先生の最後の診察 | りーや(双極性障害)のブログ

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脱ステから妊娠生活、義理実家問題、脂漏性皮膚炎、酒さ様皮膚炎、鬱病、双極性障害、抗うつ剤服用での妊娠、育児について書いてます!!思った事をつらつら綴ってます。愚痴や吐き出し、気持ちの整理をブログでしてます。よろしくお願いします(*´ω`*)

はあっさりとしたものになってしまいました(・・;)

とても混んでいて時間もなかったのでしょう。



でも、一番聞きたいことは聞けました。

それは…


私が初めて訪れたときに、躁の状態があったことを知っていたら(私が自覚して話していたら)、もっと早く双極性障害と診断されていたのか?



ということです。



実際に双極性障害の告知を受けたのは3年前。

それまではうつ病と言われていました。



もし、20代前半から双極性障害とわかっていたら、その治療ができてもっと働けてたのかもしれないと思っていたときがあったからです。



先生は、「正直、初期の段階から気づいていました。もっと早く告知をして治療を本格的にしていたらよかったということもありますよね」



と言われました。



でも、ラミクタールが薬疹でるので飲めない私は、


本格的に治療をするということ=子供を持たない選択をすること


20代の小娘が到底受け入れられる内容ではないように思いました。


恐らく私は子供を産まない決断をしていたように思います。


だから、ずっと治る病気と信じてきた20年近くがあったからこそ、旦那と出逢って結婚して、子どもたちがいてくれるんだと尊く思いました。


3年前は告知されて、治らないなら死ぬしかない、生き地獄だと思っていましたが、


ようやく病気を障害として受け入れることができるようになってきたと思います。


お薬で上手くコントロールできるようになってきていることが大きいです。


人はそれぞれの与えられた人生があって、運命があるんだなと。


なんで私が双極性障害にならなければならなかったのかと思っていたこともあるけれど、今は運命と受け入れています。


なりたい職業もろくにできずに、はたからみたら、職を転々として根性がないと見られるけれど、


私には私の頑張れる限界があるけど、その中で楽しいと思えることが起きたら、それで私はとても幸せだなと思うようになりました。


鬱で辛くて家族に心配かけたり、傷つけてしまうときは本当に辛いですけど…


それも障害だから、ごめんね。って仕方ないと思います。


よくこんな病気になっても、私頑張って生きてるなって思います。


それは、家族や友達がいてくれるから。

私の人生を彩ってくれるのは仲の良い人たちです。


偉い人になれなくても、国家資格とかなくても、稼いでなくても、人に自慢できることがなくても、それでいいじゃないかなっておもえるようになって、


自分が前より好きになりました。


とにかく、今はママ友と謝恩会の準備で集まるのが楽しみです。


面白いこと言って笑わせられたときなんて、サイコーの気分です(笑)


人生って本当色々だなぁと思います。