あなたから、どんなに良いことばっかり全てを受け取ったとしても、

それを一文字一句ぜーんぶあたしの中で閉じ込めておきたいと

どれだけ願っても、それはおそらく、どーても難しいことなんだろうな

という事に気がついて がっかり。がっかり。


きっと、あたしがあなたからその言葉たちをどれだけ望んでいたとしても

それ全部が全部、あなたに伝わっている可能性はとてつもなく少なく。

だとすれば、あなたから私に伝わったその言葉たちはきっと

あなたの口からあなた自身があたしに向けて発したものなのだと

いうことに今更気が付いて、その時点から急に考え深い。




嬉しい・有難い と一言で言ってしまうと、

それはそれで何だか軽いというつもりはないのだけれども、


今日感じ取ったもろもろはきっとまたあたしの前に

現れるとも限らないので、このような

心にぎゅんときたこの素晴らしかった一日の出来事をちゃんと

あたしの脳内が一生記憶してくれていますように と願う。




しかしながら、一日がすでに経過してしまった今日という日。



前日の光景を脳裏からひっぱりだす作業に必死になって

いるものの、あたしが思うようには都合よく様々な思い出は

現れてくれるしくみではないらしく、

あたしがそれを望んでいるハズはないので、あたしが意図する

ところではないどこかしらの中枢機関がそうさせたのか、

それともあたしの単なる記憶力の低下が原因なのか…


そうこうしているうちにも、うっすらの記憶はさらにうっすら。






あなたとあたしの行動一つ一つを記録している

なにかしらの技術があったとして、

次の日に もしか二人してチョコンとそれを視聴できるとした場合、

それをいくら正座して冷静に見ようと、もしくはお酒でもがぶがぶ

飲み干してポテトチップス片手に見ようとも、

確実に昨日発したり感じ取ったりした全ての物事は

あの一瞬でしかなかったのだということにきっと気が付くんだろうな。


行ったお店や外の空気とか二人の間に流れる何かその他全部は

きっと、あの時でしかあり得ないことで、

じゃあ、どうすれば昨日のようになれるのかとか、

昨日の思い出をかみしめたいというあたしの気持ちはどこへ

もっていったら良いのか悪いのか。




再び訪れてくれますように…  と本気で願う。



人間以外にも、世の中に生きている全てのものたちに

感情っていう、すっごく有難いことが備わっているものだと思っていて

それって、特権でもあって厄介でもあって…。

そんな贅沢なことを言ったりしている

このあたしの感情すらもううっすら状態。



「感情をなくすことが出来たなら、

               あたしはどれだけ楽に生きれるのだろう」



と本気で考えていたあの頃

今考えてみても、それはあながち間違いなのかどーなのか。

全てに対する感謝の意が不足しているというのが根本的な原因である

というのならば、それはそれでうん、そうだという話に頷きたい。ふむ。



「そんなこと言ってたって、出来るわけないでしょ!」


と、どっかの誰かに一括して欲しい気持ちもぽろぽろ。



でもでも、生まれてから最期の日がくるまでと仮定しても

その間であたしたち人間の中だけで考えてみても、

いったいどれ程の感情を実感できるんだろうか。

数える気持ちも薄れているこの状況をどうにか打破するべく

色々を想像してみたい気持ちがあたしに充満しているのだけれども、

その方法がどうしても思いつかず悪戦苦闘し始めてもう数ヶ月。


しかしながら、この色々に溢れてくる感情たちを一掃したいと

願いながらも、いや、あたしのどこかでそれを必死にブレーキ

しているやつらも存在することも確かで。


それらの統括は一応あたしという事になっているらしく、

そのとてつもなく大きな看板にあたし自身が全くついていって

いけなくて、その状態に気がついているあたしは意気消沈。重たい。

代役が立てれるものならどうにかしてお願いしたい。





この前、ある県のテーマパークの漢字三文字を目撃した。

あたしが学生の頃に修学旅行で訪れたその場所。

しばらく行っていないことに気が付いたのと同時に、

あたしたちが大きな感動を覚えて家路に着いて

しばらくした頃。

感動を与えてくれたその一つがこの世からいなくなりました

という訃報が飛び込んできた事実を思い出す。


感情という一つの言葉にくくられているこの気持ちであっても

一言で片付けたくないと本気で思ったあの頃の気持ち。


これもまた感情だ。


あれからもう十年近くが経ってしまったというこの現実に遭遇。

あの頃とあたしは変わってしまっているのだろうか。

これからも変わらずにいれるのだろうか。

毎日毎日がなんとまー

すっごいスピードでとおり抜けていくんだけれども、

そんな勢いに臆することなく

あたしだってこの波に乗りたいと思うことしばしば。




一日中、誰とも顔を合わせなかったりも出来るこの世の中で、

携帯画面とだけは恥ずかしげもなく、こんにちはこんばんは

もちろん、

スッピン丸出しのおはようございますからご一緒しているのだと

いうことに気が付く三月ももう半ば



今この瞬間だって、しっかりとにらめっこしていたんだけれど、

その矛先は基本的にはメールの受信送信のところ必須で、

それ以外の場面ともごくたまには顔合わせするものの、

やっぱり、そのあたりをじろじろわたわた。





それにしても、この爽やかな気候で過ごせているはずの

この一日を、暗く狭いこの空間で過ごしているという現実。。


無気力とは正反対な状況下にあるはずなのに、


なんだろう この無気力に加え、脱力。   に加えて眠気。




メールを受信。

良く考えてみると、それって

びっくりすることにね、ある日突然、

あたしに向けてなにやらがどこからかひゅん

送られてきたということになるんだけれども、

この現実が普通な感じになっているということにこれまた驚き。


どうしてもそれらの言葉を受け取りたいと願うことはあるものの、

いざ、実際にあたしに向けてそれが発信されたとしたら、

それはそれでわたわた

喜びとして自分の中に埋め込まれることはあるのかないのか、

とにかくそうなると、ただただ驚くしかなく、

受け取ったと実感したということは、それ以前に

その相手方と メールをやりとりしましょうよ 

という契約みたいなんを交わした結果の出来事で、

そーなると、必然的にあたしは自分の携帯のアドレスの欄に

氏名その他知っている限りの情報を打ち込んで、もう安心。

これで準備は万端ですという風に準備して、わくわく。


そうこうしていて受信ランプがぴかぴかなって、

それは特別な意味を示すように

オンリーな色を選択しているんだけれども、

そのピカピカを目にすると一気に興奮。興奮


現代の最新の機能を疑うつもりはさらさらないんだけれども、

もしかしたらと開いてみると、

その希望している相手方からでは無いかも知れないと多少の不安。

開いてみて、相手の名前を確認。


こうなってから初めてほっとするのであって、

ランプを視覚で認識してからこの確認作業までの時間の

長いこと長いこと。


あたしに向けて発信されたであろうその言葉たちは

まんをじしてあたしの前に変換されて到着しているのだけれども、

あたしののみのような心臓のばくばく感など到底無視して

その佇まいはかっこよいこと。


本文全体を見渡した結果、その送り主を改めて確認。

比較的左上に、

あたしが初期に打ち込んだ、その名前が現れているんだけれども、

この本文を一周してからその名前、名前を確認してから

その本文へと目を走らせてはみるものの、

どうやってもその違和感はぬぐえず、もしかしたら、

あたしは初期にものすっごい過ちを犯している可能性が出てくるわけ。



この相手方の氏名の欄に、全くの赤の他人の氏名を入れることだって

あり得るという事に気が付き、もう唖然。

全ての事柄は自分の行動によって成り立っていくんだということを

こんなところで発見。


それもありなのかどーかは別問題。。