断臂攝心と絡子 | Que sais-je? ク・セ・ジュ――われ何を知る

Que sais-je? ク・セ・ジュ――われ何を知る

エルサルバドルに単身赴任中。
気候がいいので日本よりよほど健康的な生活を送っています。
ドライブ旅行をぼちぼちしていますが、
この国で最も注意しなければならないのは交通事故。
今や治安以上に大きなリスクです。

なおヘッダーは2020年に新潟県長岡市にて撮影。

 

この記事を公開している12月25日はクリスマス。なのに仏教の話を書くのは、決してキリスト教に対する当てつけではないですよ。たまたま記事の順番で本日になっただけですから。

と、お断り申し上げて……。

禅宗では、12月1日から8日までの8日間は「臘八摂心(ろうはつせっしん)」と呼ばれ、お釈迦様が菩提樹の下で坐禅をして12月8日に悟りを開いたと言われることに因んで、集中して坐禅修行を行う期間になっています。

私が長岡に居る時に参禅でしばしば通っている安善寺でも、それに因んで、集中的に坐禅会が開かれています。ただし、雲水さん――すなわち修行僧――たちのいる道場では1日から8日までの毎日、朝から晩まで坐禅三昧をするところ、安善寺ではその簡略版として、隔日の開催になっています。

そして7日の次の坐禅会は、9日の「断臂摂心(だんぴせっしん)」。これをもってその年の最後の坐禅会としています。

東堂(とうどう)さん――元住職さん――のお話では、この断臂接心は、自分の腕を切り落としてその決意を示したことで達磨大師に弟子入りすることを許されたという、「慧可断臂(えかだんぴ)」の故事で有名な慧可に因んで行っているのだそうです。

しばらく海外に長期赴任する私としては、年内最後の坐禅会であるこの断臂摂心に是非とも参加しようと思いました。

通常5時半に始まる朝の勤行(ごんぎょう)の最初から加わろうと、朝4時半に起きて寺に行ったのですが、ちょうど5時半に着くと、既に3番目あたりのお経である(私の最も好きな)大悲心陀羅尼(だいひしんだらに)を唱えているところでした。次の般若心経(はんにゃしんぎょう)から読経(どきょう)に加わります。

勤行がいつもより早かったのは、その後に別のお勤めと焼香があったからのようです。最後の日は特別プログラムというわけです。

私も列に加わって、東堂さんの唱える大悲心陀羅尼私で焼香です。

これが終わってようやく坐禅。臘八摂心になってから見かけなかった――とはいえ私も7日の会は折立温泉に行っていたので休みましたが――女の子が、今日は来ました。彼女はいつも朝の勤行には来なくて坐禅の開始とともに来るのですが、本日は焼香が済んでもやや早く終わり、従って坐禅もやや早く開始したので、開始予定時刻である6時に彼女が入室してきた時には、私を含めて既にみな坐っていました。

彼女は今年に入ってから見かけるようになりました(とはいえ昨年は私はケニアにいたので参禅していませんが)。制服を着ていたので、かねてからどこの学校の生徒だろうと思っていましたが、最近、胸に付けているバッジと赤いリボンで、新潟大学附属長岡中学校の生徒であることが分かりました(悪い事ではないので学校名を書かせていただきますね。本人の名前は私も知りません)。

彼女は本当に坐るためだけに来ており、坐ったまま聞く東堂さんの文献解説・朗読――このような講話を禅宗では「提唱」と言います――の後にある茶話会には出席せずに、そのまま寺を出ます。たぶん登校するのでしょう。

 

彼女の帰り際に、東堂(とうどう)さんが、「ご苦労様です」と声を掛けるのを耳にしました。

中学生なのに、恐らく自分の意志で参禅しているであろう彼女も勿論素晴らしいです。しかし、それを労(ねぎら)う東堂さんも素晴らしい。

茶話会では地域の様子から世界事情まで、実に様々な話題が出るのですが、この日の話題は何だったか、たくさんの茶話会のたくさんの話題とごっちゃになって、忘れてしまいました。5日の茶話会では私の海外渡航準備の話、特に狂犬病とそのワクチンの話を私がして、東堂さんが大いに興味を示されたことを覚えています。

 

そうそう、東堂さんがテレビ番組「ポツンと一軒家」の話をしたので、その流れで私が長岡市内の真木(まぎ)集落跡が別荘地になっている話をして、竹之高地集落には現在2軒しか住んでいないとも言ったこと(←「竹之高地だより」のサイトによると、正しくは2軒ではなく2人でした)、あれはこの日の話題だったか。

さて、茶話会が終わると、東堂さんが薄緑色の平たい紙箱を私に渡します。

中に入っていたのは絡子(らくす)でした。暫く通っている参禅者にプレゼントしているとのことです。「何年か前にいっぺんに用意したので、年号が平成になっているけれども……」、「私は字が下手なので……」と謙虚におっしゃいますが、こんなものをいただけるなんて、私としては光栄極まりない。勿体ない、勿体ない。

上の写真がその絡子です。方形の略式の袈裟(けさ)のことで、譬えは変ですが、形と着(つ)け方がよだれかけに似ています。以前から何人かの方が絡子を着けて坐禅していますが、このお寺から頂いたものなのかもしれません。

ところで、最近興味深く読んでいる『ヨーロッパ文化と日本文化』(ルイス・フロイス著)の関連で、ポルトガル人宣教師たちが編集して、1603年に本編が、翌年に補遺(ほい)が出た『日葡(にっぽ)辞書』(岩波書店の1980年版邦訳)を、近所の図書館で漠然と捲(めく)って眺めていると、たまたま絡子の別名である「掛落(から)」が載っているのを見つけました。

Quara. クヮラ(掛絡・掛落) Caqe matô1).(掛け絡ふ) キリスト教の助祭2) がストラ3) を掛けるように,坊主 (Bonzos) が頸から掛けて,その先端を胸のところで象牙の環の中に集める袈裟の一種. ※ 1) matǒ の誤り. 2) 原文は Diaconos. 3) 原文は estola.襟元から胸にかけて十字に掛ける長い布.襟垂帯.

そうか、司祭などが首から垂らしているあの長い帯はストラというのか。

 

それにしても、キリスト教との対比が面白いです。

 

なお、私のいただいた絡子の環は象牙ではなくプラスチック製です。

それ以外にも、一種のシンクロニシティは起こるものです。先日『良寛道人遺稿』を読み終えて禅語への興味が再び高まり、ちょうど前の晩に書棚から『無門関』を取り出してパラパラめくって、たまたま開いたページの一つが「麻三斤(まさんぎん)」の件(くだり)(十八)。

公案(禅における問題)の一つで、洞山(とうざん)和尚がある僧に「仏とはどのようなものか」と聞かれて、「麻三斤」と答えた。ただそれだけの話です。麻は繊維の材料ですし、三斤は袈裟一着を作るだけの分量なのだそうです。

色々な解釈があるでしょうが、貴方ならどう解釈しますか? 勿論、禅の公案ですから、「正解」なるものはありません。

それはともかく、袈裟の材料の件(くだり)を目にした翌朝に簡略式の袈裟をお寺から頂戴したことに、私は何かの機運を感じます。

ところで、「衣鉢(いはつ)を継ぐ」という言葉があります。「衣」とは袈裟、「鉢」は托鉢の時に使う鉢です。つまり、修行僧として必要不可欠なグッズです。それを弟子が先人から継ぐということで、仏教の奥義を授けられることを意味し、転じて諸芸や学問の流派で奥義を受け継ぐという意味になります。

私は勿論、奥義を伝授されたとまで仰々しくは考えていませんが(とんでもない)、在家信徒として仏法を授かることを正式に認められたような気がしました。

道元禅師の『正法眼蔵』にも『袈裟功徳』という長い巻(講談社学術文庫版なら第一巻に収録)があります(まだ読んでいませんが)。そのくらい、袈裟というのは禅宗では重要視されているのです。

私にとって、既に日課となっている坐禅で、毎日絡子を身に着けて坐るのもかなりの気合が要ります。坐っている間も雑念だらけの未熟な私には、そこまでの覚悟はまだありません。畏(おそ)れ多くて着けるのを躊躇(ちゅうちょ)しています。

しかし、袈裟は身に着けてこそ意味があるというもの。普段はマストにしないまでも、「よし、今日は落ち着いて坐ろう」という気分の高まった時に、あるいは気分を高めたい時に、身に着けてみようかと思います(ということは、普段どういうつもりで坐禅しているんだ、ということですがね)。

当然、渡航先のエルサルバドルに持って行くか送るかします。