[ゆきゆきて神軍] | 力道の映画ブログ&小説・シナリオ

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原ア一男監督・脚本。今村昌平企画。山川繁選曲、87年。疾走プロダクション製作。


スカパー、衛星劇場の録画にて、再観。キネマ旬報ベストテン2位。読書1位。内容の過激さから、当初岩波ホールでの上映予定が不可能になり、ユーロスペースにて上映されたのだが、作品の語り部であり、インタビューアーでもある奥崎謙三が本作撮影後に起こしたジョキングな殺人未遂も話題になり、大ヒットを記録した衝撃的なドキュメンタリー。


映画の冒頭、この奥崎謙三の説明が入るのだが、昭和天皇にパチンコを発射したり、そのポルノ写真をバラ撒いたり、田中角栄の殺人予告など、非常識な犯罪で何回も逮捕された人物だが、彼は過去に戦時中、ウェリク第三六連隊に所属、そこで上官による二人の兵隊の処刑を知り、その真実を探るために関係者にインタビューを敢行、時には暴力を振るって、語らない当時者には制裁を加えようとする。原一男は82から83年に彼に密着、本作の撮影を開始ら約5年をかけて本作を完成させた。


奥崎謙三は、かつて自らが所属した独立工兵隊第36連隊のウェワク残留隊で、隊長による部下射殺事件があったことを知り、殺害された二人の兵士の親族とともに、処刑に関与したとされる元隊員たちを訪ねて真相を追い求める。元隊員たちは容易に口を開かないが、奥崎は時に暴力をふるいながら証言を引き出し、ある元上官が処刑命令を下したと結論づける。


奥崎は元上官宅に改造拳銃を持って押しかけるが、たまたま応対に出た元上官の息子に向け発砲し、殺人未遂罪などで逮捕され、懲役12年の実刑判決を受けた。


発砲事件以前の1983年3月、西ニューギニアで2週間ロケが行われ、クライマックスとして、奥崎が俘虜となった集落を訪れるシーンなどが撮影されたが、帰国当日にインドネシア情報省にフィルムを没収されたため、この「ニューギニア篇」は陽の目を見なかった。


戦争責任は誰にあるのか、奥崎はその筆頭に昭和天皇をあげ、作品の端々で糾弾する。そして、自らの体験に立ち返り、関係者に問答無用で切り込んでいく、暴力という行為は許されるものではないが、こうした時種な環境に当時者を置き、語らせなければ誰もが口を噤みたい戦時中の体験の真実など明らかになるものてはない。奥崎が明らかにしていく、当時よ体験の中には、部下を射殺しただけではなく、生き延びる為に人肉を口にしたことなど、さらなる衝撃的な事実が明かさされ、戦場における悲惨な状況が浮き彫りにされていく。絶対に明かさされないことが明らかにされる痛快さと共に禁断の扉を先にある非人間的な行為、そこに及ぶ、葛藤する人間の姿。この映画はある意味で、どんな悲惨な状況を描いた戦争映画よりも、リアルにその過酷さを物語っている。


後にマイケル・ムーアが監督の原一男からの影響について語っていたが、これまでにあった様々なドキュメンタリーを超越してしまう、まさに生の声がリアルに伝わってくる傑作であり、80年代のキネマ旬報ベストテンにも選択されている。それだけ、本作が観た者に残したインパクトが強かったということだろう。


原一男。[全身小説家]。