感謝するということは日々何かしらで確認できたりして

あたし自信も納得している部分ではあったんだけれども、



今日は大好きな人に向けて感謝をした一日であった。



先ほどまでのキラキラした一掴みの感情をこのまま

この場所へ持ち込もうと必死だったのだけれども、

無常ああ無常。


キラキラ以外の言葉が見つからず あたふたあたふた。

しかし、しかし、

どういったことについて感謝したのかというのは

自分の中でなんとなくは憶えているんだけれども、

人が一瞬本気で感じたそれってゆーのは、

案外あたしの体内の中では蓄積されるというよりか…

むしろ発散されてるような蒸発されたような。




留めておきたいとひたすら願うあたしの気持ちは、あたしの肝心な

脳本人には伝わっておらず、これは困った話だ。


こうしている今だって、今さっきの出来事だということでさえ

曖昧な事実となってあたしに記憶されてしまっているわけで、



「お願いですから再びお願いします。出てきてください」



といくらあたしが脳にお願いしようとも、あたしの脳がそれを

受け入れてくれるかどうかというと、それはそうでもないらしく

ではどうしたら良いのか あたしの全体!!


とにかくすごく温かい感情であったんだけれど、

それは再び出てくる気配もなし。

もうこうなったらあきらめるしかないのだろうか。


思い出だったような それに付随する感謝の気持ちだったような。



この心の中の悶悶感。

いと悲しくていとおしい。



気持ちの移ろいやすさは自分が一番分かっているつもりでは

あったのだけれども、その移ろいやすさの原因までも

考える余裕はあたしにはなかったらしく、

今までやってきてしまった模様。


いや、もしかしたあたしは移ろいやすい分類ではないのではないかと

そんな思いもちらほら。

しかしながら、毎回これは感じることでもあるので

無碍に扱うわけにもいかず、さて、どうしよう。


無意識であると言ったって、それはどういう感じですかとか、

どういう状態のこと言うのか出来ることなら説明をと言われたならば

これは困り果てること必須で、

あたしはやはり右往左往すること間違いなし。










本日の出来事も積もる積もる満杯そして限界


一日の出来事を書き留めるつもりも予定も可能性も

ないのだけれども、何といっても、何があっても

心に留めておきたい事というのは存在することいと有難し




大好きだと言ってしまうのは簡単で、

どうしてもその先にある行方のほうが気になること

必須であって、そっからどうしても抜け出せずに

その場を終えてしまうことはとても残念無念。


そんなことはおかまいなく時間はコツコツと

進んじゃって、あたしの時間もそれなりに

一緒にコツコツと。


綺麗なものに触れていたいと願う心は皆の心にあるとは思えても

それが皆に平等に訪れるかといわれても、

そんなたいそうな話はあたしにとっては無縁であって、

あたしはただただ、目の前にあるこの

あたたかいあたたかいふんわりに触れていたいと

願うことだけで精一杯。




あたしの心の葛藤を相手方は知る由もなく


それはそのはず。だってあたしだって

今のあたしの心境妄想その他もろもろを

「はい、あたしは今こうなっています」

と大きく広げることは、とってもじゃないけれども

不可能。無理。


綺麗な場所というのはたまにしかお目にかかれないから

綺麗に見えるのであって、これがもしも

日常でちょくちょくお目見えしているとしたら、

あたしはきっとそれが何事も無かったことであるという

錯覚を繰り返し、きっと最後の最後まで

何も知らずに終わっていくのだと……

そう思うと、ここに今だらりと座っていることすら

疑問の念がわくわく。


自分の気持ちを相手に伝えるとは言っても、

では、あかの他人に自分の気持ちをどこからどこまでさらけ出す

かというのはとっても大事なことで、もちろん自分で決めなければ

ならないのだけれども……

その判断基準はどこですかという話になってもうくたくた。