安倍氏襲撃事件について思った事 | Que sais-je? ク・セ・ジュ――われ何を知る

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エルサルバドルに単身赴任中。
気候がいいので日本よりよほど健康的な生活を送っています。
ドライブ旅行をぼちぼちしていますが、
この国で最も注意しなければならないのは交通事故。
今や治安以上に大きなリスクです。

なおヘッダーは2020年に新潟県長岡市にて撮影。

 

私がこの事件についての第一報を得たのは、ハイキングから温泉宿の自分の部屋に戻って来た時でした。7月8日(金)の昼、12時半頃でした。事件発生から約1時間後のことです。

当日は起こった事の詳細と経過を把握することでいっぱいいっぱいでした。また温泉旅行から帰宅した7月10日は参院選の投開票日なので、選挙結果に関心が集中していました(私は帰国して間もないので選挙人名簿にまだ記載されていなかったようで、今回は投票券が送られて来ませんでしたが)。

なので、この事件の意味について、自分なりにじっくり考えてみたのはその後ということになります。

私には論戦に多くの時間を費やしている余裕もありませんし、炎上しても嫌です。そもそもこのような内容は拙ブログの趣旨にあまり添うものではありません。だから、最初はブログ上では無視しようと思っていました。しかし、その後のテレビやネットでの世間の言説を見聞きするにつれ、私の中に一つの懸念が生じて来ました。そこで、ハイキングの記事は後回しにして、今回は少々私の見解を共有させていただこうと思います。

ただし、拙ブログで展開するのは今回限りにしようと思っています。

 

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山上(やまがみ)容疑者の供述から、世間では統一教会(現在は世界平和統一家庭連合と名乗っていますが、ここでは短く、歴史的に馴染みの深い名称で呼ばせていただきます)の問題を云々することが突然再燃することになりました。同教会の「主要人物」の殺害を断念した彼は、安倍氏を殺害することで、同教会に復讐するか、潰すかしようと考えたようです。彼の供述を信用するならば、そう推測できますし、私は信憑性のかなり高い供述だと思っています。

つまり、これは政治的なテロではなく、統一教会に対するテロである。しかし安倍氏は政治的実力者として有名だから、彼を殺害することで世間の注目も集まる。従って、事実として安倍氏がこの組織とどれだけの関係を持っていたのかにかかわらず、「統一教会との関連で殺害した」と言いさえすれば、山上容疑者にとっては意味があるわけです。安倍氏はそれに利用されたのであって、彼にとっては全くの災難だったと思います。

ここまでは多くの方に同意していただけるものと思います。

しかし私の言いたいことは、その先にあります。この事件を機に世間が統一教会について騒ぐことこそ犯行の最大の目的であり、世間が騒げば騒ぐほど、山上というテロリストの思う壺であろうということ。

私は決して統一教会の擁護をするつもりはありません。霊感商法による集金も事実でしょう。勧誘方法にも問題があります。私は世の中で最も胡散臭い組織の一つであると思っています。しかしこれらの問題はずっと以前から指摘されてきた事ですし、多くの反統一教会運動や、いわゆる「青春を返せ裁判」を始めとした多くの裁判も行われてきました。

しかし長い時を経て、徐々に世間からの注目は離れてきた、そこにこの事件でまた注目されるようになった、そういうことなのではないでしょうか。

山上容疑者の行動は、衝撃的な事件を暴力で起こし、それによって世間を恐怖(テロル)に陥れることで物事を動かそうとしている。その意味でテロリズムだと言えるわけです。ただし、このテロルは山上本人にではなく、統一教会に向かっているというところが、多くのテロリズムと異なる事です。この点、実に巧妙なテロリズムであると言える。ネット上に現れる多くの方のコメントを拝見すると、彼に同情する人すら現れている。

従って、この企ては、今のところ成功しつつあると言えるでしょう。統一教会はこの事件によって潰れたり日本から撤退したりするほど脆弱な組織はないでしょうが。

だから、彼の内心は「してやったり」で、達成感で充足していることでしょう。念願の襲撃を完遂して満足した彼は、もはや逃げる必要はありません。むしろ素直に捕まって警察署で思いの丈をぶちまけることこそ、テロリズムの完了のために必要なことです。

そして、彼の行為と供述によって、世間の人々にはドーパミンが発せられ、一旦は忘れ去られつつあった統一教会の問題が再燃するという、まさに彼の思い描いた状況を作ることができたのだと言えるでしょう。

私は別に、統一教会について騒ぐなと言っているわけではありません。しかし、なんで、こういう事件でも起きなければここまで騒がないのかと思ってしまいます。統一教会の問題は、この事件とは別に考え、議論すべきなのです。この事件との関連で問題をクローズアップすることは、テロリストの手中に落ちることを意味します。

今までこの問題を放置し、それを襲撃事件というテロリズムを機に再燃させたことに、マスコミの果たした役割は大きいと思います(悪い意味で)。しかしこのメカニズムを意識しているマスコミやジャーナリストは少ないのではないでしょうか。

くどいですが、統一教会の問題を騒ぐなと言っているわけではありません。しかし、決してブレてはいけないことは、だからと言って、テロ行為を擁護することは、決してあってはならないということです。

山上容疑者に同情する形で、あるいは彼の供述を受けて統一教会を非難することは、対象が統一教会であるか否かにかかわらず、テロリズム一般を助長することにつながります。私はそれを恐れているのです。別の対象に向けて、同じ理屈、同じメカニズムで次のテロ行為を起こすことも誘発します。特に今回は襲撃も成功したし、にっくき組織に世間の非難の目を向けさせることにも成功しつつあるのですから、「これはうまい手だ、しかも成功する」と思っている輩(やから)は、国内にたくさんいることでしょう。

テロリズム志向者に勇気を与えた今回の警備であり、昨今のマスコミであるというわけです。事件を起こさせてしまったことそのこと以上に、今後の犯罪についても大きな影響を及ぼすであろうことを警察は大いに認識すべきであるし、無意識にであるにしても(いや無意識であるからこそ)問題がすり替わることによって、結果的にテロ行為を助長することになりかねないという危険性を、マスコミや私たち一般人は認識すべきであると思います。

次なるテロ事件の起きないことを私は切に祈っています。

やっぱり炎上してしまうかなあ……。コメント欄を閉じてしまおうかなあ……。しかし言いっ放しというのも卑怯な気がすると思いますので、そのまま開いておきますね。コメントをお寄せ下さる皆様、お手柔らかに。

 

(2022.7.25追記:「統一教会について騒ぐなと言っているわけではない」と繰り返していますが、これはこの団体を問題視しなくて良いと言っているわけではないという意味で書きました。しかし、やはり事件直後に騒ぐのはこの種の犯罪を助長することになるでしょう。この団体がいくら悪いことが分かったところで、テロ行為の防止にはなりません。私の主眼はテロ行為の防止にあるのです)