19日目 フランクフルト滞在
フランクフルトは、人口72万人で、ドイツで5番目の都市になる。
*1位ベルリン 2位ハンブルク 3位ミュンヘン 4位ケルン
経済面では、メッセ・フランクフルトはドイツ最大の見本市会場であり、欧州中央銀行をはじめドイツの銀行の多くが本社を構える金融都市でもある。そのルーツはロスチャイルド家がフランクフルトのゲットー出身にさかのぼる。
正確には、フランクフルト・アム・マイン(マイン川沿いの)であり、同名のフランクフルト・アン・デア・オーダー(オーダー川沿いの)と区別している。
レンタカー旅行ではいろいろなリスクも想定されるが、今回も無事に終え昨晩はゆっくり休むことができ、目が覚めると8時を廻っていた。
朝食は昨日ホテル近くのショッピングモール、スカイラインプラザで買ったパンとヨーグルト、コーヒーはこれまで残っていたカセットで。
ランドリールームが各フロアにあり、洗濯機が2台空いていたので洗濯する。どうも使い方がイマイチだが、洗剤は自由に使えたので、適当にセットした。表示では70分ほどで終わる予定。いったん部屋で待機。この時間(午前10時)はほとんで宿泊者に出会うことはなく(メッセの開催もない)、洗濯機を占有しても問題なかった。
きょうはフランクフルトの市中を歩き回る予定。ホテルを出たのは11時半。中央駅まで徒歩で向かう。
左はメッセの入り口にあるメッセ・タワー
メッセから中央駅までは再開発の真っ最中
中央駅までは15分ほど。
中央駅は大ターミナル駅で、国内はもとよりEU各国の国際列車ICEが発着する
中央駅前からカイザー通りをアルトシュタット(旧市街)に向けて東進する。アルトシュタットを囲むようにイネンシュタット(内市街と訳すらしい)があり、こちらは高層の金融街やデパートなどのショッピング街になっている。第2次大戦で壊滅的な被災を受けたが、イネンシュタットは道路、公園などのインフラを整備し復興開発され、アルトシュタットはかっては3000棟あった木組みの家がレーマーベルク(市庁舎広場)にわずかに残るまでになっている。
市内は2階建て観光バスも走る
ゲーテは、フランクフルト出身でその生家は大戦で被災したが現在は再建され博物館として公開されている。。
左が生家で右は博物館
1749年ゲーテが誕生した当時の居間や書斎などが再現され展示されている。
文豪でありながら、音楽や自然科学、はては弁護士、政治家と博物学者的素養は、父親が蒐集家として集めた古今の蔵書も影響しただろう。
ゲーテの著作のバイオグラフィ展示
「ファウスト」も読まずゲーテは語れないが、ロマン主義の原点ともいわれる「若きウェルテルの悩み」は若いころ読んだ。私小説的でゲーテ自身がモデルとなっており、鴎外の舞姫を連想する。このウェルテルはオペラになっており、パレルモのマッシモ劇場で1昨年観た。
ゲーテハウスを出て、近くのクラインマルクトハレ市場に行ってみる。
途中中古カメラ屋があり、ライカの国でキャノンやパナソニック、タムロンが展示されていて意外だった。
市場は野菜、果物、肉類、チーズ、パン、酒などなんでもあるが、魚介類はあっただろうか。花屋さんは印象が残っている。
2階はレストラン街となっている。
昼時だったので、イタリアンで軽く食事。
次はバルトロメウス大聖堂(カイザードーム=皇帝の大聖堂とも呼ばれる)に行く。神聖ローマ帝国の皇帝の戴冠式はここで執り行われた。
13世紀からゴシックの大聖堂として建設されたが、第2次大戦でも被災し1950年代に再建された。
内部は簡素だが、ゴシックの様式なので窓が大きく、明るい。
大聖堂を西に歩くとすぐにレーマー広場に着く。
秤を持つ正義の女神像に正対して市庁舎(レーマー)がある
3つの旗がはためく市庁舎
フランクフルトでは、いまやこの広場界隈でしか、木組みの家は見られない
次は高所から街を展望しようと、マインタワーに向かう。
トラムに乗るためフラウバッハ通りへ、パウロ教会前から乗車。
タウヌスアンラーゲ駅で下車、公園沿いの高層ビル街を、道に迷いながらマインタワービルに。1階で観覧券(7.5€)を買いエレベータで54階へ、さらに階段で56階に上がると,360度の展望が開ける。
さきほど見てきたパウロ教会、レーマー広場と大聖堂
拡大してみると
西側、中央駅方面。
北西側のメッセ方面、宿泊場所に近い。
帰路は地下鉄U4ラインで、メッセ駅下車。
地下鉄に直結しているスカイラインプラザ(ショッピングセンター)で夕飯と明日の朝食の食材を調達。
ホテル到着はまだ陽が高い19時だった。
明日は夜便ではあるがアブダビに向かうため、荷物の整理とパッキングを行い、フランクフルト最後の夜は、自炊でささやかながら祝杯、早目に就寝。
(19日目 おわり)