昨日、外出中に従弟から叔母の訃報がFacebookのMessengerに入った。


亡くなったのは、従弟の母親ではなく、別の従妹の母親である。


教えてくれた従弟は、SMSで従妹から訃報を受信したとのことで、それを私にコピーして転送してくれたのだ。


亡くなった叔母は、私の亡き父の弟(既に故人)の連れ合い。


叔母と最後に会ったのは、伯母(亡き父の故兄の連れ合い)の葬儀の時だったから、もう5 年程前の事だったと思う。


遠く青森の地において。


従兄弟や従姉妹同士、互いの親の逝去を知らせはするけれど、何分にも遠方で、普段さほど交流がないため、葬儀に参列する事もだんだん減ってきた。


私の父が亡くなった時には、

青森や仙台から、叔父叔母、従兄弟従姉妹たちが大勢駆けつけてくれたけれど、

母が亡くなったときには、父方の親戚には連絡するのみにとどめ、近隣の母方の親戚数名にのみ葬儀に参列してもらった。


親が亡くなっていくと、遠方の従兄弟従姉妹たちとは、だんだん疎遠になっていくのは致し方ないのかもしれない。


都内に父方の従兄弟が2 人いて、父の葬儀では勤めを休んでまでして助けてくれたりもした。

なので、とても有り難い。


それでも私は飲酒しながら話すというタイプではないので、日常的に親しく交流するのは難しい。


昨夏、仙台の叔母の連れ合いの葬儀に参列した折に、青森から来た従姉に会ったのは女同士だからだろうか、何か安らぎやシンパシーを感じた。


いくつになっても、お姉さんなのである。


私は一人っ子なので、姉や妹的存在は貴重なのだ。


さりとて、積極的に人と交流するタイプでもないので、自分から関わっていこうとはしない為、従姉妹たちとそれ以上の付き合いに発展することはない。


それでも血縁というだけで、知らせてくれること、いざという時には助けてくれること、私という存在があることを忘れないでいてくれることは、とても有り難いことだ。


それは両親が築いてくれた土台があればこそ。 


今回の叔母の訃報をSMSにより受信し、

こちらもSMSでお悔やみをお伝えした。


従妹はこんな形での連絡になってしまい申し訳ないと詫びていたが、それで最適だったと思う。


叔母は老衰にて天寿を全うされたとのこと。

晩年は従妹の元に身を寄せて、

安楽な余生だったことと思う。


津軽弁のイントネーションで私のことを

「 理香ちゃん」と呼んでくれた叔母の声が心の耳に甦る。

口数が少なく、慎ましやかな佇まいを持つ叔母だった✨✨✨✨✨


🍀青森の叔母なので、

アップルパイを気もちでお供え↓

(画像だけど😆)