六、おわりに
習字のテキストを購入した時点に話は戻ります。
「筆で書くのを上手くなりたい」という思いで始めたのですが、そのテキストにこんな文章がありました。
『上手に書くために習うのではありません。
字に表れた自分を磨くことにあるのですよ』
頭をガツンと殴られたような気分でした。凡人の自分が考えるのは、「ただ単に上手になりたい」ことだけ。
一方、才人・賢人・偉人と言われる人が考えることは、まったく異なっています。前回の小冊子「じ・か・く」の中でも書きましたが、『観点上昇』というべきか、想いが違います。
「少しは上手になりたい」と思って習字を始めて三年足らずですが、単に「習字」の練習だけをしていたら続いてはいなかったと思います。
筆の洗い方、流しの掃除、両親へのハガキ、「さま」の字、などが次から次へと繋がっていきました。そして最後は「字に表れた自分を磨く」という所まで往きつくとは思ってもいませんでした。
習字を通して様々な出合いが「楽しい」「嬉しい」という気持ちになり、自分の中で少しですが『心が動く』『心が躍る』ようになったことが続いている原因ではないでしょうか。