先週も、金曜日の夜から日曜日の夜にかけて「車の旅」に行ってきました。
 今回は山梨県は甲府市のホテルを予約していたので、そっちがメインになるはずだったのですが……。
 
 とりあえずは金曜日の朝から夕方にかけて準備をして、和希達の準備が終わってから出発。
 相変わらず直希は「ハム次郎」と「夏蒲団」を抱えて早々と就寝(笑
 
 道の駅で一眠りしてから、関ヶ原古戦場へ。
 
イメージ 1
 
 笹尾山の「島左近陣跡」
 ここに西軍総大将である石田三成も布陣していたと言われます。
 旦那さんが言うには、「狼煙みたいなのの準備してたよ」ってことなんですが、何だかお祭りみたいなものをやる準備をしていたそうです(雨はその時小雨でした)
 
 
イメージ 2
 
 こんなものもありました(笑
 たった1日で勝敗が着くとは、石田三成も思わなかったでしょうねぇ。
 しかも、めっちゃ気の弱い(と言われる)小早川秀秋の裏切り行為で。
 
 和希達は外に出て来ず、車の中から色々と文句を言っておりました。
 直希は決戦の地の碑のある場所までは出て来たのですが、寒かったのか呼んでも出て来ませんでした~(溜息
 
 そして、直希の希望で「長浜城」に向かいます。
 長浜城ではやっぱりというか何というか、「しゃちほこ」に萌えていまして。
 「おしろー! しゃちほこー!」
って叫んでおりましたよ(笑
 
 で、このくらいの時には雨も止みまして、晴れ間が見えていました。
 
イメージ 3
 
 登城した時にはまだ開いておらず、外から眺めるだけでしたけども、近付いたら自動ドアが開きました。
 直希は大興奮で、中に入って色々と言ってましたよ(笑
 で、やっぱりこんなことも。
 
イメージ 4
 
 天守での記念撮影(笑
 ぐるりと一周して、「おかあちゃん、しゃちほこあった」だの「おれ、しゃちほこすきだも」とか興奮してましたよ。
 このハイテンションはどこから来るのかね。
 
 1時間ほどかけて城を見て展示品を見て、大興奮だった直希、帰りにも「まだかえらない」とか言っていました。6歳にして城に詳しく……(え? 仕向けてるのは私?
 
 長浜城は秀吉の最初の城。
 農民から身を起こし、37歳の時に長浜城主になった秀吉は、主君である織田信長が「稲葉山城」を「岐阜城」に改めたのに倣い、当時「今浜」と呼ばれていたこの地を「長浜」と改名したと言われています。
 城は琵琶湖の先にあって、地震で崩れてしまったと言われます。
 ちなみに、土佐24万石の山内一豊が城主であった時に起きた地震で、一豊はこの地震で一人娘を失っていると言われます(多分知られたエピソードかな?)
 
 大興奮だった直希は、そのまま姉川古戦場に向かい、やはり大興奮で何もない(戦没者碑とかはありましたが)古戦場を見て、
 「おかあちゃん、まだいくの。あっちにもいくの」
と私を連れてキラキラしておりました。
 
 古戦場も好きになったんでしょうか……。
イメージ 5
 
 え? 和希?
 和希は醒めたもので、看板の所や戦没者供養碑などを見た後はすぐに車に入っておりました。
 何だかんだ聞いては来るものの、答えを聞いたら納得して終了です。
 アッサリしておりますね、こっちは。