#愛着ある地域のシンボル | 力太郎のブログ

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近所の散策や自転車いじりとか…

 

自分の住む地域の総鎮守

※長宮氷川神社の2017年初詣の時の画像です。

ふじみ野市の旧上福岡市の市域の中央

長宮二丁目にある

長宮氷川神社

旧番地では大字福岡字観音前にある神社で昭和48年の土地改良事業の際に社名から住所地名を

『字観音前』から『長宮』と改名したそうです。

 

祭神は

須佐之男命・櫛那陀比賣命・大已貴命

 

境内社地は広くは無いですが上福岡市史資料編第五巻民俗を読むと

長徳元年(995年)に出雲国簸河上の杵築大社(出雲大社)からとするものと

所沢市三ヶ島の中氷川神社(近世の長宮氷川神社)とする説があり詳らかでないとしています。

古くからこの地に勧請されていたそうですが

「長宮」という社名の由来については

参道が往時は四町一六間(416m)にも及び

長宮千軒町と評されるほど長い参道があったようです。

戦国時代、周辺地域は戦乱のため荒廃し近世江戸時代になってから社殿再建や地頭による奉納絵馬の寄進など

旧上福岡市域の中でも大字福岡、中福岡、福岡新田の村社として古くから信仰篤い神社だったようです。

 

コロナ禍前の初詣の賑やかさを久しぶりに見ると色々と思う事がありますがショボーン

ここ2、3年は混雑、密を避けてお参りするようにしています。

 

正月二日目の日の出は綺麗に見えましたね。

密を避けて…初詣に行くと

境内に灯りがともされて暗い時間帯でも初詣客を迎えていますが

誰もいません。

別に丑三つ時に来た…とかではなく日の出前でしたが

ちょっと幻想的な雰囲気でしたがおっさん1人でお参りできました。

出会いの泉(手水石)の水は流れていませんが貯まっていた水で清めて

旧年の感謝を思いつつ無事にお参りして

古いデジカメで撮りましたがノーフラッシュで撮れました。

境内の摂末社も綺麗に撮れてお参りしました。

今年も地域のシンボル

長宮氷川神社へ参拝できてよかったです。

 

ここから過去記事の内容と重複しますが一部加筆や再編集して

この地域のシンボルで以前から疑問に思っていた点を載せていきます。

 

上福岡市史や富田竹雄氏の『ふじみ野風景物語』を読んだり『福岡村史』など読んでみて思ったのは

今の住所には表記されない古い小字を以前から知りたいと思っていましたが…

発見しました♪

 

また福岡(上福岡)の鎮守、長宮氷川神社の小字はさらに謎ですが…

『観音前』なんですよ…

神社がある所の小字でよく

※川崎氷川神社周辺

宮前・宮後・宮脇・宮下・宮田など見かけますが『観音前』…

『氷川前』ではなく『観音前』

ちなみに学芸員さんに聞いてもこの周辺に地名由来になる様な?有名な観音様は祀られてないです。

※新河岸川を越えれば?川越市渋井の渋井観音堂があります。昔は福岡村との渡しがあったそうです。

 

また長宮氷川神社ある所の小字が『観音前』の地名由来について質問しても明瞭な回答は無く不明との事。

 

似たような地名の場所は無いかと調べると…

さいたま市西区飯田の足立神社がある所の住所表記は「観音前」ですね。

※近くに有名な『袋の観音様』の中野林の観音寺や旧入間川?いや古入間川になるのかな?

※足立神社の場所も?この旧河道の縁に鎮座していますね…

毛長堀の流路だった新川を越えると水波田観音(千手観世音)で有名な慈眼寺などありますが

明治40年5月に植水村(明治22年4月1日に飯田村など周辺の村々が合併)村内の神社合祀をして

元々は氷川神社が鎮座していた地は足立神社へ改称したそうなので

観音前絡みで、もしや…共通点がありそうです。

※県道№も家の前と同じ路線です。

 

あくまで個人的な推測ですが

明治期の廃仏毀釈・神仏分離以前の神仏習合(混淆)の時代…

さいたま市の大宮区高鼻の武蔵一宮の氷川神社の本地仏正観音と小字名『観音前』

関係あるのかな?と思った次第です。

 

中氷川神社(所沢市三ヶ島)

 

所沢市内に中氷川神社は二つ(所沢市山口と三ヶ島)ありますが、どちらも延喜式に載る由緒ある式内社であるとの事ですが…社伝では確定できないようで不明ですが…

自分が住む地域の鎮守は長宮氷川神社と言います。

古い地名で字観音前にあるのも謎ですが…神仏習合の時代の本地垂迹の名残りでしょうか?

↑新編武蔵風土記稿・福岡村(現・ふじみ野市)に記載ある内容で諸説あるようです。

そういえば…長宮氷川神社があるふじみ野市のある地域は「中」や『仲』何々と付く地名が多い気がします。

 

以前、自分のブログで

 

 

 

所沢市三ヶ島に『中村』という地名があるのも埼玉苗字辞典の記述を見て納得ですが「中」姓の多い地域です。

『武蔵国造物部直』、入間宿禰が祖先神に長宮氷川社を奉斎したとある点や『物部氏』である所が気になりますね。

 

ふじみ野市長宮氷川神社近くの滝地区で以前、遺跡発掘調査をしているのを見掛けました。

畑だったのを住宅地造成の折り、よくある地主負担のw遺跡発掘調査ですが…

 

市域では大発見となる遺跡が出たそうです!凄

 

人物埴輪

頭上の造りから巫女さんの人物埴輪らしいですね!

近くに古墳群もあるので、地中にそういった遺構・遺跡は調べれば出るのでしょうが

この人物埴輪にはびっくりしました。

 

縄文時代や時代が下って古墳時代からこの地に人々の営みがあって首長クラスの古墳群が作られた地区ですが

水利得やすい土地である事や食料や資源が豊富でないと住めないでしょうから昔から住み良い土地だったのでしょうね。

 

長宮氷川神社がある所を治水地形分類図で比較して調べると…

 

ちょうど地形の高い所と谷戸頭から水が流れる箇所があったのか丘陵地の支谷を刻む様な低地との縁に神社は建立されていますね。

長宮氷川神社の境内近くに謎の施設があります…

↑ちょっと古い小屋があり厳重な立ち入り禁止のようで

氷川神社の禁足地?…と思ったのですが、立ち入り禁止区域には間違いないですが

昭和三〇年代に敷設された旧福岡町の町営水道の水源地で市内二ヶ所あった内の一箇所です。

※もう一箇所は中福岡の百目木(現在もあるかは不明)

地下200mからポンプで吸い上げて塩素で殺菌してから各家庭に供給していたそうですが当初、給水人口数が2万人だったので

人口増加が著しい時代で足りなくなって施設増強や他施設を作ったそうです。

上水道ができたおかげで町場である高台の駅周辺の土地では夏場に井戸水が枯渇する心配がなくなり、

上水道設置の契機になった某武州ガスの排水による水質汚濁の影響を受けずに新鮮で綺麗な水を低廉な価格で水を汲む労力からも解放されて特に女性たち、主婦の生活がしやすくなったそうです。

 

水源地としての氷川神社にも注目した次第です。

 

以前、『川越の石佛』を読んだ時に全国にある観音山という所はその土地、地域の水源地が多い‥等の記述を見て

妙に納得した次第ですが『観音前』と少し関係があるのかな?と思いました。

 

以上、地元のシンボルである長宮氷川神社へ新年詣でて思ったことが

『観音前』という地名ですが

なぜ?古くからある氷川神社なのに観音前と表記した小字の地名なのか?

 

実際に武蔵一宮の氷川神社へ一時、たびたび訪れて散策しつつお参りし資料などで調べてみました。

 

一時,レコードやCDを売りに大宮まで来ていましたが買取査定の待ち時間(1~3時間w)で

氷川神社へ行ったりしていました。

 

 

JAZZ関連やレアなアーティスト、需要あって人気あるけど枚数出て無いCDとかはまあまあな買取り額でしたが

手間かかってもフリマサイトやヤフオクで売った方が高いと思います。

今だと…徳永英明さんのアナログ盤VOCALISTシリーズは市場価格が一枚20,000円程です…(´;ω;`)

 

そんな今となってはケチなおっさんの戯言はほっといて

 

氷川神社へ行くと

 

良いですね♪

好きな神社です。

 

自分が訪れた年は某番組の企画も兼ねてか?神池の水を抜いて水質向上や護岸の補修工事をしていましたね。

おっ!白蛇かと思ったら…超長いホースでしたw

宗像神社の周囲の石積みがコンクリート護岸になりましたね。

広い境内、行くごとに偶然か催しをしていたりと楽しみでした。

戦国自衛隊で上杉謙信役の夏八木勲さんみたいな渋い人が神楽殿で演武していましたが

 

 

『武楽』というそうですが見られて良かったです。

 

広い境内で自転車の鍵を無くして途方に暮れるも…宗像神社前の石畳にあったり!?

※鍵にキーホルダー付けない主義でしたが改めましたw

三の鳥居で一礼しているとカラスの悪戯か?頭上に枝が落ちてきたりとありましたが

訪れる度に色々と発見があって印象深いです。

 

境内案内図と由緒を見ても

 

神仏習合の時代の氷川神社の事は当たり前ですが書かれていません。

大宮市史資料編①などに江戸時代の絵図があり

大宮市史第四巻や大宮市史の縮刷版『大宮のあゆみ』を読むと市域の神仏分離令の寺社の様子や氷川神社の観音寺が退転するまでの様子が細かく書かれていて他の自治体史には無いような詳しさで記載されています。

 

※大宮市史・第四巻より

明治天皇が行幸する前に神仏混淆していた氷川神社で下大門の石標に『武蔵一宮 氷川大明神 本地聖観世音』とあるのが

問題だったようで様々な経緯があって観音寺は隠居寺だった上加村満福寺(※現在のさいたま市北区日進町・満福寺)へ移ったそうです。

今は川島町の広徳寺に観音寺の本尊があるそうですが

元は神仏習合・混淆していた時代の氷川神社の本地仏?だったと思うと…

 

自分の地元の長宮氷川神社がある古い地名が『観音前』といったのも

かつて武蔵国一宮氷川神社の本地仏が聖観世音菩薩だった時代の信仰・名残りが地名由来かと思いましたが

う~む…どうかな?詳細は不明ですが…

 

大宮市史に載る川島町広徳寺の聖観世音菩薩とさいたま市北区の満福寺にも?あるという聖観世音菩薩については謎が深まります…

※画像では立像ですが満福寺のは座像みたいです…謎

 

氷川神社本地仏の観音様と観音寺本尊と別々に観世音菩薩像が実はあったという事でしょうか?

 

 

伏線の回収ですがw物部氏については

以前、旧・スネコタンパコの「夏炉冬扇」物語のスネコタンパコさんとコメントのやり取りで教えて頂きました。

 

武蔵国一宮・氷川神社の神主家「岩井家・東角井家・西角井家」が物部氏を祖とする系図みたいです。

 

 

長々と乱文ですみませんが地元の鎮守の地名から色々と推測し本で調べて分かった事が多々ありましたが

『観音前』と氷川神社がかつての本地仏だった聖観世音菩薩を通すと繋がるとは思いませんでした。

 

 

今日もご覧頂きありがとうございます。

2023年も宜しくお願い致します。

 

 

 

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