韓国の時代劇ドラマが好きです。
たくさんの人がバタバタと斃れていく戦闘場面は嫌ですが、
何故か韓国の時代劇ドラマが好きです。
(日本の時代劇は観ません)
ハマったきっかけは
ぺ・ヨンジュン主演の
「太王四神記」
かなりハマったにも関わらず
とても好きなドラマであるにも関わらず
どうしても解せないことが一つあります。
それは、このドラマだけでなく、全ての時代劇ドラマに対してなのですが…
どんなことかというと
ドラマ中の主要人物が戦闘で死んでいくときは、
斬られてもすぐには息絶えずに、今際の際の言葉を語り、時間をたっぷりかけて事切れていくのに、その他大勢の兵士たちは一瞬のうちに斬り捨てられ、虫けらのようにあっさりと斃れてそれで終わりということです。
そして、「数千の兵士を失った」などというセリフが平気で出てきます。
太王四神記
は、高句麗王の仁愛をベースに語られた時代劇ですが、そんなドラマでさえ大勢の無辜(むこ)の民が、振り返られることもなく倒れていきます。
*注 無辜の民…罪なき民
そうやって振り返られることもなく斬り捨てられていった無辜の民の一人一人にも
父があり、母がいて
妻や子供など
大切な愛する家族との人生があるのに…
語られるべき大切な物語があるはずです。
その点が振り返られない時代劇ドラマというものに、違和感を覚えつつ
それでも私は何度も何度も飽きることなく繰り返し観ています。
そんな自分が謎です。
また、ドラマに限らず
いかに敵を倒したかを
嬉々として語る武勇伝
にも受け入れ難いものを感じます。
勝つ者があれば
負けて倒れる者がいる
勝っても負けても
大切な生命を賭けての勝負をすること自体が残酷であり得ない
英雄の物語を見たいのではない
戦略の攻防のドラマを見たいのでもない
ましてや戦闘場面を見たいのではない
ただ、時代劇に宿る人間の精神、
感情の強烈さを疑似体験したいのかも知れません。
歴史は名もなき無辜の民のあまたの犠牲によって動いてきました。
本当は、
無辜の民の何物にも代えがたい貴重な命のドラマを見たいのだと思います。