのことを見守って陰ながら支える。なんて大人びたかっこいい主将は私には出来なかった。オフショのアルバムの8割は映っているくらいでしゃばりでおしゃべりだった。みんなの理想の主将になれたかどうかはわからない。それでも最後までこんな私についてきてくれてありがとう。今年はサッカーが最高に楽しいですって言ってくれる人、立教に入って良かった!ってキラキラした顔で言ってくれる人、来年も留年して残ってくださいって冗談でも言ってくる人、苦しみながらも頑張ってみますって前向きになってくれた人、キャプ!キャプ!っていじってくる人、みんなの一つ一つの何気ない言葉が、私の原動力になってました。
私が個人的にたてた目標【みんなにこのチームを好きになってほしい、とにかく楽しくサッカーしてほしい、立教の女子チームに入ったことを後悔させない、そんなチームを創りたい】は達成できたでしょうか? 力不足だったかもしれない、至らない点も多くありたくさん苦しみ悩ませてしまったと思う。みんなのブログで苦悩を見るたびに、気づいてあげられず助けてあげられなかった申し訳なさで胸がいっぱいになる。
恥ずかしながら大志を掲げ、「みんなのストレスになりそうなものは全部自分が背負えばいいだけ。大切な4年間をこのチームで過ごすと決心してくれた選択を尊重して、時間が許される限り力の限り全部やろう。みんなのマイナスを背負いプラスに変えるのが主将の役目だから。」と一丁前に意気込んでいた。
けど、結局私がどうこうする必要なんて全くなくて、みんながこのチームを創ってくれ、私を支えてくれた。このチームの主将ができてよかった。出会えてよかった。本当にありがとう。
〇一年生
キャラ濃くて、騒がしくて、立教の元気印みたいな学年。3つ下って感じないくらい尊敬できる部分が多いけどピッチ外は人懐っこくて愛くるしい、妹みたいな存在。正直、可愛くて仕方なかった。みんなが楽しくサッカーしてるところを見るのが毎日の楽しみだった。欲をいえば、みんなともっと早く出会って、もっと一緒にサッカーがしたかった。それでも一緒にサッカーができて良かったと心の底から思います。立教に入学して、女子チームに入るという決断をしてくれてありがとう。
1番自分たちの代に似ていてどこか親近感が湧いてました。(良い意味で生意気な感じとか、キャラ濃いのになぜかバランス取れてまとまってるところとか)だからこそすごく期待してる。このポテンシャルの塊みたいな学年が立教で4年間過ごしたらどんなチームになるのかなって。立教に新たな景色を見せてほしい。色々な立場の人がいるからこそ色々な意見があって、その一つ一つが掛け合わさると最強になる。自慢の妹達の成長、これからも応援させてください。
〇二年生
控えめで大人しいように見えて、実はうるさくて面白い。知れば知るほどヘンテコポンコツな一面が垣間見えてくるけど、やっぱり温厚で平和主義、そしてサッカーに実直。課題に矢印向けて、常に自分軸で考えられる点、後輩ながら尊敬してました。
無駄な発信はあんまりしないけど、ここぞって時には適切で信頼できる意見をくれてチームに貢献してくれる。そんなバランスの良さが今年のチームを支えてくれた。昨年の何倍にも逞しくなったね。そんなみんなを誇りに思う。来年は上級生として、3年生を支えてあげてほしい。みんなの周りを俯瞰して見れるところやお互いの意見を尊重して結論を出せるところなど、2年生の良さ全部が、間違いなく立教の力になる。思い返すだけでも良い人しかいない最高の学年。あと2年でこのチームは大きく変わると思う。変革期に上級生になるってことは絶対に意味があるし、みんなにしか乗り越えられないミッションだと思う。新たな立教の土台を、歴史を紡いでいってほしい。
〇三年生
どの代よりも長く一緒にサッカーをした代。そんな代が5人で良かった。チームの状況的にも心置きなくサッカーを楽しめた期間は短かったんじゃないかな。たくさんの心労を負わせてしまったこと、先輩として申し訳ない気持ちでいっぱいだけど、みんなが一個下で本当に頼もしかった。たくさん試練を乗り越えて何回りも大きくなったみんなだからこそ来年は3年生らしさを存分に出して4年間で1番楽しい一年にしてほしい。それができるくらいの力がみんなにはある。
ピッチ内外で心から信頼してる次期主将、心も身体も強くなった生粋の後輩、フィジカル部門は任せたよ心優しき仲間想い海外ガール、誰よりも一緒にいてあっつい話したね同志、絶対大丈夫だよ気負わずとにかく楽しめ末っ子。5人にしか出せないカラーで、最高のチームを創ってください。相談ならいつでも乗るから連絡待ってます。戦隊モノも嵐も5人だし、星も五角形だから。きっと5って少ないようでバランス良くて最強なんだと思う。
〇同期
本当に個性強くて騒がしくて、でも仲間想いで熱くて優しくて、そんな7人が同期で良かった。「うちらでスタメン半分以上占めてるじゃん」とか生意気な事言ってた1年から早4年。今や元気にプレーできる人すら半分以下になっちゃったけど、3部から2部の立教は間違いなく私たちが作ってきたよね、自信をもって言えます、本当に偉大な同期のおかげです。本当に色々なことがあって、たくさんぶつかって話し合ってふざけて遊んで、本気で向き合ったからこそここまで来れた。サッカーに対する熱とチーム愛はどの代よりもあって、そんなみんなと4年間サッカーが出来て本当に楽しかった。大好きです。これ以上は恥ずかしいのでここには書ききれない感謝は個別に手紙で伝えます(まお、手紙渡したいから今どこいるか教えてね笑)年3くらいで集合かけるので 参加or参加で答えてね。幹事は任せてください!
〇水島さん
こんなにも選手想いで熱く真っ直ぐ向き合ってくださる監督に出会えたこと、水島さんの下で4年間サッカーができたことは私の一生の財産です。怪我以外は全試合に起用していただき、立教のゴールを守れたこと、感謝以外の言葉が見つかりません。水島さんの期待に応えきれたかはわかりませんが、間違いなく4年間成長し続けることが出来ました。特に今年の1年は主将として話す機会も多く、チームの課題や選手の様子などを話すたびに水島さんの視野の広さ、アンテナの張り具合、選手への愛などの凄さを身に染みて感じていました。だからこそ『水島さんの為に、勝利を』この一心で頑張ってこれました。言葉で、行動で、選手やチームを鼓舞して救って強くしてくれる、でも実はピッチ外では一番少年みたいな水島さんが大好きです。多忙だとは思いますが、健康第一でいつまでもサッカー少年な水島さんでいてください!
〇ふーさん
2年間、ふーさんイズムを叩き込まれて、私も立教も大きく成長できました。サッカー面でもそれ以外でも、素人から見てもわかる賢さ、情報量、知識量から繰り出される大人な対応に、何度も何度も助けられました。加えて一見きつく感じられがちな関西弁ですが、実は愛しか無くて常に選手ファーストで考えてくださるところ、時にはチームの為に厳しいことも厭わずに発信できるところ、本当に尊敬です。特に怪我をした後はチームについて外から目線で話すことも多く、練習中に2人であーだこーだいう時間がかなり好きでした。情熱の水島さんと冷静なふーさんのナイスコンビと巷ではよく言われてますが情熱の水島さんと情熱のふーさんのナイスコンビだと私は確信しました。これからも変わらぬ熱さとロジカルさで、女子チームのご指導よろしくお願いします!
〇サッカー部に関わってくださる全ての方へ
サッカー部を支えてくださる倉さん庄司部長、優しく見守ってくださり的確な意見をくださる安松先生、女子の名前も完璧に覚えてたくさん練習に入ってサポートしてくださった男子チームのスタッフ陣、苦しい時期にもチームに真剣に向き合ってくださった荻野さん櫻井さん、女子チームを創り上げてくれた歴代のOGの方々、かっこいい姿をたくさん魅せてくれて良い刺激をくれた男子チームの皆さん、最後の最後までお世話になりましたあきほさん(院2年/学生コーチ)優実さん(フィジカルコーチ)、たくさんのご支援ご声援をくださるOBOGの方保護者の方。他にもたくさんの方の支えで私たちは何不自由なく毎日活動できています。感謝しかありません。本当にありがとうございました。
〇家族
何不自由なくやりたいことをさせてもらえて、これでもかってくらい愛情を注がれて、本当に幸せ者です。サッカーを始めてからほぼ毎試合欠かさず応援に来てくれて、試合に出て活躍する姿を魅せる時間が大好きで、その為に必死に頑張ってこれました。どんな時も私の、チームの、1番のサポーターでいてくれて本当にありがとう。これからは社会人として、祖父母や両親のような最高の大人になれるように楽しみながら頑張ります。一生かけて恩返しをしていきたいので、いつまでも元気でいてね。(妹はこれからもずっと最高の親友のままでいてください、一生よろしくね)
この場を借りて、私のサッカー人生に関わってくださった全ての方、支えてくださった全ての方に感謝申し上げます。サッカーを通して得たものはこれまでもこれからも変わらない、自身にも他者にも誇れる、一生の財産です。
本当に長くなりました。最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。
最後に一つだけ、
「サッカーって最高だ、立教って最高だ。最大級の愛と感謝を伝えます。」
〈お気に入りの写真〉
PCのロック画面ですみんなありがとう♡
水島さん大好きです
大好き同期
このポーズは今年のポーズ
この瞬間のために
CB(消しゴムマジック使ったのは㊙)