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rikeyaのブログ

ウェブ、本、仕事、技術とのつきあい方等をテーマにしたブログです。(忍)

ウェブ2.0は、不特定多数無限大を、正当にまとめ上げる技術によって、最終的に達成されるはずだ、という意見は、ジャーナリズムに革命を起こすとして登場したブログのことを思い出させる。1年半ぐらい前にイメージされていた(幾分かアメリカ的な)ジャーナリズムとしてのブログと、いまみんなが使っているブログとは全然別物だが、ジャーナリズムが変わらなかったかというと、それはもうすごく変わった。

このように考えるとウェブ2.0のゆくえも、不特定多数無限大を信頼するということは、イコール技術を信用するということに他ならないし、ついでにその技術は外部から評価できる状態に置かれていることが望ましいのではないかといった具合に、いくぶんガタガタはしても、だいたい今描かれている道筋のなかに収まるのではないかと思う。

なんでだいたいかというと、私は技術そのものにかかわらない大半の人のひとりであり、新しい環境を準備することはないからだ。結局はその新しい環境下で、自分は何をするのか、ブログの例ならいつ書き始めることができるのか、ささやかに自問するというところに尽きる。(そこでどういう状況が来てもいいように、自分コンテンツを集中しておこうという話になるかと思う。)

翻って梅田氏は技術の人だ。今回の新書ではその技術の最先端のおもしろさについてはあえて多くの紙面を割かれなかったにせよ、スゴイ話がストックされており日々(よい意味で)どん欲に拡充されていることは間違いない。(しかし思索の人でもあることについてはこちら。)でも次われわれがそれを読むとしたら……どうだろう、新書ではないかもしれないですね。(歩)

ところで。
ウェブ進化論についての投稿を、あと1回で終わろうと思っています。そこで今回は、梅田氏のブログ「My Life Between Silicon Valley and Japan」にトラバをかけてみました。梅田氏の記事、ウェブの未来に関するオプティミズムについては

http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20060317/p2
へどうぞ。
梅田望夫『ウェブ進化論』には、Google社員のクールな仕事ぶりを紹介する一節がある。そうそう、シリコンバレーのエリートのように、仕事には理想を追求しなきゃいけないよな~。でも橋本治『上司は思いつきで物を言う』ではないけれど、一般に、エリートになると現場から離れるという意味になっているのは……もしかして警察ドラマの影響だったりして。……現場はな、泥仕事をやってるんだよ!
そんなわきゃないにしても、仕事って、そのどこが自分は楽しいのか、よくよく自分と相談しとくべし、と時折立ち止まって。(忍)
同じコピーライターである夫は、広告制作の仕事をよく「宮大工」と呼ぶ。「みやだいく」というのは寺社専門の、極少数先鋭・特殊大工技術集団だ。引き継がれてきたアナログなノウハウがあり、部外者には実現できないスピードとタイミングを心得、ミッションを一瞬にして理解し、山に阻まれても嵐に遭っても遂行する。大げさに言うと、個人の特殊な能力を結集して、そんな仕事を日々やっているのが広告制作チームだ。

広告制作チームにはあんまり秘密主義な人はいなくて、訊けば大概教えてくれる。たぶん、そういうノウハウは結果として身についてしまったものに過ぎないからだろう。

ウェブの仕事では、まず教えない、お金を払うと教えてあげるよ、ということでノウハウを公開する手法がしばらくの間、目立っていた。いま振り返ると、どちらかと言うとお金はどうでもよくて、何よりご本人がすごい発見をして、とっても面白がっていて、従ってタダではない形で配布すべきであり、たくさんの人に読んでもらいたいという気持ちではなかったかと愚考する。(私は売れるようなノウハウは持っていなかった)。

実際、自分のノウハウをオープン化して、損になるようなものはほとんどない。仕事上の戦略といったものを公開し、競合に知られても、特に損にはならないと思う。もちろん私が技術系の仕事をしているのであれば話は全然違う。でも技術屋でない場合、技術的なことで長けても、結局何かをリードしたことにはならないんじゃないかと思う。実感としては、技術的なことは早く普及したり、誰かが解決したりしてくれるほうが有難い気がする。

それにしても、広告の話をしようとすると、ひたすら真面目なワタシになってしまう。技術で一等賞を取れないなら(ふつうは取れない)、なるべく技術から離れて自分のできれば(比喩的に)肉体的な部分と切り離せないところにコアコンピタンスを築いたほうが、きっと近道。ときに、最近ブログが長すぎ。夫からも言われてるとこでして。(理)
『ウェブ進化論』は、ビジネスの考え方を変えなければいけない、とは言っているが、技術的なことはほとんど書かれていない。技術的なことは、特に今すでに大々的にビジネスしているとはほど遠い人にとっては、いずれ自分に都合のよい方へ進むから、構わなくていいのだ、ということだと思う。

例えばいままで有料だったサービスが無料で使えるとか、知ることができなかったリソースを自分の事業のために活用できるようになるとか。ついでにリアルな世界には“安かろう悪かろう”という状況がよくあるが、ネットの世界では、安い業者のほうが新しい技術を持つ集団だったりということはよくあることだ。もし本当にそうだとすれば、消費者に不都合な流通のいろんなノットやボトルネックがスムーズになり、選ぶ苦労が極めて少なくなる。

選ぶ苦労がないんだから、技術系以外のビジネスマンは、技術なんか追わなくていい。新しいしくみの中で自分が何を、どんなコンテンツでネットに登場してくるのか、今はそこを追求する時なのだ。しつこいかな、私が思うには、今はじっくりコンテンツに集中する時。

ある仕組みの中で自分が担っていた役割や職能といったものを今一度見直して、個人または会社ごとのリソースとして開発し直さないと、対応できないということを、よく感じるこのごろです。(忍)
広告またはコピーについて、受け手の「そーだよなー」を引き出すこと、と言ったのは家元コピーライターの糸井重里氏である。一方『ウェブ進化論』にも「ふーん、そーだよねー」が出てくる(150ページ)。文字通り、ほとんど同じ意味だと思う。あるネタに対して、たくさんの人に共感とか連帯感とかが生まれる状況。この時起こっているコミュニケーションだけに注目すれば、それが既存のメディア(=広告の大量出稿)によって引き起こされても、ブログからネットじゅうに広がっても、違いはない。

私がやってきた広告の仕事は、たいしたことない媒体の出稿量も少ない弱小な広告制作が主だったが、狙っていたのはもともと共感だったから、その意味ではクリエータやアーティストは、ブログ時代になっても基本的にはやるべきことは変わらない。
一方広告は奇抜なアイデアやお金をかけたビジュアルで、その情報を届かしめることをアイデンティティの主要な部分にしてきた伝統があると思うが、そこは今では全く特権的なものではない。特に技術的なところが、ごっそり純粋な技術……現在のSEOや将来のマッチング技術……に移管されつつあり、これからは既に選別された狙った相手に「そーだよねー」なり「そーだよなー」を引き起こすことが最大の課題となりつつあるように思われる。

で、何が面白いか。つまりクールな仕事が技術に集中し、才能のある人が技術の畑へ集中していくのか。または単にある種の人々にとって「そーだよなー」を引き起こすことが面白い仕事として残っていくのか。私の感覚では後者が自然に思われるが。(忍)
『ウェブ進化論』の161ページには、先進国の表現者が「飯を食う」ことについて書いてあるのだが、それを読みながら、私はメディアの大改革は換骨奪胎になるのだろうなと思った。完成したプロフィットモデルを持っている企業が、そのシステムをそっくりそのまま時代に合わせて作り替えようと試みることがあるが、そういうことはさすがに今後少なくなるだろう。しかし受け手の側の意識はなかなか間に合わないと思われる。新しくないもののありがたさ、口コミなどと言う一方で、テレビで紹介されましたという語の持つ圧倒的な強さは長引くだろう。またグーグルなどが提供するユーザ最適化技術が、お茶の間レベルで信頼されるまでには時間がかかると思う。こういったラグを上手につかっていけば、換骨奪胎も十分いける気がするのだ。(忍)
まずは引用から。

「自分の研究室(ゼミ)を持って、学生たちと一緒に知的生活を送る」という「日々の在り様」に強く惹かれていた。(『ウェブ進化論』167ページ)
三年前にブログと出逢ってからこの「バーチャル研究室」ができた。

と書いているのは、梅田望夫氏だ。

「私は、究極的には、物事を捉える視座の豊かさを、より多くの人と共有したいと思っているだけなのだ。ユニークな視座・多様な視点で物事を眺めれば、現象の裏側にある目に見えない世界がようやく見えてくる。」(山口揚平さんのブログ)

私はこのブログを2005年01月18日に始めたのだが、「自分の状況が判断できる、確かな情報源を持つ」のが目的であり、学生の頃は"カフェ"へ行けばあると考えたが見つからなかった──今ネットで探せば見つかるかもしれず、それは「きっと何人かの"個人"だろう。(忍)」と書き出しから稚拙な意見。当時マイブームは梅田ブログとRSS。ニュースの読み方に大革命が起きた、とでも言いたげなワタシであったことを思い出す。知的ネットワークのようなものが手に入るという希望を持ってブログを始めてみよう。そんな気分ではなかったか。

じゃあ今、何が違うのか。というと、まず1年前と比べて自分自身の気持ちがかなり気軽だ。いくら完成度を上げてパブリッシュしたところで、自分が誰かのところへ行って「語って」きたりとか、何かに参加してとっかかりを作ったりだとか、要はアクションを起こさなければ何も動かない。それは根本的には技術ではなく、「体験」なのだと思えてきた。そうやって少しでも動いてみると、誰とはわからないまでも、どういうところへ向かって話しているのかが見えやすくなる。それは結果的に自分を照らすので「自分の状況が判断」しやすくなる。なあんだ、自分の状況が見えるってことは、ニュースとは全然関係ないじゃあないですか。

でも、いわゆるニュースが関係なくなるということは、“自分には自分のニュースを”とも言えるわけで、こっちこそ本気で途轍もない変化とも言える。(歩)
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googleのトップページ・ロゴが、おやいつもと違うぞと思ったら、なにやら新しいメニューが加わっている。
New! Google Mini: 企業ウェブサイトとイントラネットの検索ソリューション
ところがすごい文字化けで、ぜんぜん読めないんですけど、そちらではいかがですか?(疑)
昨日土井英司さんの出版セミナーに参加した。売れる新書を書いてベストセラーをつくる、ということを本気で実現するための、業界の本音とノウハウがつまったセミナーだった。詳しくはこちら。(ちなみに1)本を書きたい、2)世の中に打って出たい、3)その本はとても売れたい と3つの条件にあてはまり、かつ業界にコネのない方は、土井さんのセミナーは必須おすすめです。)

さて、そのなかで近々の新書ベストセラーである『ウェブ進化論』も話題にのぼっていた。ウェブ進化論はまずアマゾンで1位、Jbookで2位、八重洲ブックセンターで3位、三省堂で3位、ジュンク堂で2位。
そして私が思っていたように難解ではなく、「カリスマ的でさえあるウェブのプロが、一般の人にもわかるよう、来るべきネットの変化についてやさしく説いた(rikeyaの記憶による要約)」ゆえにヒットしたのだそうだ。そうか、するってえと私のは深読みだったか。どうも私はこっちの深読みのほうへはまって、身動きがとれなくなることが多いな。(省)
私はベストセラーや、恐竜の頭に魅かれる。ネットで儲ける話というものには相変わらず人気が高いようだが、私がウェブの仕事をするようになったのは、そのほうが儲かるからという理由では決してなかった(そんな技術もなかった)。一方、たとえば出版では、著者は売上の1割もの印税を見込める。製造も流通も広告も人件費もなにもかもいれて、とにかく10%もくれるシステムというのはすごい。しかも著者としてシードに入れば、いつも最先端にいられる(もちろんご本人の努力はあってのことだと思う)。それがどうすごいかというのは改めて考え様ではあると思うが、私はメディアがこれまで構築してきたものの大きさに改めて気づくことが最近多い(『ウェブ進化論』の161ページで梅田氏の解説、ご確認を)。また恐竜の頭の動向は、今後一層はっきりとテレビ的なるものでチェックしていけると思う。(忍)