今日は

祖母の命日

 

 

祖母はどんな状況にあっても

生きることを選んできました。

 

 

とにかく

食べることが大好きだった祖母。

 

17年前、

祖母が75歳の時、

糖尿で

意識を失ってからというもの

入退院を繰り返すように

なりました。

 

 

自宅にいるときは勿論、

病院にいても

食べ物は摂生できず、

(他の患者さんご家族に頼んで

食べ物を買ってきてもらうという

とにかく問題を起こしてばかり)

当然のことながら

腎機能も悪化し

透析になりました。

 

 

生きられるなら

透析を今すぐにでもしたい

 

 

悩むそぶりも見せず即決。

 

 

しかし、

食生活の節制ができない祖母は

血管も硬くなり、

透析に必要な

シャントもすぐに

ダメになるので

人工血管手術までしました。

 

 

亡くなる半年前に

壊疽による片足切断。

 

 

どうせ歩けないし

片足くらいどうってことないよ。

それより生きたいよ!

 

 

 

悩むこともなく

答えを出す。

 

 

そんな豪快な祖母にも

とうとうその時がきました。

 

 

朝早くに都内を出て

夜通し傍にいた母と妹

と交代して40分後、

祖母心停止。

 

数字の0が赤色に点滅、

呼吸数値0も赤色に点滅。

 

 

耳元で呼びかける。

反応もあり、表情も変わる。

でも数値は0。

 

 

呼びかける。

先生が来るまで

片手で心臓を叩き、

片手で母と妹に連絡。

 

それでもあの強靭な心臓は

動かない。

 

 

 

実は夜中、

呼吸、心臓が停止しました。

 

母も妹も看護師さんも

駄目だと思い、

私に連絡をしてきました。

 

 

しかし、

このときは奇跡の復活。

 

 

私と長女を

待っていて

くれたのかもしれません。

 

朝、母たちと

交代してから

病室の簡易ベッドで寛ぐ2歳の長女

 

 

 

 

亡くなる少し前、

『美味しいものをみんなで

食べながら見送っておくれ』

 

 

言っていた祖母。

 

 

みんな寝不足だったから

眠かったけど、

たんまりとお食事を用意して

明るく語り合いました。

 

 

 

その会話の中で、

そういえばと

家族に話したこと。

 

 

亡くなるひと月ほど前に

突然、

自分はもうすぐ死んでしまうと

言い出し、

 

『今までありがとう』

『寂しいよ』

『あとは頼んだよ』

と。

 

そして、

お腹の中にいた

次女に会えないことが

とても残念そうでした。

 

 

 

闘病生活8年。

 

最後は

とても苦しんでしまい

ましたが

祖母らしい生き方だったと

思っています。

 

 

 

これからも

どうか見守っていてね♡

 

 

 

 

 

 

お祖母ちゃん子の私

 

 

 

 

 

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