命の灯が消える | 「理香子」のブログ

「理香子」のブログ

波瀾万丈な人生、何人もの霊能師との出会い。

そして、開眼。
霊能師として、修業中。

奮闘記を綴っています。

命というロウソクの灯が燃え続ける時間は、人によって長くもあり短くもある

5年前、
暮れも押し迫った年末、離婚で離れて暮らす17歳の次女から電話が掛かってきた

「お母さん、〇〇ちゃん覚えてる?幼稚園から一緒だった友達」

私は一人暮らし

当時のアルバムは見れない

「どうしたの?」
「亡くなったって連絡があった」

あまりにも早すぎる死…

繋がりのあるママ友から連絡があった

「随分、長いこと入院してたらしい
ご両親とも覚悟は出来ていたのだろうけど…何とも掛ける言葉がないよね」

私の携帯のアドレスから連絡出来るママ友にも話しを聞いた

皆、複雑な思いを語ってくれた

昨夜、遅く次女から連絡があった

「S子ちゃんと一緒にお通夜行ってきた。S子ちゃんのお母さんに乗せて行ってもらった」

S子ちゃんはよく知っている

遊びに行ったり送って貰ったりして、お母さまも良くして下さった

良く知っている、一方的に…

奇しくも、S子ちゃんのお姉さんは、長女と同級で高校が一緒だった

高校1年の時、持病の発作の為、入浴中に意識を失いしばらく発見されなかった

意識不明のまま入院

その後、意識が戻る事なくご両親が命の選択をされた

「先生、うちの娘頑張りましたよね?」

お母さまは医師にこう言ったそうだ

折しも、高校野球の試合中

行ける生徒だけ葬儀に参列したそうだ

野球部と長女の所属していた吹奏楽部の生徒は行けなかった

長女は泣いた

あの時、行っておけば良かったと

いつかお線香参りに行こうと話していたが、
まさか次女の仲良しのS子ちゃんのお姉さんだったなんて

行けなかった

行けないどころか、知らない振りをし、隠し通さなければならなくなってしまった

小学校の下校時、

「S子ね、お姉ちゃんの分まで生きるんだ」

次女に言ったこの言葉で全て繋がった

当時、S子ちゃんは次女と同じ幼稚園生

何ヶ月も、ご両親は意識が戻らないお姉さんに付きっ切り

どんな気持ちで過ごしていたのだろうか
寂しくなかったわけはない筈

小学校入学時、席が隣同士だった

それ以来、仲良くさせていただいてきた

いつも元気で明るいS子ちゃん

とても、しっかり者で頼れる存在

その元気さと明るさの裏には、お母さんに心配掛けたくないというS子ちゃんの強い思いがあったのだろう

学校帰りにウチに寄った時、

「たまには、ここで遊んでいったら?お母さんには電話してあげるから」

私が幾ら言ってもS子ちゃんは、

「お母さんが心配するから…S子のウチならいいんだ」

S子ちゃんは、お母さんの気持ちを分かっていた

また、大事な娘に何かあったら

何年経とうとも、お子さんを亡くした悲しみと記憶を消し去る事は出来ない

幾ら強い私でも、子どもに先に逝かれたら、果たしてこのお母さまのように凛として生きていけるのだろうか?

ただただ、心からご冥福をお祈り申し上げたい