ヴェーマは 国境都市である。ウダナとの狭境は広大な樹海であるため 城壁はなく曖昧だ。

 

 

しかし深すぎる森は隣国の侵攻を簡単には赦さない。それでも夜陰に紛れて招かれざる者たちの侵入,侵出は絶えなかった。

 

騎士の称号を持つシ・ヨウは 西の国境守備を託されていた。

 

森へ分け入って 北へ少し進むと、大きなナツツバキの樹が、 焚火を挟んで対峙するサトシとシ・ヨウを護るように枝を広げていた。

薄い淡黄色の5枚花弁の小さな花は満開で、辺りにはジャスミンのような香りが漂っている。

 

 

シ・ヨウはヴェーマに赴任して10年以上になる。

赴任当初は不慣れだったため、ただの森林浴のつもりでヴェーマの森に入り、わずか数秒で遭難した。

 

で、"森に隠遁している 変わり者" と有名な錬金術師に助けられ、以来交流が続き今に至る。

 

『翔くん久しぶりだね。元気だったぁ?』

変わらないフニャッとした笑顔でサトシが言った。

 

『ああ。ほら、この処隣国ウダナのちょっかいがしつこかったから…忙しくてね。』

 

『ふぅ~ん。』

サトシは焚火に小枝をくべながら抑揚なく言った。

 

『この頃さ、ウダナには…』

―― よく裏をかかれてるよね。

 

シ・ヨウは 自分の胸を ひゅぅっと風が抜けたように感じた。

 

ミント・アナカは好戦的なウダナを牽制するため、ウダナの南の隣国シュロウと友好条約を結び、ウダナを挟み撃ちできる体制を造ろうと画策していた。

 

ところが国の使節団が出発する寸前、ウダナは シュロウとの3年間の不可侵条約を締結させてしまったのだ。

 

シ・ヨウの脳裏に あの日のジュウンの顔が過った。

 

すかした宰相タツキのことはいけ好かなかったが、その側近ジュウンのことは嫌いではなかった。

 

いや。寧ろ愛おしく思っている。

 

大公家の嫡男ジュウンは、幼い頃から自分に纏わりついて 正直鬱陶しく感じる時期もあった。しかし 反抗期に交流が途絶え、漸く戻ってきたジュウンは想像以上に逞しく、美しく成長していた。

 

 

―― 情報が筒抜けなのかもね?

サトシが囁く。

 

 

そう…かもしれない。だから、国境の警備は強化され 税関での検閲も厳しさを増している。

 

それなのに、シュロウからの条約反故は 情報が漏れたとしか思えない。

 

――ショウ チャン ハ チャントミハッテタノニネ?

 

 

 

あの日…深夜の砦。初夏というには肌寒く、巡回の警備団から定時報告を受けた後 ローブを取りに控えの部屋へ向かった。

 

砦から見下ろす夜の森は 真っ黒な一塊に見え、生き物のように蠢いていた。

 

ふと、森の中にチラチラと瞬く小さな灯りを見つけた。

 

巡回の合間の時間にいったい誰が森へ?

 

不審に思った。だから兵士数名を連れ 後を追った。

灯りの正体を見つけた者は指笛で知らせるよう伝え、分散した。

 

そうだ。。。ちょうど このナツツバキの木の下で オレは1人の男と…ジュウンを見たんだ。

 

男は倒れていた。傍らに立つジュウンの右手には剣がぶら下がっていて、転がったランプに照らされた切っ先からは血が滴っていた。

 

オレは指笛を吹くことも忘れて、ジュウンに駆け寄った。

彼はオレに気づき、一瞬目を見開いたけど すぐに表情を消し た。

『サック。お勤めご苦労様。。。あぁ、コレね。』

 

そう言って、足元に転がる骸を見やった。

 

『こいつは王宮御用達の商人で、国を跨いで商売してるんだけど…前からウダナ側の諜報員の嫌疑がかけられていたんだ。

税関の審査が厳しくなって 情報を持ち出せなくなったから、ここからウダナへ渡ろうとしたんだろう。オレはそれを追っていた。―― と。

 

『みんなを呼ばないの?』

ジュウンは シ・ヨウの手を指さして笑った。

 

オレが兵士たちに事情を説明しているとき、背後でジュウンが 骸に蹲って…

 

 

骸の懐から手紙のようなものを抜き取り、自分の懐へ納めた?

 

 

兵士たちが骸を担いで前を歩き、その後にジュウンが従う。

オレはあれが何なのか聞きたくてジュウンを呼んだ。

 

『潤…?』

 

そうしたらアイツはゆっくり振り向いて、少し笑って

 

―― スコシ ワラッテ?

 

…人差し指を立てて、唇に当てた。

 

 

―― 翔くんは何も言わなかったんだね?

スパイとして始末された人は死人に口なしで、貴方は潤の取り調べもしなかったの?

 

 

『ミント・アナカの西の境界を護るのがオレの役目だから。潤がやらなかったらオレがやってただろう。』

 

 

―― 潤を取り調べたのなら。。。潤が人差し指を立てたのを見なかったのなら、良かったのにね。

 

 

『智くん。オレ…』

 

―― うん。正義感の強い翔くんは、愛しい潤のためにその愛の分だけ

 

 

 

 

魂を売ったんだよ。

 

 

 

 

 

『ふふ。その魂、おいらが買うね。』

 

 

 

 

つづく。