記念館めぐり④ | 60代からのヨーロッパ・ドライブ旅行ガイド

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”知の巨人”を知る

前回パソコンが壊れた話をしましたが、息子に2日ほど預けたところ、ナント!復旧しました。初期化の途中でダウンし私では手に負えなくなりましたが、コマンドベースでいろいろトライした結果、初期化状態にして戻してくれました。起動するとサクサク動き、前よりとてもスムースになりましたが、その後WindowsUpdateが動き出し、いくつかの更新ファイルがダウンロードされました。この更新ファイルがくせもので再起動を繰り返すうち、だんだん起動時間が長くなり動きも遅くなりました。息子は、古いCPUなのでこの機会に新PCを購入したらと言いますが、Windows10が2025年までサポートが続くようなので、「もったいない精神」が働きあと2年このPCを使い続けることにしました(Windows11はこのPCでは適合しないとアプリで宣告されました)。

(ネットでオーダーしたPCはキャンセルすることができました)

(このPCは4年使用しましたが、壊れたと思い買い替える人は多いと思います。修理するところが手近にあれば試みる価値はあると思います)

 

この間、ブログに書こうとおもっていたものが溜まってしまい、少し9月に戻りします。

今年は9月28日まで真夏日(30°以上)が続き、季節が1か月後ずれした感があります。

9月24日は前日の雨が上がりドライブ日和り。

名前は聞いたことがある程度の「塙 保己一(はなわほきいち)」記念館に向かいます。場所は本庄市児玉町。

 

 

本庄市に合併する前は児玉郡児玉町でしたが、合併後本庄市児玉総合支所として役場機能を持つアスピアこだまに記念館は併設されています。

このあたりの行政サービスで感心するのは、熊谷の荻野吟子記念館にせよ、深谷市の渋沢栄一記念館にせよ、そしてここ塙保己一記念館も入場無料で、土日も開館し、依頼すればガイドも応じてもらえます。

 

最近記念館めぐりをして教訓を得たのは、どこも動画によるガイドが充実しており、まずはそれを聞くことからはじめます。

 

全盲の塙保己一記念館らしく聴覚設備は充実している

 

展示もわかりやすく構成されています。

 

特別展として保己一が伊勢や京に旅した記録(弟子による)も展示

 

群書類従と印刷

 

34歳のとき1779年から41年の歳月を費やし完成した「郡書類従」は530巻666冊におよび、とても盲目の人の業績とは思えません。(死後、続編も編まれている)

「群書類従」とは江戸中期に現存した古書を1270種に分け、版木を使い印刷し叢書化した文献集で、『古事記』や『万葉集』『律令』も含まれ、そのしっかりとした校訂は現代の研究者にとって和学(国学)の礎となっています。

2014年にはWeb版「群書類従」が配信されるようになり、日本文化を研究するうえでとても便利になっています。

例えば、そうめんを検索すると製法から食べ方、レシピまで51件がヒットするそうです。

 

 

 

 

伊勢や京の寺社を訪ね、抜群の記憶力で文献を読み資料を編纂し、後代にかけがえのない知の資産を残しました。

 

積み上げられた群書類従の和本

 

荻野吟子が女医への関門として立ちはだかった「昔から医者は男に決まっている」という不文律を、塙保己一の群書類従にある「令義解」によって平安時代に女性医師登用が記されていることを知り克服した話は、渡辺淳一著「花埋み」で知りました。

 

塙保己一の偉業は、海外にも伝播しています。

電話を発明したグラハム・ベルは、聴覚障害者の教育に一生を捧げていますが、彼はヘレンケラーの母に塙保己一のことを話し、母親は「日本の塙保己一先生を目標に生きていきなさい」とケラーに伝えたと語っています。

 

 

幅広い学識、後世への影響力、

まさに埋もれた”知の巨人”といえるのではないでしょうか。

 

近くに塙保己一の生家が残っていると聞き、訪ねてみました。

 

江戸中期の建物、現在も居住されている

高台にあり、赤城山など遠望できる

 

(この項、おわり)