エゴノキの花が数日のうちに散っているのを見て

徒然に思い起こしたことを綴っていたら、

思いがけなく長文になったので、一区切りして

ここからが後編です


若き日のほんの数年間に体験した不幸を、一生握りしめて不幸を演出してきた母

その実、父と出会い結婚してからの人生は
誰から見ても、人並み以上の幸せな人生を送っています

でも、不幸と思い込んでも、現実は一向に不幸にはならないので、それを証明するべくあらゆる病気を演出しました

どの病院に行っても、異常なしと言われ
それでも自分は病気だと言い張って、
病気ですという判定をしてくれる病院を探し回ってのドクターショッピング

父も私も振り回され
どうにもならなくて
老人施設にお世話になることに…

杖など必要ないのに杖を使い
オムツなど必要ないのに自分でオムツをする

病気になることを諦めたのか
次なる演出は
老いて弱き者としての演出がエスカレートしました

そして、今では本物の老いて弱き者となりました

もう人の助けなしには生きられません

母はこうした形で本懐を遂げたのでしょうか

ものすごい執念です

でも、やっぱり母は不幸ではありません

何も心配することなく日々を過ごすことができるのですから
しかもかなり恵まれています

グループホームの個室に居住し
手厚いサポートを受けて
不満があればなんでもぶつけ
それを許容されて
好き放題に生きているのですから

もし、もっと早くに自分の幸せに気づくことができていたら

本当に穏やかな老後の生活があったはず

父と二人、穏やかな老後の生活があったはず

そんな可能性をぶち壊したのは
他ならない、母自らの不幸感だったんだな、
と思います


そして、それは私に引き継がれていて…

私も頑固に、自分の不幸感を握り続けていることに気づいています

私の持つ不幸感というのは
母のような被害者意識ではないのですが

つまり、自分をジャッジメントして自分を痛めつけ、自分を奈落の底におとしめる、というパターンなのですが、
それが出てくるたびに

あれ?
待って!

私、ダメじゃないよ

と、ジャッジメントに苦しむたびに

繰り返し繰り返し自分に戻ります

母と違うのは、このパターンが単に錯覚であることに気づいていること

ジャッジメントを手放すことが目的ではなく

ただ、そのジャッジメントに気づいて繰り返し繰り返し、それを手放そうとする動きをつくることが大切なのだとマリリン&トーマスから教えてもらいました。

私が怖いのは、
ジャッジメントに陥って、奈落の底にいる時の恐怖感

それは自分を存在せしめる世界がなくなる恐怖感で、それは過去から何度も何度も繰り返し襲われてきた恐怖です。

どんなに恐怖しても
一向に私の存在する世界は無くならず
ちゃんと存在できていることに
やっと気付きました

奈落の底は幻想なのです

この幻想は、何度でも繰り返し繰り返し見せられます

でも、その幻想が見えるたびに
それはヒーリングの機会であることを知りました

いつになったらこの恐怖から解放されるときが来るのだろう
いつまで私は頑固に恐怖し続けるのだろう

と多々思いますが、

幻想を消すことが目的なのではなく

幻想を幻想と気づいて
そこから目覚める動きをつくっていくことが大切なのだと教えられました

既に私は
若き頃から抱き続けてきた恐怖が幻想であることに気づいているので

いくら出てきても
騙されることはありません

その恐怖をただ感じて、手放すのみ

進化、進化あるのみです


↑スーパーヒーローボディースキャン

感情体  シールドのヒーリングより