今思えば

不思議なことはいっぱいありました。

 


前日

昼から全力で書かされてた

教材ミスに対する謝罪文

実は教材管理課の単なる勘違い

全く無用であったと聞いて

私は三宮の教室でブチ切れてました。


気遣った算数科の先生が

自慢のスカイラインで

送ってくれました。


阪神高速神戸線を東へ走りながら
「月、赤いっすね」

『そやな・・・』

「ええ勢いで飛ばしてて

これ高速がプチっと切れてたら

怖いっすよね」
『ナベちゃんのスピードなら

向こうに渡れるやろww』

「端が上向いて切れてたら

行けるかもっすwwwww」

 

なぜそんな話になったのか・・・

全く思い出せません。

でもその話をしていたのは

まさにあの有名な写真…

橋桁が横倒しに

なっていた区間

でした。

 

 

前々日は学力テスト・・・

私は芦屋教室を担当してました。


教室の窓から、甲南高校裏手の

浄水場貯水施設が見えていました。

 

『あれもし壊れたらえらいこってすね』

 

自分でどうしてそう言ったのか・・・

わかりません。

そして室長さんは

こうお答えになりました。


「でも余程大きな地震でもないと・・・

関西はそんな地震ないんでしょう?」
『あ、でもこの辺も

甲陽断層やら有馬高槻構造線やら

イロイロありますからねェ』

 

 

室長さんは全壊した家屋に

3時間閉じ込められながら

こう思っていたそうです。
『アイツ、知ってたんか・・・

地震あるの知ってたんか・・・』

 

 

思い返せば・・・は

いっぱいありました。

動物がおかしかった

機械が変だった

空がおかしかった・・・
 

大阪市立大の教授が

それをまとめた本を出しておられました。
しかし、今それは多くは忘れ去られています。

『荒唐無稽』『根拠がない』などと

言われて・・・

 

 

科学だから完全である必要はないんです。
手がかりある空振りを恐れるあまり

犠牲者を出しちゃいけない。


だからこそ我々も

当たらなかった予知を糾弾したりせず

『外れてよかったね』くらいの気持ちで

支えていかなくては・・・そう思うのです。

 

 

 

翌々日から・・・

私は塾生の名簿を持って

バイクで被災地に入りました。


ほんとうに救いようのない景色でした。

 


でも・・・沿道で

おにぎりを声を枯らして配ってる

ご婦人方がいました。


くださったのはただの塩むすび・・・

でも涙がこぼれるほどうまかった。

 

 

東灘区の小学校の校庭では

当地で有名なヤク●屋さんたちが

畳サイズの鉄板を何枚も繰り出し

焼きそばを作っては避難者に

振る舞っていました。

 

若い衆が焼きそばパックを

「どぞ」と差し出してくださいました。

 

自分は子どもの安否確認をしているだけで

被災者ではないから…と辞すると

ツイッと帰っていったかと思うと

2パック持って走って来てくれました。

 

「先生こそ食べなあかん!
ガッと食うて元気出してください!

みんな無事やったらええですのにね…」

見ればぼろっぼろ泣いてはって…

一緒に泣きました。

 

 

幼稚園くらいの子が引きずるように

ひとりでポリタンクを運んでました。
『乗せてあげよう』と言うと

タンクを置いて走っていきました。

 

怖がられたか・・・と思っていたら

ママの手を引っ張ってきました。

『ママのが重いねん。

ママから運んでや』

ママさんと抱き合って泣きました。

 

 

東灘を過ぎたところで

若い女性に立ちはだかられました。
『垂水まで行きたいんです!

行けるとこまで乗せてって

ください!』

 


5ヵ月の妊婦さんでした。

実家に帰っていて

旦那さまと

連絡が取れなくなったから・・・と。

 


バイクは50cc
もちろん2人乗りはご法度ですが

迷わず乗せて西へ

 

三宮の手前で

白バイに追いかけられ

停められました。

やっぱり・・・


しかし

駆け寄ってきたおまわりさんの言葉に

耳を疑いました。


『オクサンのコートが

テールランプ隠してて

危ないんです。

見えるように

してもらえませんか』


座りなおしてもらって・・・

 

おまわりさん

こぼれるような笑顔で

さらにひと言。


『せっかく生き残れたんですから大事に大事に走ってくださいね。

どうかお気をつけて…』
和歌山県警の白バイでした。

 

 

 

街は傷ついていましたが

ひとはつながってました。


誰もが互いを祝福しあって

助け合っていました。

 


助けることで

助けられている・・・


自分がいてもいい理由を

みんな探してたような

気がします。

 

 

そういう意味では

『しあわせ』だったかもしれません。

 

 


あの気持ちを小さくでも残せたら・・・

つつきあうのではなく

憎しみ合うのではなく

ほんの少しでも『ひとらしさ』を

残せたら・・・


今日もまた
復興した街の片隅で祈りながら

能登の地を思い浮かべながら

そう思いました。

まとまらない長文を
またごめんなさい。

ありがとうございます。

 

 

 

追記

「なぜ他の方のように

復興支援のサイトを紹介したり

ふるさと納税を紹介したり

しないのですか?」という

お声を授かりました。

 

「受験真っ最中」だからと

申し上げたいと思います。

 

受験生とそのご家族…

ぎりぎりの心理の中で

「寄付を…」なんて言われたら

「したら何とかなりそう」なんて

考えかねない。

 

どんな気持ちで投じようが

お金はおカネという

考え方もあると思いますが

必要なのは見返りなど期待せず

適正なところに適正な支援が

届き続けることだと思います。

 

受験が片付いたら

落ち着いて個々に

自分に何が出来るか

あらためて考えてください。

 

よろしくお願い申し上げます。