正月・・・というと

思いだすことがある。

 

幼かった頃

今のように1日から初売りなんて

やっていなかった。

 

『初荷』と幟を掲げたトラックが

4日頃ようやく見られるような状態・・・

 

3が日は交通機関以外は

マトモに動いていなかった。

 

近所の店など7日から営業なんて

当たり前だったのだ。

 

だから暮れは怒涛の勢いで

食料品が家に備蓄されていった。

 

肉や生魚は早い段階で消費され

野菜、果物、塩干物、保存食・・・

 

日々だんだんメニューが

ショボくなっていく・・・

文字通り『越年』だった。

 

年末は足元をみて

あらゆるものの値段が上がった。

 

それを10日分ほども

備蓄しなければならない・・・

かなりまとまったお金が

必要であった。

 

だから、年の瀬は

一家心中が少なくなかった。

『年越しの資金がなくて』である。

 

 

 

高校にあがった頃

コンビニが出来た。

 

もちろん区内にひとつしかなく

自転車連ねて見に行く

テーマパーク状態。

 

LAWSONを聞きかじりで

『どーそん』と思っていた

ヤツすらいた頃だ。

 

初詣の帰り

わざわざ遠回りして

『どーそん』

が開いてるのを見て感動し

そして訳もなく

定価のチキンラーメンを

買って帰って母に叱られた。

 

しかしその時思った・・・

『買いだめいらんやん』と・・・。

 

大学生の時

一般教養で社会学をとった。

 

そのレポートで

『昔と変わってきたこと』を

2000字でと言われた。

 

迷わず

『コンビニが一家心中を減らす』と

ブチあげた。

 

実際、年末の一家心中は

目に見えて減っていた。

 

数日後教授に呼び出され

今後の授業は出なくてよいと言われた。

『今後一切出なくても優をつける』と・・・

 

ただレポートを

共同研究という形で

預からせてはくれないか・・・

と言われた。

 

単位を自動でいただけるなら

こんなにうれしいことはない

と快諾した。

 

数ヵ月後、件の教授が

レポートをほぼ踏襲し

データを追加した論文を発表した。

 

が・・・その論文に

私の名前はどこにもなかった。

 

 

この研究は一定の評価を受け

ひとつの定説として定着した。

 

教授もそのスジのオーソリティとして

現在も都市文化論などを

シャアシャアとカマシている。

 

何かくやしいぞ、くっそ!