皆様、ご無沙汰してます。

 

コロナ蔓延で大変な体験をしましたね。。。。

ブログが更新できてなくて申し訳ありません。

 

我が家はみんな無事でいます。

変わったことと言えば、実家の祖母が他界したこと。

後を追うようにその祖母の兄も他界したこと。

二人ともコロナの蔓延時期の他界でしたので家族葬でお別れしました。

 

残された祖父の介護に母は毎日大変です。

 

さて、話は題名のものへと変わります。

 

快晴の中蓮華寺主催の史跡巡りに参加させていただきました。

講師は河本正二さん

 

本荘重政公って誰???

松永塩田を開き干拓地を造成、松永地域発展の基礎を築いた偉人である。

慶弔11年尾州にて誕生。父重紹は元佐々成政家来で水野勝成の家臣となり、元和5年備後福山に入る。

重政は志操俊秀、兵法、武芸に長じ、本庄流砲術を工夫、諸国を遍歴後江戸に居住。

島原の乱で活躍し、岡山藩に仕官。14年後再び浪々、赤穂に滞在中要請され、承応3年福山に帰る。

福山藩では数々の新田開拓事業に携わり、ことに松永湾に開いた松永塩田の開発・発展に尽力した。

松永に邸宅を定め、松永村と名付けて

郡奉行となり、この地域を収めた。延宝4年歿。菩提寺として建立した承天寺の墓地に眠る。

(配布資料より)

 

まずは潮崎神社

本荘重政が塩浜鎮守の為建立した神社

祭神は須佐之雄命他。寛文3年柳津村にあった祠を明神端に移し、自刻した不動明王像を

合祠、今津剣神社を勧請し、『剣明神』と称した。今津薬師寺が別当寺であった。

陰暦8月の煙火祭には遠近よりの観覧者が境内にあふれた。

維新後名前を『潮崎神社』に統一、明治5年村社として松永村の総氏神となった。

境内に稲荷神社。石建物:石鳥居、注連柱、狛犬、金毘羅宮の常夜灯、石灯籠14基、

百度石一基。

境内の右奥にある常夜灯がこちら。

 

左側に潮崎剣大明神とある。

 

江戸時代の資料の鳥居や橋、海へ続く階段、常夜灯などそのままが残っていました。

 

お次は本荘神社

地域住民による重政を祀った神社である。

重政住居跡に建つ。宝暦9年庄屋村上九兵衛、他村民が重政の遺徳敬慕し、

承天寺境内に祀ったもの・後神社として独立し、天保2年庄屋石井四郎三郎、組頭、浜役等が

塩田利益、民衆繁栄を祈って社殿を現在地に再建した。

例祭は9月15日。本殿、幣殿、拝殿、石鳥居二基、狛犬1対、石灯籠2基、標柱1本、百度石1基等がある。

 

お次は承天寺。寛文8年重政建立。臨済宗

 

元神島村寂室和尚の遺跡。万治元年本荘重政菩提寺として、福山中町に弘宗寺より

乾岩和尚を迎えて中興した。父重紹の戒名中の二文字をとって承天寺と名付け、山号を吸江山として扁額を自ら

彫刻。三代万国和尚を鞆安国寺より迎え、寛文8年承天寺を松永に移転、迦藍を新築して開山。

境内3反歩、田地8反歩を重政が寄進した。松永一円に住む者は何宗たるを問わずことごとく当寺の宗門とし、

浜人はこれより毎年銀十枚を承天寺に収めることとなった。

本荘重政自刻像、浅野家、大石等の書簡・文書等所蔵。

延宝4年2年15日、重政歿し、承天寺に葬られる。

 

今回特別に本荘重政公自刻像と位牌を拝見させていただきました。

こんな風に間近に見れることはないらしいです。

墓所も境内にあり。

 

右側の八角形のお墓が重政公のお墓です。

 

お次は松永塩田後。

よくわかるのはロイヤル自動車学校の辺り。

あのあたりは低い土地、高い土地があり、低い土地は昔からの土地を宅地にしたそう。

高い土地は、バイパス工事などで出た土を盛り土して高い土地にして宅地、道路にしたそう。

 

へぇ~×100である。

塩つながりで蓮華寺のイベントでお塩つくりたい!と熱い副住職の想いで

実現した鞆 仙酔島でのお塩つくりはこちら→

 

このお塩つくりができるはずだったイベントはコロナの為中止となりました・・・。

 

 

お次は薬師寺。

こちらには重政公が自刻の不動明王があります。

こちらも特別に拝見することができました。

 

境内に咲いた蓮の花がとても美しい。

 

開閉を三日間繰り返し、四日目には全部散ってしまうらしいです。

 

福山城築城400年まであと2年。

福山藩にも関わりの深い本荘重政を偲ぶ史跡巡りでした。

 

松永に嫁に来て17年。いつも通ってる道から見える景色から

古い時代を垣間見ることができました。

重政公のお墓もロイヤル自動車学校のあたりから見上げるとみえる事にもびっくり。

赤穂の塩は有名ですが、重政公は赤穂にもいたことがあって、塩づくりのノウハウは

赤穂から持ち帰った技術だったりしたことにもびっくり。

 

昔の時代があるからこその今があります。

自分が住む地域の歴史を知ることができてとてもいい体験ができました。

こういう話をぜひ子どもたちにも伝えていきたいなと思います。

 

河本先生の知識の深さにも感服。まだまだ話足りないご様子でしたw

 

こんな機会を与えてくださった蓮華寺副住職様、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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