シャンペン・リッジ(1)ナイロビ近郊のリトリート | Que sais-je? ク・セ・ジュ――われ何を知る

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エルサルバドルに単身赴任中。
気候が良く日本より健康的な生活を送っています。
ドライブ旅行をぼちぼちしていますが、
この国で最も注意すべきは交通事故。
今や治安以上に大きなリスクです。

なおヘッダーは2020年に新潟県長岡市にて撮影。

ケニアに赴任する直前、ケニア観光の情報をネットで収集している時に、Champagne Ridge という場所の情報に行き当たりました。Champagne は、ご存じのアルコール飲料である「シャンパン」のことですが、元々はフランスの地名であり、フランス語の発音では「シャンパーニュ」であり、そのように表記されることもあります。また、英語風に読めば正確に語「シャンペイン」、ただし日本語では「シャンパン」と表記されます。

このように、日本での表記は定まっていませんが、ケニアは英語圏ですから、拙記事では「シャンペン」を採用することにいたします。

このシャンペン・リッジはナイロビ近郊の贅沢なリトリートとして知られています。その距離、ナイロビの中心から車で約1時間。3月14日(月)から16日(水)の2泊3日で、仕事道具を抱えて行ってきました。

ところで、皆さんはリトリートという言葉をご存じでしょうか。辞書には「退却」とか「逃避」「隠遁」といった訳語がありますが、最近は特別な意味も持っています。ELEMINIST という名のサイトに、簡潔にまとまった説明がありました。「リトリート(Retreat)とは、数日間住み慣れた土地を離れて、仕事や人間関係で疲れた心や体を癒す過ごし方のこと。観光が目的の旅行とは違い、日常を忘れてリフレッシュすることを目的とする」と。また、じゃらんニュースには、「仕事や日常生活から一時的に離れ、疲れた心や身体を癒す過ごし方」とあります。

しかし、私の今回の「リトリート」は、全くリトリートになっていません。だって、平日に気分転換をしつつもリモートワークをするために来ているのですから。書類をあまり必要としない仕事だったのでコンピュータだけ持って行けばほとんど用は足りますが、情報を確認したりメールをしたりするのにネット環境は必要です。それにはスマホのテザリング機能を使うことにします。

ということで、リトリートで仕事が出来てしまうんですな。繰り返すと、全くリトリートになっていませんが。

自宅からの行きにはウーバーを使って、普段の街中での移動に使うコンパクトカーよりやや大きい「Uber X」を呼びました。心配された路面状況はさほど悪くなく、およそ1時間余りで予定通り宿に着いたのですが、交通量の極めて少ない郊外で、これは帰りの車が捕まらないと思った私は、乗ってきた車を帰りのために予約することにしました。

しかし交渉にやや苦労しました。まず、ここまで来た料金は、ウーバーの表示によると、約2,000シリング(1シリング=約1円)。これは乗車前の約束だったので、運ちゃんはいやいやながらもしぶしぶ認めるとしても、帰りはその料金では乗せたくないと言います。普通の街中なら客を下ろしたらすぐに次の客が見つかるのでいいが、ここまで来る間に別の客を乗せることはできないし、ちょうどいい方向に行く客もほとんどいないから、客を乗せていない時間がとても長くなる、割に合わない、と。

確かに理屈が通っています。そして、今ここまで来た帰りにも、相当の時間、客が捕まらないでしょう。彼の言い分も理解できるので、私は今の行きにはチップを含めて2,500シリング支払い、その上で、帰路には幾ら要求するか聞きました。

3,500シリング、と。

思ったより高い。しかしこれが妥当な額なら、それで手を打つしかないだろう。

しかしもっと安くなるはずだと思った私は、交渉を始めました。ところが運ちゃん、出迎えに来ていた宿の従業員に、宿関係の運転手に電話で相場を聞くように、と。従業員、早速電話を掛けると、空港からの出迎えなら5,500だが、私の住んでいるカレン地区からならもっと安いだろう、と。運ちゃん、3,500はどうか、と。従業員、そんなもんだ、と。

彼らがグルになっているようには見えませんし、まあ、妥当なんでしょう。私はそれ以上交渉することなく、素直に3,500シリングを払うことにして予約しました。

そして帰りの日。ちゃんと来てくれるか若干心配だったのですが、彼は予定時刻より30分早く来てくれました。

例によって文章が続きましたが、ではようやく写真をお見せすることにします。

 

 

シャンペン・リッジには幾つかの宿泊施設がありますが、私が泊ったのはオロホロ・オニョーレ (Olohoro Onyore) という変わった名の宿。いや、正確にはその別館であるオロホロ・オニョーレ ・ンドゴ (Olohoro Onyore Ndogo) という名のロッジ。宿の名の意味はついに分かりませんでしたが、ndogo はスワヒリ語で「小さい」という意味みたいです。宿については次回の記事にて何枚かの写真とともに詳しく説明します。

上の写真は私の泊まった部屋からの眺め。遠方に見えるのはオロルゲサイリエ山 (Mt. Olorgesailie)(1,760m)。ただし、大地溝帯(リフトバレー、Rift Valley)の中にある山で、見ているこちらの方が標高約1,900mと高い位置にあります。なので、実際には山頂を見下ろしています。

リトリートとは、例えばこういう壮大な景色を眺めながら仕事をする、いや、休養をとることを言うのですな。

 

 

向い側の谷。オロホロ・オニョーレや他の幾つかの宿は、この谷の上に立っているわけです。右端にちらっと見える部分を見てお分かりのように、谷の上は平坦で、牧草地が広がっています。マサイ人たちがこの平坦な所で家畜を放牧していたり、時に谷の下に連れて行ってそこの草を食べさせたりしています。

そうなんです。このエリアはマサイ人の土地なのです。

 

 

私の部屋からは、シャンペン・リッジ・ウェルネス・ヴィラズ (Champagne Ridge Wellness Villas) の所有している、恐らくアンガニ・エッジ・ヴィラズ (Angani Edge Villas) という建物が見えます。オシャレな建物ですよね。

8人までの団体客向けなので、私は泊まれません。

 

 

夕方。いわゆる薄明光線が、何層にも重なる丘陵を照らします。

 

 

宿の周辺にも、谷の下に歩いて行ったところにも、この長く鋭い棘(とげ)を持った植物をたくさん見かけます。果実の先にも茎と同じ棘があり変わった形をしているためか、部屋にある棚の上にも飾りで幾つか置いてありました。

 

 

これは2日目の午前中、谷の下の方を気分転換にハイキングしていて、踊り場のようになった地形に小屋がある、そのそばで屯(たむろ)していたサルたちを上方から望遠で撮ったもの。アヌビスヒヒ (Olive Baboon) のようです。

彼らがいた場所まで下りてみたんですが、私が来た時には彼らは既に去っていました。

 

 

谷の中腹辺りを歩き続けます。

 

 

 

すると、ある岩の窪みにこのような生活の跡が。枝を並べて仕切っており、その中のやや大きめの区画には枯草が敷き詰められています。これはどうも寝台のようです。また小さめの区画には薪を燃やした跡があります。まるで原始時代の住居のようです。

この地域であることからして、マサイ人が家畜を放牧して移動するときの仮の住居ではないかと思われます。

暫く進んでいくと、だんだんトレイルの状態が悪くなってきました。所々に上の棘々しい植物が生えており、上の写真の植物以外にも棘を持った植物が色々とあります。注意しなければなりません。

注意していても、右の腕に引っ掻き傷を作ってしまいました。

それでも進んでいくと、ますます道は悪くなってくる。もう少しで斜面の上の、平坦な所に出られるという寸前まで来て、大きな岩が行く手を阻(はば)んでいたりする。

 

 

歩くのに手こずっていても、美しい花を見つけると、とりあえず立ち止まって撮影します。

結局、いい加減進んだところで斜面の切れ込みがあり、すなわち狭い崖になっていて、それ以上行けなくなってしまいました。

宿を出たのが10時。今は11時半を過ぎたところ。次回にも書きますが、この宿では食材を持参すれば管理をしている従業員から食事を作ってもらうことができます。その彼に「1時の昼食までには戻って来るつもりだから」と言い残していたので、急いで同じ道を戻るしかなくなりました。今いる地点は谷の上の方なので、来た道をそのまま引き返すとなると、一旦下って、また先ほどサルたちのいた踊り場状の所から急な坂を、恐らく百数十メートル上る必要があります。

かなりうんざりする帰路ですが、斜面の中に他の出口を探してさまよっている時間はありません。仕方なく戻ることにしました。

 

 

歩いているすぐ上に自分の部屋が立っていますが、ここから上述の踊り場に行き、そこからの登りがしんどいのです。

そのしんどい斜面を登っていると、上から山羊(やぎ)の群れと、それを追っている少年が下りて来ました。私の首から吊り下げているカメラを目にすると、何やら言ってきました。恐らく撮ってくれと言っているのでしょう。撮影してモデル代を要求されても厄介だし、自分の写真が欲しいのだとしても、現像して渡す手立てを算段するのも極めて面倒臭い。まさか少年に対して「データをメールで送るから」という訳にもいきません。写真を撮ったら次は別の事を要求されないとも限らない。

軽く挨拶だけしてそれ以上は無視して進むことにします。少年も、それでそのまま山羊たちと下って行きました。

 

 

黄色いボンボンのような小花が咲いていました。オジギソウの仲間でしょうか。これにも鋭い棘が出ています。

部屋に着いたのが1時10分前。食事が出来つつある、ちょうどいい時間に着くことができました。

昼食後はまた仕事です。

 

 

この日の夕陽は山の稜線に到達する前に雲に隠れてしまいましたが、それでもその前にこんな感じの綺麗な写真が撮れました。

なおこの時の時刻は6時45分。以前も書いたことがありますが、ケニア時間の標準子午線は東のインド洋を通っており、日の出も日の入りも、6時よりかなり遅いです。また赤道近くなので、年間でこれらの時刻にほとんど変化がありません。

当地の3月は年間でもどちらかというと暑い時期なのですが、日没後は「冷え込む」と表現していいくらいに肌寒くなります。また、以上の写真のように谷の上の見晴らしのいい所にあり、従って風の強いことも多いです。実際、私の泊まった二晩とも、かなり強い風が吹いていました。

なので、晩は持参のワインで暖まって、その後で、それでもレトリートの気分を味わおうと、ベランダのスツールに腰を下ろしてウィスキーをちびちびやりましたが、寒さに耐えられずにすぐに室内に戻って寝ることにしました。