駅名を見て思った事 | 力太郎のブログ

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近所の散策や自転車いじりとか…

すっかり地元の桜は散っていますが…

通る度、満開はまだかな?と思っていました。

お花見中

今年は青空の下で桜を綺麗に撮れませんでしたが

満開で気持ちが晴れ晴れしいです。

地元地域のケーブルテレビ局のカメラが撮影していました。

昔は眺めが良かったのですが…

トップナンバーだけ顔が違う…真顔

既出ですが、そういえばニュースを見て驚いた事がガーン

期間限定で駅名が…

ふじみ野駅 ※富士見市 注・ふじみ野市ではありません…

富士山↑キャラ設定が同じw富士山

ふじみ野駅周辺

昔は何もなく

桔梗が咲いていたので桔梗が原と呼んだそうですが複線化される前は信号場があったそうです。

本来なら新駅は?旧大井町である、この辺りに作られて

日本初のアウトレットモールと直結するはずでしたが…今はソヨカ

何があったのでしょう?

 

県道の立体交差化とアウトレットモールは作られて新駅から歩く羽目にw

※今もかな?

駅設置は、破談になり富士見市側の土地に

今のふじみ野駅(※富士見市)が20年以上前に開設

本来の駅予定地は?

ふじみ野市側(旧大井町)側の土地です。

駅の予定はなくなり駐車場と

変電設備のみあります。

 

ふじみ野駅周辺は

ちょうど富士見市側の飛び地のような場所で勝瀬原とも呼ばれたそうです。

旧大井町に複雑に入り組んだ土地で旧上福岡市にも隣接し

4市町で合併していれば複雑怪奇な駅名と所在する自治体名の違い市名と町(字)名にもならずに済むのですが

鶴瀬⇔上福岡駅間にふじみ野駅が出来るまでは未開発な広大な土地が不思議と広がっていました。

駅が出来るまでは何もなく…

大井町側の県道沿いは古くから集落がありました。

県道に陸橋が出来た頃

当初の新駅計画があったのでしょう駅っぽい↑二面二線ホーム位の駅かな予定地が造成?

亀久保の地蔵院から苗間の方まで斜めの道が主要道のように書かれていた時代もありました。

今は斜めに現在のふじみ野駅西口側近くを通っていた古道も区画整理で大部分が無くなりました。

何で近年までこの土地が開発されずにあったのか?

訳ありなのか市街地調整区域で開発が出来なかったのか?

ただ単に駅が無くて不便なのが正解かな?

青い線の所が境界で富士見市が入り組んでいます。 ↑

そんな訳でふじみ野駅は富士見市です。

富士見市に東武東上線で3駅(ふじみ野・鶴瀬・みずほ台)もあります。

※志木市は柳瀬川駅しかないのは内緒…

志木駅はなぜか新座市が所在地。

 

こんなに境界が入り組んでいるのは?

地形的な面の部分もありますが……

上福岡駅西口も

昔々は様々な村の特に新河岸川周辺の村々が開発管理した出耕作地だったと上福岡市通史で読み分かりました。

 

新河岸川低地の村で水田を持ち水害で収穫できない事を防ぐため武蔵野の原野を村の人々で切り開き畑作をして村(村単位か?個人で家単位だったか?失念…)が所有していたそうです。

逆に入(耕)作もあります。

個人的な憶測ですが富士見市側の古くからの村の出耕作地だったのかな?と思います。

または秣場だったり入会地だったりして今のような状況になったのかな?と思いますが分かりません。

後年、開発ができそうな広大な土地を

東武が目を付けて旧・大井町側との計画が変わり富士見市側で駅が作られたそうですが2面4線の緩急接続できるホームを備えた駅が必要だったのも場所が変わった要因でしょうね。

※追記

大井町側で新駅設置(※苗間駅(仮)資料の年表に記載していました)は昭和29年に東武鉄道側との間で立案されてきたもので長い間地域住民の悲願だったそうです。

駅新設に向けて地権者の了解を取り付けて約4000坪の土地を東武鉄道に譲渡したそうです。

駅完成時は4~6両編成の列車が止まる予定であった。

新駅設置に向けて昭和38年土地改良事業が始まり東武鉄道は駅予定地から少し離れた勝瀬原(富士見市)に宅地化を見込んで5万坪の土地を入手していたそうです。

昭和47年に駅設置を要望し

回答は

「新駅は10両編成の列車が停車できる4線編成の旅客専用駅とする」との事で新駅は昭和52年に設置を位置付けたとあり

昭和50年、大井町は東武鉄道に駅設置に当たる資金計画及び建設計画書の提出を依頼し回答は

「新駅設置工事は県道大井志木線の立体交差完成後五か年計画で実施したい」と回答

昭和52年に駅設置を要望

東武鉄道は勝瀬原(富士見市)に新駅設置をしたいと回答

 

この間のやり取りは書かれていませんが…大変だったでしょうね。

 

昭和59年に両者で協定が交わされ

「勝瀬原(富士見市)に新駅を設置。駅設置用地で譲渡された土地東側500~600坪は複々線化用地で残し町に無償で土地を戻す」

 

土地を譲渡してから30年経っての経緯

それを経て平成5年11月ふじみ野駅が開業したそうですが

未開の土地と思ったら東武鉄道が持っていたからなんですね!

駅設置用地が変わった原因は

東武が勝瀬原に宅地化計画で土地を所有していた事。

10両編成で4編成止める駅敷地が大井町側だけでは難しかった事。

 

が大井町の資料に要約・抜粋しましたが書かれていました。

大井町町長が後に旧上福岡市と旧大井町が合併し選挙の末

ふじみ野市初代市長になっています。

 

 

地形的に鶴瀬駅から下り列車が勾配を下り平坦になった場所が駅予定地でした。

県道もありその先は小さな河川や湧水地があるそうで台地を侵食した段丘にある地形です。

作れなくはないが

駅用地譲渡した時の計画で最大で6両編成の列車で見込んでいた電車

用地を見ても緩急接続の10両編成の駅は当初計画では厳しいなと感じます。

今のふじみ野駅

十分、東武側で土地があったからこの場所に新駅を作ったようで…

あれっ!?

線形が妙に!?悪いのは不思議ですね…ニヤリ

上り・下りホームがずれているのも?

東西の行き来が不便になり裏切られた感のある地権者の抵抗でしょうか?プンプン

自分の祖父も某新幹線が将来通ると先行投資したら…大変な目に遭ったとは亡くなってから聞きましたが、僅か数百メートルでも期待していた人も多いでしょうね。

おっ!あれが、ももクロ号かな?

隣の駅が最寄の自分には緩急接続で便利な面もあれば…

下りであと一駅で着くのに

緩急接続で停車時間が長くて何とかならないかと思う時もあります…チーン

※上りは便利wおねがい

昔は何もなかったのに…あせる

凄い発展ぶり!!と駅名を見て感じました。ラブ

地元の方に貰った写真ですカメラ

今日もご覧頂きありがとうございます!おねがい